essay 812

誠意が通じない相手





世の中の基本は、双務的・インタラクティブな関係にある。「情けは人のためならず」ではないが、人に良かれと思って取る行動は、めぐりめぐって自分にとってもメリットを生む。短期的な部分最適ではなく、長期的な全体最適が、結果的に自分にとっても周りにとっても最大の成果をもたらす。こういう視点や価値観を共有できる人々の間では、誠意がなによりも意味を持つ。互いに誠意が通じるし、相手の誠意を信じているのである。

世の中が精神的に豊かになるということは、このような関係性がもてる相手は増えてくるということである。日本も経済大国と呼ばれて、すでに40年近く。失われた10年、20年と呼ばれるが、経済全体のパイが大きくならなくても、全国津々浦々、それなりの生活がつつましくできる社会が続いているということは、それなりの豊かさと安定感が共有されているということができる。高度成長以前には頻発していた、強盗殺人のような貧しいがゆえの犯罪は、今や時代劇である。

しかし、こういう時代になっても、まだまだ自分中心で、誠意が通じない相手がいる。その代表格は、バラ撒きを期待している、労働組合、共産党、社民党などかつての「革新勢力」だろう。確かに高度成長期においては、親方日の丸のドンブリ勘定から、少しでも分け前を多く取ろうという戦略は功を奏したかもしれない。だが、そのスネ齧りの味が忘れられないのか、ない袖は振れない状態になった今でも、口を開けば「よこせ、バラ撒け」である。

主義主張を装って正当化しているが、甘い汁にありつくのがその目的なのは明白だ。何を言っても反対してくるのは、主張があるから反対するのではなく、バラ撒きにありつくために、ゴネ得を狙うことが目的だからだ。だから、よく主張を聞くと、主張が相互に矛盾しているコトも多い。それに加え、現状に反対することで、自分を現状のスキームのアウトサイダーである「弱者」と規定でき、バラ撒きを受けやすくする効果があることも見逃せない。

バラ撒きの主体は、その多くが官庁や地方公共団体などのお役所である。そして、その原資は税金である。バラ撒く理由付けとしては、「弱者の救済」というのは、タテマエとして反論できない分、極めて通りがいい。バラ撒きが喉から手が出るほど欲しい「革新勢力」にとっては、弱者を装うことで、官によるバラ撒きのコンセンサスがとりやすいスキームが作れる。だからこそ、被害者面してゴネるのだ。バラ撒いて利権を増やしたい官僚にとっては一心同体、組みし易い相手である。

この「弱者救済」という「水戸黄門の印籠」は、官によるバラ撒きを考える上では、極めて重要なキーワードである。補助金行政などは、その典型だろう。バラ撒きにありつくための形式要件としては、こんなに重宝なものはない。逆にいえば、官の無駄使い、バラ撒き利権行政に切り込むためには、この「弱者救済」というまやかしにダマされないことがカギとなる。この表層性をあらわにすれば、その論拠は一気に薄弱化する。その典型的な例を見てみよう。

日本の農業においては、農業収入が主たる収入となっていない「第二種兼業農家」が戸数ベースでは圧倒的である。バブル期の1990年には約67%、現在でも57%を占めている。多くの場合、主たる収入源(というか、全てのということも多い)は給与であって、農業は実質的に自家消費用になっている。構造的には、日曜菜園で作物を作っているサラリーマンと何ら変わりがない。ところが、「第二種兼業農家」であることにコダわる理由がある。

それは、農地を持っていて、兼業であっても「農家」だというだけで、いろいろな農業関係の補助金が貰えてしまうからである。息子が役場に勤める公務員で、その給与で実質的に一家が生活しているにもかかわらず、その親が農業をしているということにして、補助金を貰う例もある。これなど、かつて話題が炎上した、お笑いタレントの親の生活保護不正支給疑惑と何らかわらないではないか。

「TPP反対」を叫んでいる人達の実態は、こんなモノである。グローバル化すると、フェアな競争が求められる。そのためには、補助金行政の実態をディスクローズする必要が生まれる。しかしこの利権構造が「見える化」されると、おいしいバラ撒きができなくなる。しかし正面切ってそうは言えないので、国内農産物保護とか、お題目の屁理屈を並べているだけのこと。TPP反対の本音は「バラ撒き利権の保護」である。

このように、日本の農業は長年に渡るバラ撒き漬けで、産業としての矜持を失い、補助金を貰うための手段となってしまった。この様相は、役所による補助金行政が行なわれている業種であれば、多かれ少なかれ、同じ構造が見られる。マトモに、真剣にビジネスをやるより、形式要件だけ整えて、補助金のバラ撒きにありつく。こういう連中が過半数を占める業種が、産業として真っ当な発達を遂げることができるワケがない。

シャッター商店街を生み出しているのも、同じ構造だ。仕舞た屋にしておいたほうが、新たなビジネスを始めるよりも楽でおいしい補助金利権があるからこそ、店構えを残したままでシャッターを締め切ったり、申し訳のように形式的に営業したフリをしたりしているのだ。かわいそうな弱者である旧来の商店街を救うというのは、補助金を出す言い訳としては充分な要件である。ここでも、官と民の思惑が一致している。そして一致したからこそ、シャッター商店街が生まれてしまったのだ。

しかし、この中には重要な示唆がある。バラ撒き利権には、バラ撒くタテマエが必要になる。しかし、そのタテマエは机上の空論で作った屁理屈なので、実態がないし実情とも矛盾している。だから行政は、そこを必死にブラックボックス化して隠している。逆にいえば、このブラックボックスをディスクローズし、見える化してしまえば、バラ撒き構造を白日の元に晒し、その利権構造を解体することができる。今必要なのは、中央官庁も、地方公共団体も、この見える化である。財政が破綻しそうな今こそ、そのいいチャンスであるのは言うまでもないだろう。


(13/08/16)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる