essay 774

発想の方向





将来計画を立てる際に、将来のあるべき姿をまず構想し、それを実現するために今どうすべきかを考えてゆく手法を「バックキャスティング」というのだそうである。ぼくなんかからすると、将来を考えるときに、あるべき将来像を描かないことのほうがどうかしてると思っているし、事実、中学生ぐらいの時から、将来計画とは理想ビジョンを描くことだとイコールだという意識でいた。

それからすると、そうでない将来計画があるほうが驚きなのだが、わざわざ「バックキャスティング」などというところを見ると、将来のあるべき姿を前提にしない将来計画というのが、日本においてはポピュラーなのだろう。まあ確かに、官公庁の立てる将来計画は、道路建設計画のように、中身はあくまでも現実ベースだが、利用予測の数字みたいなものだけが、極端に夢想的というものが多い。

将来計画でなくとも、とにかく計画一般についても、この二つの発想の方向はしばしば見られる。一つは、あるべき姿を前提とし、そこから帰納的に、今現実をベースとしたとき何をすべきか考えるやり方である。もう一つは、現状の現実を前提とし、そこから演繹的に、目指すゴールに到達するためにはどうしたらいいかを、演繹的に考えるやり方である。手法としては、どちらもあり得る。

問題は、課題のあり方によって、どちらのやり方がフィットするかが変わってくるところにある。現状のリソースや機能で充分対応可能な課題なら、演繹的なやり方がふさわしい。これは、現有の兵力と武器で充分戦えるものの、勝利のためには戦法を工夫する必要がある課題に対する、戦術的な検討である。製造部門でも営業部門でも、はたまた経営管理部門でも、日常的に発生する課題の多くは、こういう構造を持っている。

しかし、リソースや機能自体を大きく拡充・改変しない限り対応できない戦略的課題に対しては、演繹的なやり方では解決できない。これらは、現状に構造的問題があり、それを改革することでしか、ソリューションが得られない。いまあるリソース、今あるやり方では不充分だからこそ、問題が起きている以上、現状肯定からスタートしても、なにも解決しないことは明らかだ。

これらの問題に対しては、理想像を具体的ビジョンとして示し、そこから帰納的に戦略を考えない以外、ブレークスルーはない。すなわち、戦術レベルの業務上の課題、COO的な課題に対しては演繹的発想が機能するが、戦略レベルの経営上の課題、CEO的な課題に対しては、帰納的発想でなくては対処できない。現状からの演繹的な発想で、M&Aをしようという結論が出るわけがないではないか。

対症療法、改善方式は、いまのやり方そのものには問題がなく、枝葉末節の部分で問題が生じている時しか使えない。それを経営にまで持ち込むのは、高度成長期の「戦術のみで戦略なし」という「日本的経営」の残渣ともいえる。しかし、それやり方が今日の21世紀にまで持ち込まれたのは、それだけでは説明できない。戦略的ビジョンを立てないのには、それなりに理由があるのだ。

その理由こそ、現状の中に、固執したい利権があるからに他ならない。経営を改革することよりも、その利権を守るコトの方が、サラリーマン社長にとっては重要なのだ。だからこそ、本当の意味での戦略的経営判断が行なわれず、現状の利権構造を壊さずに温存できるやり方しか採用されないことになる。経営者が、経営者としての責任を果たしていない。日本の大企業のトップが行なった経営判断の多くは、背任行為である。

「バックキャスティング」などと、あえて言うことはない。戦略的経営においては、これは特別なコトではない。経営にビジョンがあれば、当たり前のことである。このような言葉が、あえて語られるということ自体、日本の経営者の多くに戦略がなく、ビジョンがないことの証明である。日本の経済にとっての一番の癌は、マトモな戦略的ビジョンを持つことすら避けようとする、サラリーマントップの意識にあるのだ。


(12/11/16)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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