essay 795

恋する世代





もはや歴史の彼方にノスタルジアと共に語られる時代となってしまったが、60年代後半から70年代にかけて、「恋すること」は、あたかも若者の特権のように思われていた。この時代に勃興してきたフォークやニューミュージックのヒット曲は、今やナツメロとなっているが、その多くが、一人称で出会いや別れを唄った「恋の唄」だった。そして、シンガーソングライターとしてそれらの曲を作り唄ったのは、主として団塊世代に属するアーチストだった。

日本における「恋愛」の構造が大きく変化したのは、団塊世代以降ということに関しては、ほぼ異論がないであろう。国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」によると、1950年代では、7割近くが見合結婚だったが、その後一貫して減少。恋愛結婚と見合結婚の比率が逆転し、それまでの見合結婚主流から恋愛結婚主流に変わったのは、70年前後。1967年に行なわれた第5回調査では48.7%対44.9%と拮抗しながらも逆転し、72年の第6回調査では、61.5%対33.1%と完全に大勢が入れ替わったことがそれを示している。

団塊世代は、強烈な求心力と上昇志向を持つため、意識と実態とが、統計数字的にリンクしないことが多い。たとえば、大学進学率が1割台だった割には、「全共闘世代」を名乗ったりするのがその典型である。しかし、ことこの問題に関しては、ピタリとシンクロしている。これは、団塊世代内でマジョリティーを占める高卒・集団就職者のほうが、結婚時期が早く、それが全体の傾向を規定したためであろう。格好つける前に、結婚していたというべきだろうか。

さて80年代になり、バブルへまっしぐら。相変わらず若者は恋をしていたが、少し状況が変わる。金妻に代表された、不倫ブームである。80年代に入ると、30代の既婚女性は、恋をヤメなかったのだ。またも、その主役は団塊世代である。団塊女性は、恋し続け、恋愛し続けていたのだ。こうなると、恋愛は、もはや若さではない。実はこの時点で、恋愛と若さとは関係ないと気付くべきだったのだろう。しかし世間の常識としては、恋愛は若者の特権という見方が、相変わらず流布していた。

団塊世代の女性は、史上最強の女性といわれる。そもそもまだまだ貧しく発展途上だった時代に育っただけに、その後の世代よりも「基礎体力」とスタミナがある。その一方で、技術の進歩と経済成長で、家事労働の負担が飛躍的に軽減された時代に結婚し所帯を持った。さらに、元祖専業主婦世代でもあるので、それ以前の主婦のように、自営の家業を手伝うような形で、仕事に忙殺される苦労もなくなった。とにかく、同世代の男性に疲れ切ったヒトが多いのと逆に、いくつになっても元気満々なのである。

恋愛とは、コーホート分析的にいえば、若者に特有の「年代効果」でも、7・80年代のブームとしての「時代効果」でもなく、「世代効果」だったのだ。団塊世代から、せいぜい新人類世代まで。まさにこの世代が「恋する世代」である。この連中は、実年齢とは関係なく「恋してしまう」のだ。バレンタインデーのようなバブリーな仕掛に、今でも乗っているのはこの世代が多いのも、こう考えればうなずける。

逆に「団塊Jr,」以降の世代が、草食男子などと呼ばれるように、恋愛に対して淡白なのも、決して不思議なことではない。その上の世代が、恋愛に対して積極的過ぎただけのことである。昭和20年代、30年代の都市部の平均値を取るならば、今の20代・30代も決して変わった存在とはならないだろう。特異点ともいえる世代が、自らが社会の中核を占めるようになったことを良いことに、自分達を基準としてモノを語っているから、変なコトになるのだ。

60年代末から70年代はじめの「恋愛」というと、今となっては、アメリカ映画に代表されるような、何か欧米的な価値観を連想しがちである。しかしこうやって見て行くと、その本質はそうではないことが理解できる。日本においても、都市部では明治以降、ヴィクトリア朝期のような、19世紀的な倫理観が輸入され、男女関係や家族関係もそれに規定されるようになった。このため、男女関係においても、極めて禁欲的なあり方が「上品」とされた。

しかし、それはあくまでも都市部の上・中流階級の人々に限った価値観である。農村部においては、江戸時代同様の、日本的な男女関係・性倫理が残っていた。それは、母系大家族をベースとする、非常に大らかなものである。「夜這い」などの習慣はよく知られているが、極めて奔放な男女関係こそ、日本の農村共同体の伝統だったのだ。こういう気風は、高度成長の波が農村部に波及するまで、ある程度残っていた。昭和30年代には、農作業の途中のオバさんたちが、やおらあぜ道でスソをめくって小用をたすシーンなど、よく見かけた。

団塊世代は、生まれた時代の人口構成からして、その2/3以上が農村部で生まれ育った。そして昭和20年代の農村社会は、まだまだ旧来の大らかな性意識が大手を振って活きていた。団塊世代の恋愛観の基本は、まさに農村の伝統的な男女関係の奔放さにある。刷り込まれた「農村的な男女関係の意識」が、戦後の「民主主義」教育によって理論的バックボーンを獲得し、核家族中心の社会構造の変化の中で結婚し家庭を作ることになったことで、この団塊世代の「恋愛観」は生まれたのだ。

ここまでその構造がわかれば、もはや遠慮も躊躇もいらない。「恋する世代」は、どんどん恋すればいい。自己責任が果たせるのであれば、死ぬまで恋し続ければいいだけのことだ。その一方で、そこまで恋愛に熱中できない世代は、別に卑下することもない。「恋する世代」の方が、ちょっと異常なのだから。そう棲み別けてゆけば、それなりにウマく行くはずである。そのうち、団塊世代の婆さんが、女にアブれている若い男をたくさん侍らすハーレムを作るなんてことになったりしても、それはそれで幸せでは。


(13/04/19)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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