essay 791

共通一次が悪かった





少なくとも、戦前昭和の官界において、主流となっていたのは当時「革新官僚」と呼ばれた、育ちではなく、偏差値だけで成り上ってきた秀才たちである。しかし、明治期に比べれば極めて減少したとはいえ、それなりの環境で育った人格者も、少なからずいた。戦時体制下では、旧体制(資本主義・自由主義・政党政治)の代表とされた者も多かったが、戦後の復興に際しては、秩序ある再建を果たす上で大きな役割を持った。

そういう伝統があったからこそ、戦後になっても、昭和20年代、30年代ぐらいまでは、社会的リーダーは、戦前のいい時代の、ハイブローな教育を受けた人たちが担っていた。司馬史観の「坂の上の雲」のような、江戸時代の武士的教養をもったひとにはかなわないが、それなりの環境で育った人格者が、それなりのポジションについていたのだ。まだある種、育ちの違いが問われた時代でもあったといえる。

よく、旧制高校の人間力を育てる教育を賛美する声が聞かれる。現実には、旧制高校出身の偏差値秀才もたくさんいるし、地方のエース的に学力だけでなりあがってきた生徒もたくさんいた。そういう意味では、旧制高校のシステムが人格者を育てたとは言い難い。しかし、これらの高等教育機関においては、華族・士族など上流階級の出身者の比率が一般より高かったことも事実である。

そういう人材が多いということは、結果として卒業生に人格者が多く存在することに繋がる。また、その波及効果もある。元々は勉強だけで成り上ってきた地方出身者でも、広い教養と文化的素養を持ったクラスメイトに触れることで感化され、広い視野を持つ人物になった人もいるだろう。教育カリキュラムが人格者を育てるというよりは、こういう文脈で旧制高校出身者に人格者が多かったことは確かである。

さて、日本の大学のあり方が大きく変わったエポックの一つに、共通一次試験の実施がある。共通一次試験は1978年度(1979年1月)から実施され、1989年度(1980年1月)からは「大学入試センター試験」と名称やシステムが変更され、今に続いている。そもそも入学試験を共通化するという共通一次試験のシステムは、当時激化していた受験戦争への対策として導入されたものである。

その時槍玉に挙げられたのは、旧帝大を中心とする、エスタブリッシュされた格の高いエリート校である。学生運動が華やかだった1960年代末以来、それらの大学のステータスを解体すれば受験戦争は解決する、という文脈があたかも社会的コンセンサスになっていた。そのコンテクストの上に登場してきたのが、共通一次試験である。従って、直接的にターゲットとされたのは、それら帝国大学や旧制高校の流れを汲む大学の入試である。

それら格の高い大学の入学試験は、難問・奇問といわれていた。それは、勉強だけでは歯が立たない、生徒の人間性を問うような、記述式の問題が出されたからである。そもそも、勉強や努力だけでは点が取れない問題を課することで、受験生の偏差値だけでなく、人間性をチェックしようという視点があったからこそ、こういう問題が出された。奇貨置くべしで、こういう設問に好成績をのこした受験生は、他の科目の成績と関わりなく、合格がだされたりしたことがそれを示している。

確かに共通一時以降、難問・奇問は激減した。きちんと勉強していい点さえとれば、どの大学でも必ず入れる可能性がある。これは言い換えれば、教養や人格がなくとも、偏差値さえ高ければ、評価される時代が到来したことになる。事実、共通一次の実施以降、かえって偏差値偏重主義は高まり、点数を取るテクニックの競争は激しくなった。いろいろ批判は多いものの、開始から20年を経たあたりで、偏差値主義は、日本社会に完全に定着した。

20世紀の到来と共に、日本を席巻した大衆社会化の波。大正デモクラシーののち昭和に入り普通選挙が行なわれるようになると、少数エリートとしてのエスタブリッシュメントと、マスの力をバックにした大衆という鬩ぎあいが、社会の基本的構図になる。そして戦時体制と共に大衆社会化は一気に進み、いわゆる40年体制でその確立を見る。そして、その総仕上げとして、大衆の最後の反撃となったのが、共通一次試験による、エスタブリッシュメント教育の解体であると捉えることができる。

誰が見ても、今の日本の官僚は、自分たちの権益のことしか考えておらず、公の立場は、表面的なタテマエでしかない。こういう体制が常識化した時代と、共通一次出身者が社会で活躍し出した時代は、完全に一致している。その「結果の平等」的価値観の破綻は、すでに明白なものとなった。偏差値主義の根本的問題は、成り上りを目指すところにある。必要なのは、成り上がれる社会よりも、分をわきまえていれば幸せになれる社会を築くところにある。


(13/03/22)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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