essay 814

思想信条の自由





思想信条の自由は、現代の人間社会を成り立たせる上では、何にも増して重要な要件である。しかし、今の日本社会においては、その根幹をはきちがえている人が多い。それは、思想信条の自由は、誰かから与えられ実現してもらうものではなく、自力で実現して初めて手に入れることができるものであるという点である。 この「自立・自己責任」の精神がなくては、真の意味での思想信条の自由はありえない。

思想信条の自由を実現する上で大事なのは、主張する論理の中身ではなく、それを支える精神性なのだ。だからこそ、その精神性さえ共通していれば、いかに表面的な主張は違っていても、あらゆる信条を認め合うことができ、互いの崇高な精神を称え尊重することもできる。実際、自らの主張や立脚点が違っても、それぞれの「大物」同士は、互いの存在やプレゼンスを認め合っていることが多い。それは、この精神性を共有しているからこそ、なせる技である。

ところが、革新政党、左翼、市民運動家、社会運動家、リベラルな知識人といった人々は、ここのところがめっぽう弱い。彼らは頭でっかちで、屁理屈だけはウマいが、行動力が皆無なのだ。だから、その屁理屈で誰かを焚きつけて行動してもらい、動きが起こったら、その尻馬に乗ることしか考えない。いわゆる秀才型、評論家型なのだ。だから、互いを認め合うことができない。枝葉末節の言葉尻の違いで、どんどん分派活動が進み、近親憎悪に明け暮れることになる。

その点、かつての「新左翼」は、無謀で幼児的とはいえ、自分たちが暴れれば、そこから何かが変わるし、変えるためには、犬死にであっても暴れずにいられない、という純粋な信条があっただけ、好感が持てる。屁理屈で自分を守ろうとする秀才より、頭に血が上ると、ことの成り行きも考えずつい動き出してしまうバカの方が、よほど思想信条の自由を実現するための掟を、身をもって理解しているのだ。

そもそも、屁理屈や言い訳を考えるヒマと知能があるなら、作戦勝ちできる戦法を考えればいいではないか。自由を勝ち取る手段は、なにも肉弾戦だけではない。頭脳戦でも勝ち取ることはできる。勝負せずに逃げたのでは、権利はない。だが、勝負はガチンコでなくても、勝てばいい。秀才なら、そのぐらいの知力はあるだろう。強い方が勝つのではなく、勝った方が正義になる。だからこそ、自由は勝ち取るものなのだ。

ベトナム戦争における米軍ではないが、アフガン戦争におけるソ連軍ではないが、圧倒的に物量に勝る正規軍も、ジャングルや山岳地帯に引き込んでしまえば、ゲリラ戦法にはかなわない。戦いは目的ではなく、戦略を実現するための手段なのだ。アマチュアの格闘技ではないのだから、圧倒的なパワーで一方的に押しまくって勝つのだけが勝ちではない。作戦勝ち、駆け引き勝ちでも、勝ちは勝ちである。

行動するとは、自らの義務と責任を果たすこと。それなくして、権利だけ主張することは許されない。屁理屈と言い訳で他人の尻馬に乗り、オイシい思いをしようとすることは自立した個人から構成される社会では、元来許されないのだ。権利は与えられるモノではなく、自分で勝ち取るもの。その重みを知るものだけが、権利を主張することができる。ここがわかっていない、「甘え・無責任」な連中が、日本にはいかに多いことか。

これは、戦後スキームの問題ではない。すでに江戸時代から、日本の庶民は「無責任階級」であることを満喫し、そこにどっぷりと浸ってきた。武士は名と責任をとり、庶民は実と無責任を取る。庶民は面従腹背で、好き勝手に振舞うことができた。この流れが明治以降も温存され、20世紀に入ってからのグローバルな大衆社会化の波と融合し、世界にもまれな「甘え・無責任」社会を実現した。その到達点が「無責任社会主義」とでもいうような、今に続く「40年体制」である。

確かに日本国憲法に代表される戦後「民主」体制は進駐軍に与えられたものだ。だが、それが広まりこれだけ定着したのは、それまでの「天皇」に変わる責任回避の印籠として「アメリカの権威」を求めた、日本の大衆の幅広い支持があったからだ。アメリカも日本人のメンタリティーをかなり研究していたので、戦後の日本統治のスキームとして、この「甘え・無責任」な習性を活用したということは充分に考えられる。米国、恐るべしである。

政治家がなってない、とか、レベルが低いとか、したり顔で言うヤツもよくいるが、これも同じだ。自分が動かず、政治家に何かしてもらおうと思っているのは、おいしいバラ撒きにあずかることを期待しているのと同じ。自分の道は自分で拓く。自分の世界は、自分で守る。これがグローバルスタンダード、いや人類のスタンダードである。誰かに何かしてもらおうと思っている時点で、すでに自分の世界は失っている。そういう連中には、存在意義も、社会的な居場所もあり得ない。


(13/08/30)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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