essay 786

「社員」の歴史(その4)





6. 日本型経営の確立と日本型「社員」

今まで見てきたように、今我々が「社員」と聞いて想起するような制度は、その萌芽がごく一部の階層で見られることはあったとしても、定着したのはたかだか20世紀後半のことである。そういう意味では、「もはや戦後ではない」といわれた昭和30年代に入り、高度成長の波に乗って確立した制度なのだ。今に続く「社員」像が確立したのがこの時代である以上、たかだか50年の歴史しかないことは常に頭に置く必要がある。

高度成長期も、先進国に追いつけ追い越せという経営戦略も、すでに過去のものとなった以上、その時代性に裏打ちされた「社員」像も、同様に賞味期限が切れてしかるべきである。このように、日本型「社員」の誕生は「日本的経営」の確立と不可分の関係にある。日本的経営の三種の神器は、終身雇用、年功序列、企業別組合とされる。このうち前二者の歴史についてはすでに触れたので、日本型労働組合の特徴とその歴史について見てゆこう。

日本の労働組合の特徴は、「企業別」かつ「職能混合」というところにあり、これは世界的に見て極めて珍しい形態である。職能混合とは、キャリアとノンキャリアが同一の組合、ホワイトカラーとブルーカラーが同一の組合に所属し、工職混合組合となっていることを示す。日本では極めて当たり前のように思われているが、グローバルには、ホワイトカラーとブルーカラーは利害が対立するほうが普通なのだ。

この秘密を解明するには、日本の独立が認められ、労働組合活動が始まった、昭和20年代後半頃の雇用の状況を知る必要がある。当時、多くの製造業において、正社員は、本社採用の大卒または旧専門学校卒のみであった。官僚には今も残っているが、いわゆる「キャリア」である。オフィスの中核として、事務作業を行なっていたのは、準社員、准員と呼ばれた、事業所採用の職員であった。彼らは、主として中等教育卒のノンキャリアである。

さらに、雇員と呼ばれる雑務を行なう臨時雇用者がいた。以上が、オフィスで働く職員である。さらに、現場で肉体労働に従事するブルーカラーは、全く別の待遇であった。このあたりは、1930年代の状況とさほど変わってはいない。この中で、雇用が保証されているのは、正社員のみ。しかし、彼らは年俸制で、今の管理職のような扱いであった。準社員以下と職工は日給制で、1週間とか1ヶ月の通告で容易に解雇が可能な身分であり、今考える社員とは全く違う待遇であった。

実は、これらの制度は日本固有のものというより、産業革命時に、階級社会であるヨーロッパで行なわれていた制度を、技術と同じようにそのまま導入したものである。しかし階級社会が残ったヨーロッパと異なり、20世紀に入った日本は大衆社会化し、正社員も職工も、どちらも国民の多くが属する平民階級の出身となっていた。このため、日本の労働組合、特に40年体制以降の労働組合は、企業単位で「職種に関わらず同じ待遇」を求めるようになった。職能混合を求めたのは、労働者の側だったのだ。

それまでの階級社会に適合した多元的な教育制度が、戦後の新制度により均一的な教育制度となることで、まず事務職の間で変化が起こった。新制大学卒がキャリア、新制高校卒がノンキャリアとして採用されるようになった。高度成長による労働力市場の売り手市場化を受け、この両者の間では、実年齢で比べれば、実質的な年収の差は小さくなった。このためオフィスで働く社員の間では、事実上待遇面での差はなくなった。

さらに、高度成長期における高等学校進学率の高まりを受けるとともに、工場のオートメーション化が進んだこともあり、1960年代になると、ブルーカラーも高等学校卒業が標準的な学歴となった。この時点で教育水準においてもホワイトカラーとブルーカラーの差はなくなり、給与の差もなくなった。ブルーカラーも含めて給与水準も年次ではなく年齢で比べればあまり差がなくなった。大規模製造業においては、ブルーカラーとホワイトカラーの間では、この同一化傾向が強く見られた。

これとともに大企業においては、ブルーカラーについても終身雇用・年功給与制が適応されるようになった。すなわち、終身雇用・年功序列という日本的経営の特徴は、人事施策という意味では、エリートホワイトカラーを対象としていた諸制度が、ノンキャリアやブルーカラーも含めた被雇用者全体に広がっていったものとして捉えることができる。そして企業別組合は、被雇用者の側から、この制度を担保するシステムとして理解することができる。

さて、高度成長期の日本型経営の戦略上の特徴として、垂直統合型経営を指摘することができる。原料調達から製品の販売まで、必要とされる全ての経営資源を、社内・グループ内に取り込む戦略である。日本の高度成長期のように、資金や経営リソースが不足し、その安定的確保が経営上の至上の課題となるとともに、バリューチェーン上のボトルネックが、供給の隘路となると同時に利益を生み出すビジネスチャンスにも繋がる環境においては、垂直統合への指向もそれなりの合理性を持っていた。

しかし垂直統合型形経営では、異なるビジネスモデルの事業を、一つの会社やグループ内部に保持するため、事務管理作業が爆発的に増大する。このため、事務作業を行なうそれまでのノンキャリ層も含めて、大卒社員を同じような条件で囲い込み、その人海戦術で処理した方が有利であった点も見逃せない。それを象徴するものが、大卒新卒定期採用の登場である。新卒定期採用が定着したのは、1960年代。これをもって、日本型「社員」が確立したと見ることができる。

まとめ

今、我々が想起する「社員」像は、日本的経営の「三種の神器」の確立とともに成立したものである。すなわち、終身雇用・年功型賃金を特徴とする日本型雇用が生まれるとともに、社員(正社員)という概念が生まれ、その時代背景から、その概念は大企業においてはキャリア・ノンキャリアのホワイトカラー、ブルーカラー全体を通して統一的なものとなった。それは、究極の進化形というより、時代の要請に合わせてできたものであった。

それは歴史を紐解いても、1960年代をさかのぼるものではない。対象となった世代を見ても、団塊世代をさかのぼるものではない。現役の企業人が、それ以外知らないから、それが常識になっているというだけのことである。絶対的で永遠な制度というより、歴史の通過点と見たほうが良い。後世の経営史家からすれば、「たかだか20世紀終盤の3〜40年程度に特有の形態」と語られるような制度でしかないのだ。

それが金科玉条のごとく扱われてしまうのは、三種の神器の残りの一つ、企業別組合制度により、こういう社員像が「既得権益」として扱われ、それを死守することが組合自体の存立意義になってしまったからだ。そういう意味では、我々が常識と思っている「社員」像こそ、守旧派の既得権益の最たるものである。だからこそ、日本企業が生まれ変わり、日本経済が活性化するためには、まずこの「社員」像を打破することが第一歩となる。

結論としては、以下のようになる。

1.高度成長期の労働市場の「売り手市場」化に対応すべく、企業側が青田刈りと囲い込みで人材確保を図ったため、「社員」という地位がおいしい既得権となった。その基調は安定成長以降もあまり変わらなかったため、利権性はさらに高まった。

2.「気楽な稼業」としてのサラリーマンと、それとほぼ同等の待遇を確保した大企業のブルーカラーについては、被雇用者の側からもそのポジションを安定的に確保することへの志向が強まり、一流企業に就社すれば一生モノ、という意識が高まった。

3.高度成長期に高卒、大卒の中心となっていた団塊世代は、上昇志向と求心力が異常に強く、自分たちの実態以上のものに自分達を投影する傾向が強い(大学進学率1割台なのに、全共闘世代を称したりする)ため、彼らの中では成功者に属する大企業に就職した大卒ホワイトカラー高卒ブルーカラーを自分たちのリファレンスとする傾向が強く、大企業の組合の既得権でしかなかったものが、社会全体の規範化した。


(13/02/15)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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