強い中小企業






いままで何回も語ってきたように、日本の大企業型のモノ作りは、もはや賞味期限切れである。その後を追っていた韓国も、いまが大企業型モノ造りのピークであろう。世界の工場となった中国でも、予想を上回る速さで賃金水準の上昇が起こっており、いつまでも今のモデルでやっていけるワケではない。要は、世界経済の中では、その時代応じて、その国の企業が、期待されている役割を果せる戦略が求められているのだ。

そういう意味では、21世紀の日本においては、「高度成長期に最適化した大企業型のモノ作り」が成り立たないというだけである。どんな形態であっても、モノ作りそのものが成り立たないということではない。たとえば、ベンチャー的にオーナー自身がリスクをとって、投資やマーケティングを行うようなモノ作りなら、まだまだ充分に可能性があるということができる。

経済誌などでは、東京の大田区や大阪の東大阪市等、独自の強みを持つ中小企業が集まった地域の特集が組まれ、話題になることが多い。確かにこれらの地域では、世界一の強みを持った町工場がいくつも存在している。それらの特集で述べられているように、これらの中小企業においては、ほかにない技術が差別化を生んでいることは事実である。しかし、企業経営という面から見れば、技術は結果でしかない。

ここで重要なのは、その独自性を技術に特化し、それをコアコンピタンスして磨き上げるための戦略的投資を可能にした経営戦略である。企業として、その技術に賭ける決断をしたからこそ、強みがうまれ、世界に轟く差別化が可能になった。日本の多くの企業ではできなかった、真の意味での「選択と集中」の経営判断が、そのような中小企業ではできたからこそ、強い企業になれたのだ。

なぜ、このような大胆な経営判断が、町工場の中小企業では可能だったのか。それはこれらの企業が、大企業のようなサラリーマン社長による組織的運営ではなく、オーナー社長による同族経営だったからである。もちろん中小企業といっても、最初から大企業の下請けとして、グループ内に作られたような会社には、こういう強みは生まれない。経営体質が、親会社と変わらない大企業型だからだ。

世界に冠たる中小企業の飛躍の秘訣は、同族経営のオーナー企業ならではの、意思決定の素早さ、大胆さにある。企業のリスクが、オーナー個人のリスクとイコールになる自営業だから強いのだ。リスクを避けるためには、大企業のように逃げたり先延ばしにするワケには行かない。オーナーにとっては、リスクは社長という肩書ではなく、個人の上に直接降りかかってくる。

そうである以上、否が応でもリスクを受け止め、それに立ち向かう判断をしなくてはならない。一つ一つの経営判断が、いわば命懸けなのだ。その分、起死回生の大胆な判断も決断しなくてはならない時がある。独自技術を持ち、そこに特化することができたのは、戦略的経営判断の結果である。資金力も組織力も限られる中小企業では、偶然技術が開発されることはありえない。その技術に賭けてみようという意思があったからこそ、技術が開発され磨かれたのだ。

多くの場合、企業の存亡の危機にあたって、そういう決断をしている。危機に直面した時、現状に流される判断ではなく、エポックメイキングな決断をすることができた。それがあるからこそ、今も生き残っているのだ。その証拠に、大田区や東大阪でも、そのような革命的な技術を持つことができず、業界の浮沈とともに廃業してしまった町工場の中小企業のほうがはるかに多いことを忘れてはならない。

危機に直面したとき、高いリスクにあえて挑戦したからこそ、生き残り、さらに飛躍することができたのだ。それは、オーナー企業だからこそ可能だった経営判断である。独自技術を持つ中小企業は、企業経営という面から見てもエクセレントカンパニーである。いや、経営判断がエクセレントだからこそ、技術が生まれたのだ。そういう意味では、責任を明確にし、決断をする経営のあり方こそ、これからの日本が学ぶべきポイントである。

(12/10/12)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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