essay 782

文化立国のカギ





昨今、日本の21世紀は「いいモノを安く大量に」というモノ作りから脱し、世界に通じる文化を発信する社会にならなくてはいけないという論調によく出会う。成熟した国は、それまでの経済成長で蓄積した無形の資産や社会的インフラをベースとし、新たな文化生み出し、それを売り物にしなくては生き残れないという意見には、大いに賛成である。しかしクールジャパンみたいに、そこに官僚がしゃしゃり出てくるからおかしくなる。

文化とは、誰かが上から目線で育成するものではない。結果的に、誰かの出した金が文化を育てることはある。大衆文化なら商業的に「マス」が、貴族文化なら慈善的に篤志家が、各々金を出すことにより生まれてくるものである。しかし役人が金を出して生まれる文化があったとしても、それは「官僚文化」だ。どう見ても、煮ても焼いても喰えそうにない、ロクでもないモノというニオイが、プンプンするではないか。

それはなぜか。しゃかりきになって生きてるヒトは、金は稼げるかもしれないが、文化は創れない。昭和30〜40年代の日本がまさにそうだったように、経済成長真っ盛りの新興国からは、文化の芽はでてこない。文化とは、目的合理的でないものなのだ。。合理的な評価からすると、無駄としか思えないものからしか、文化は生まれないのだ。あってもなくても良い刹那的なものに、命を賭けても取り組むからこそ文化になる。

文化は、浪費から生まれる。世の中、なめてかかることからしか文化は生まれない。フランスは、現代の世界でも突出した官僚大国である。とにかく、国営だったり、官主導だったりするものが、やたらと多い。文化関連もそうで、多くのコンテンツが官の補助金のもとに作られている。映画の発明国の一つとしての沽券から、かつて存在感があったフランス映画が没落してしまったのも、官主導、補助金主導の制作体制の弊害である。

文化の誕生といえば、蔦重こと蔦屋重三郎の名をあげないワケには行かないだろう。18世紀の後半、江戸吉原に生まれ、版元として活躍した彼の生涯からは、日本における文化のあるべき姿を読み取ることができる。多面的な活躍をした蔦重だが、その業績のベースは俳諧や狂歌に集った、今でいう「サブカル」的な「文化人」たちにある。その中から、山東京伝や朋誠堂喜三二などの洒落本・黄表紙本が生まれ、喜多川歌麿や東洲斎写楽などの浮世絵が生まれてきた。

このように、蔦重の下からは、江戸時代を代表する、いやグローバルに日本を代表する文化が生まれた。もちろん、蔦重自身が、出版版元として積極的に後押しをしたことは確かだ。しかしそれを担い生み出したのは、大商家や武家の次男・三男や、隠居した先代当主など、俳諧や狂歌などの同人たちであり、その舞台となった吉原遊郭という江戸時代の文化テーマパークの存在である。ここに学ぶべきなのだ。

金と才能とヒマ、この3つの要素が一つに融合したとき、時代を超えて輝き続ける文化が誕生する可能性が生じる。別に、リアルタイムで評価される必要はない。本人がヒマつぶしで楽しくやっていれば、それでいいのだ。その副産物が、結果として文化になるかどうかは、当事者の問題ではない。そういう意味では、ヒマが有り余るほどある、というのは、文化を生み出す大前提となる。

金と才能とヒマを、一人の人間が同時に持っていれば、こんなに強いことはない。今のJポップの源流となった、70年代に「ニューミュージック」とか「日本のロック」などと呼ばれたジャンルの音楽の源流は、60年代末から70年代初めにかけて、自らロンドンやLA、NYなどに行き、最先端の音楽ムーブメントを体験した、金と才能とヒマを持っていた何人かの先駆者に求められる。

しかし、そういう例は限られている。そこはそこ、3人寄れば文殊の知恵である。金とヒマのあるヤツが、ヒマと才能のあるヤツに出会い、意気投合すれば、これまた文化は生まれる。真面目に仕事をするよりも、楽しく遊ぶほうが好きな連中が、ヒマをキーワードに集まればいい。こういう生き様を善しとする風潮こそが、文化を育てるのだ。

もし、自分にヒマがなかったとしても、最低限、金を持っていて才能を見抜ける眼力を持っている人なら、そのメガネにかなうヒマで才能のあるヤツを食わせてやればいい。医者とか弁護士とか、知的肉体労働者で、年収は多いがヒマがない人は、こういう方面に金を使うべきである。それで遊んで暮らせる人が増えれば、社会はどんどん文化的になる。大事なのは価値観。もう勤勉に真面目はヤメよう。それは貧しい人の価値観だ。


(13/01/18)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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