essay 788
人材の罠
このところ、いろいろな企業や組織で、グローバル人材を採用したいとか、起業家精神を持った人間を採用したいとかいう声を、よく聞くようになった。しかし、そういう人材は、もともと組織には頼らない人間である。発展途上の新興国では、資金調達など、組織のスケールを利用しなくては難しい場合もある。しかし、今の日本は成熟社会である。そういう人材が、組織に入ろうと思う可能性は極めて低い。
組織である以上、そこに応募してくる人々の心の中には、程度はさておき組織に頼ろうという気持ちがないワケがない。いわば「組織の壁」である。もはや日本では、いい人材は、組織には入ってこないといってもいい。そういうコンピタンスが必要なら、外部のプロにアウトソーシングするしかない。外部のプロに頼むと高くつくと思うのは、とんだ間違いである。そんな有能な人材を、安いコストで囲い込めると思う方が、よほど脳天気だ。
さらに、かつてここで、かぎカッコ付きの「バカ」の壁と呼んだ問題もある。人間は、自分以下の能力の人間しか、定量的・客観的に評価できない。自分より能力がある人間は、スゴいヤツであることはわかっても、それを計測することができないのだ。そうである以上、そもそも、自分以上の能力のある人材を発掘したり抜擢したりできるわけがない。ましてや、育てることなど、夢のまた夢である。
このように、これからの日本の世の中において、当代随一というような人材を企業や組織が抱えることは、まず不可能と考えなくてはならない。しかし、組織志向を持っている人材の中で最も有為な人材を確保するというのであれば、これは企業間、組織間の競争の問題なので、決して不可能ではない。ひとまず、これからの組織が目指すべきリクルート戦略は、この方向性であろう。
そのためにはどうしたらいいか。これはその有意な人材を「顧客」、企業や組織を「商品」と考え、マーケティング戦略を適用してみればすぐわかる。顧客からすれば、圧倒的に買い手市場なのだ。顧客は、いろいろな視点から商品を比較し、自分にとって一番魅力的なものをチョイスすればいい。逆に、企業や組織は、顧客にとって自分達が最も魅力的に見えるよう差別化しなくてはならない。
有意な人材をつかまえるには、頭数の員数合わせとは違う発想が必要である。企業や組織の側が体質を改め、本当に魅力のある風土を構築することが先決なのだ。グローバルな実績を上げていれば、グローバル志向の組織人は、おのずと集まってくる。チャレンジングな実績を上げていれば、起業家的発想を持つ組織人は、おのずと集まってくる。新たな人材で体質を変えるのではなく、体質を変えれば人材が集まるのだ。
そもそも企業や組織の変革を、これから採用しようという、今いない人材に期待するというのは、ないものねだり以外の何者でもない。そういう体質では、親方日の丸志向の人材は集まっても、有意な組織人を引き寄せることはできない。まず、いま社内にいる社員が、率先して発想や行動を変えることが重要なのだ。変化は、ここからしか起こらない。さらにいえば、重要なのはトップである。
トップが、自ら責任を取り、リスクにチャレンジする姿勢を示せば、企業や組織は変わり得る。とはいっても、甘え・無責任な人間が、トップになったからといって改心し、たちまち責任感あふれる人間になることはありえない。内部昇格で行く限り、企業体質が大きく変わることは考えられない。しかしトップだけは、組織外の人材を持ってきて挿げ替えることが可能なのだ。
甘え・無責任に浸った社員は、自ら変革の道を選ぶことはない。しかし、外部のステークホールダーなら、変革を要求できる。そこで威力を発揮するのが、外部からトップを招聘する「征服王朝」である。この場合、社員の多くは抵抗勢力となるかもしれない。しかし、オール・オア・ナッシングの選択に持ち込めば、意外と人間は変わるものだ。日本の企業や組織の問題の多くは、実はまだこの段階にあることを忘れてはならない。
(13/03/01)
(c)2013 FUJII Yoshihiko
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