essay 799

新自由主義のむずかしさ





感情論も含め、いろいろ言われることは多いものの、市場原理は、理論的には最適解をもたらすモノであることは間違いない。理論上、理想状態を前提とするならば、市場原理に従うことによってのみ、資源の最適配分や最高効率の実現など、全体最適が実現される。バラマキ論者にとっては目の敵かもしれないが、少なくとも産業革命以降の経済の高度化した社会を前提とする経済学理論としては、これを否定することはできない。

しかし、現実社会に市場原理を導入しようとしても、なかなか理論通りにウマく行かないのも事実である。バラマキ主義者はここを突いて、「市場原理は間違っている」と言いたいところだろうが、そう単純な話ではない。経済理論としての市場原理が正しくても、だからといってそれを即社会に適用すれば、全てが解決するというほど、世の中は単純なものではない。これは、あらゆる経済学理論に共通する問題である。

ニュートン力学などの物理学は、「摩擦0」の系を前提として理論を構築している。それはそれで天体の運行など、そのまま理論を適応しても、それなりに妥当性のある答えが出てくる分野もある。しかし、実生活に関わる領域では、これだけで実用的な答えを出すことはできない。機械の設計など工学的分野では、逆に摩擦を増やしたり減らしたり、それをどう利用するかというのが研究対象になっているぐらいである。

経済学の問題もこれと同じである。ちょっと前に流行った「行動経済学」ではないが、理論のベースとなっている「全てのプレイヤーが全ての情報を知りうると共に、最も合理的な判断を行なう」という理想状態が、現実にはありえない。優柔不断で欲深い生身の人間がプレーヤーになっているのが現実の社会であり、経済活動の舞台はその現実社会なのである。市場原理がなかなか現実社会で真価を発揮できないのは、人間の不完全さが原因なのだ。

まとめてみると、こういうことになる。市場原理の理論的な正しさは間違いないが、それを現実社会に導入しても必ずしもウマく機能しないのは、社会そのものが理想状態から程遠い不完全なものだからである。逆にいえば、市場原理を機能させるためには、社会の理想状態からの乖離を補完し、できるだけ完全状態に近づけることのできるような、制度やシステムを導入することが求められる。そして、それができなかったからこそ、今までウマくいかなかったのである。

情報の対称性・完全性については、20世紀末以降に進展した社会の情報化により、状況は大きく改善され、理想状態に近づいてきた。情報に関しては、それを溜め込んでおいても何も価値を生み出さない一方、オープン&フラットに利用できる環境を作れば、次々と新しい価値が生まれることが実証された。せっかくの情報も、それを隠匿してしまっては、世の中の流れから取り残されてしまうのだ。少なくとも情報については、まさに市場原理が機能するようになった。

となると、残るは人間の不完全さの問題である。それはある意味、ギャンブル性の高いリスキーなものを好んだり、ハマればハマるほど依存症的な判断しかできなくなったりというように、各個人の性格に基づいている。性格が百人百様である以上、この構造が改善される状況は望みようもない。理論のような「合理的人間」からなる社会は、人間がそれを構成する以上、永遠に実現不可能である。

では、市場原理が機能する社会はありえないのか。そんなことはない。現代の経済活動は、金額的にみればかなりの部分が、組織行動として行なわれている。そして、組織の意思決定は、個人の意思決定よりは、合理的かつ理論的に行なわれる可能性が強い。すなわち、いわゆる「BtoB」の部分だけでも最適化が実現できるなら、かなりの部分で市場原理が機能する社会を構築できることになる。

ここで問われるのが、組織の「リーダーの資質」である。組織自体が全体最適を前提に動くためのカギとなるのが、リーダーシップである。高い理想とビジョンを持ち、単に目先の利害ではない「戦略」的視点から、組織の全体最適を考えるコトができる人材がリーダーとならなくてはならない。クラウゼヴィッツの「戦争論」ではないが、「戦闘は政治のための道具」すなわち「戦術は戦略のための道具」と考えられる人しかリーダーたりえない。

これが、一般の兵隊とは違うところである。兵にとっては、目先の敵を撃破することが、唯一・最高の目的である。だから彼らは、「戦術」しか考えられない。極端な部分最適しか考えられないのだ。しかし、こういう「軍曹上がり」がリーダーになってしまうのが、日本の組織の構造的問題点である。「戦術的人間」と「戦略的人間」は、人間の質が違う。そして、リーダーになれるのは後者だけなのだ。

市場原理が機能する社会とは、兵隊上がりがリーダーになってはいけない社会なのだ。日本で市場原理、競争原理がウマく機能しないのは、ここに問題がある。リーダーたりうる人間だけが、リーダーシップをとる社会になることは、日本が21世紀にもプレゼンスを発揮するための大前提でもある。それが実現できたなら、必然的に市場原理が機能する社会となっているはずである。これは「タマゴとニワトリ」ではない。まずやるべきことは、真のリーダーシップの確立である。


(13/05/17)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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