essay 773
日本の組織リテラシー
日本の大衆を考える上で重要なポイントの一つとして、集団行動をする際の規範というか、組織のリテラシーをあげることができる。近世以来の歴史的背景、近代以降の西欧文化との接触等、いろいろな要素が絡み合って形作られていることは間違いない。しかしその理由が何であれ、目的合理的な組織であったとしても、その規範は「大家族の農村共同体のそれ」しかないのだ。これが著しい特徴となっている。
もちろん、日本の社会全体がそうだったわけではない。たとえば武士層は、江戸時代から官僚組織の一員として行動してきただけに、それなりの組織行動のルールを持っていた。西欧近代のそれとは若干違うメンタリティーもあるが、結果としては同じように組織としての目的性や規律をキープすることができるだけの体系は備えていた。だからこそ、徳川幕府が250年以上続くとともに、列強の侵略の中で独立を保つことができた。
責任階級としての「お上」である武士層が、目的合理的な組織行動ができるなら、無責任階級としての庶民層は、なんら組織のリテラシーを持たなくて良い。この結果、三井、住友などに代表される「大商家」を例外とし、多くの一般人は、大家族的共同体におけるふるまい以外、組織・集団内における行動のリファレンスをもつことがなかった。
そして、明治以降もこの二重構造はかわらなかった。すでにここでも何度か分析したように、華族・士族を中心とする有責任階級が、天皇陛下を御輿に担ぎ上げ、政治や行政、場合によっては産業や経済においてリーダーシップを担うというのが、本来の明治憲政の目指した姿である。19世紀的な立憲君主制に基づくこのシステム下においては、大衆は江戸時代同様、無責任体制を満喫できた。
明治になり、家族制度こそ武士階級の家族制度と欧米の家族制度の掛け合わせによる、父系的・単家族的なものになり、都市部を中心に新しいスタイルも徐々に広がりをみせた。実際昭和に入ると、都市部の給与生活者の家庭は、ほぼ父系的核家族が基本となった。もっとも、農村部においては、農業の生産形態との関連から、昭和20年代まで、長らく母系制も強く残した大家族が残っていた。
しかし、組織行動のリテラシーは、時代が過ぎても広まることはなかった。明治初期における近代的な組織といえば、政府=官僚組織と軍隊とが双璧である。しかし官僚組織も軍隊も、明治期にそれが導入されたときには、曲がりなりにも武士層が主導していた。リーダー層が、組織のリテラシーをそれなりに持っている武士層であったがゆえに、江戸時代の組織リテラシーが暗黙知として共有され、組織が運営されていた。
学校制度が整備され、大衆層から偏差値でリーダー人材が供給されるようになると、構造的変化を起こすことになる。明治日本の高等教育は、追いつき追い越せのテクノクラート育成の戦術論・方法論中心であり、リーダーシップの育成や、組織リテラシーの教育は行なわなかった。もっとも、今の高等教育もその残渣がプンプンしているのだが。けっきょくここから生み出されるのは、頭でっかちの現場監督以外の何者でもない。
司馬史観がすべて正しいとは言わない。しかし「坂の上の雲」ではないが、日露戦争までは比較的マトモだった日本の軍隊や官僚組織が、20世紀の声を聞くとともに急速に腐敗化し、組織の維持発展を自己目的化する集団へと落ちていった原因はここにある。明治初期においてリーダーシップを担った層にとっては、武士的な組織リテラシーはあまりに常識であり、それを学校制度の中で教育するという発想が起こらなかったからであろう。
そのかわり唯一の組織運営の規範となったのが、大家族的な農村共同体的メンタリティーである。かくして、企業も官僚組織も、はたまたアカデミックな世界も、甚だしきは芸術やスポーツの世界も、人が集うところ、その組織は大家族のアナロジーとなってしまった。これが20世紀を通して熟成・高度化し、奇形なまでに発展を遂げてしまい、21世紀たる今も色濃く日本社会に染みついているのだ。
ここまで根が深いと、もはや一朝一夕にどうこうできるモノではない。多分、日本の大衆のメンタリティー自体は変わらないだろうし、自分の現状に自信と満足感を持つに至った現状では、変わるモチベーションすらありえない。ただ、日本人にもグローバルスタンダードな組織リテラシーを持っているヒトはいるし、未だに武士的リテラシーを持っているヒトもいるではないか。
そう、大事なのは発想の転換である。偏差値でも教育でもなく、そういうリテラシーを持っているヒトをリーダーにすればいいだけのことである。必要なのは、それをやる勇気だけである。しかし、それは容易には実現できない。その最大の理由も、やはり既得権にある。リーダーの器にないのに、リーダーの座にいることは既得権だし、それを狙えることも既得権なのだ。せめて新しい組織を作るときには、こういうしがらみから自由でありたいものだ。
(12/11/09)
(c)2012 FUJII Yoshihiko
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