essay 823

成長の意味





市場経済を論じると、すぐにそれを右肩上がりの成長と結びつけて考える人が多い。もちろん、「成長が求められる場合に、市場原理は強力な武器となる」という因果関係があるのだが、成長はどんな場合にも善なのだろうか。企業には成長が必要であるといわれる。果たして本当にそうなのだろうか。この真意を理解するには、現代社会における企業の持っている機能や役割に関する深い理解が必要である。その機能にしたがって、成長が必要かどうか分析してゆこう。

企業には、経済活動を行なう主体という側面がある。この機能についていうなら、経済活動を継続的に行なわなくてはならないという使命からすると、譲れない一点としてクリティカルなのは、P/Lが赤字ベースとなり資本を喰いつぶしてしまうことである。利益を出してストックを拡大するというのは、あくまでもその先にあるオプションであり、黒字にならなくても収支トントンで廻っていれば、ひとまず事業の継続性は担保できる。

このように、経済活動を行なう企業であれば、即、利益を出すことが求められるわけではない。言い換えると、経済活動という面からは、成長が絶対的に求められることにはならないことになる。成長しなくても、企業としての使命は全うできるのだ。普及率が100%のインフラ事業などは、このいい例だろう。必要とされる原価や各種コスト、場合によっては一定の収益まで賄えるだけの売り上げが立てば、安定して事業は継続できる。

では、なぜ成長が求められるのか。その理由は、企業が経済活動を行なうに当っての資金調達の形態に求められる。現代の株式会社においては、資金の調達は、株式の発行、社債の発行、金融機関等からの直接金融のどれかである。基本的に「お金を持っている人から借りて、資金を調達」していることになる。いずれの形態にしろ、借りている以上はそれに見合う「利子」を支払って、貸し手の側の債権の期末の価値を、期初より大きいものにしなくてはならない。

それは借りる上での経済上のルールであると同時に、金の貸し借りも自由競争が成り立っているマーケットで行なわれる以上、避けられない要素でもある。すなわち、資金を持っている側は、どこに貸す(投資する)かについてはフリーハンドを持っている。そうである以上、もっとも有利と考えられる先、すなわち期末の価値がより大きくなるところにその資金を投入するのは当然である。このサヤを生み出し、大きくするためにこそ、成長は必要とされるのだ。

さらに組織の自己目的化も、それに輪をかける。組織が大きくなると手段が目的化し、ほんらいその組織が設置された目的の事業をやるためではなく、組織自身を維持し発展させることが組織の目標化してしまう。事業を行なうためには必要にして充分な規模があったとしても、それを維持しているだけでは組織間の競争に負けてしまう。組織自身を維持するために、必要以上に組織を大きく拡大することが求められるようになるのだ。

これを実現するためには、成長は欠かせないものとなる。いや、組織の拡大が目的化してしまった以上、成長それ自体も目的化してしまう。拡大を求めるから成長が必要になる、といった方がいいかもしれない。明らかに本末転倒であるが、そもそも組織の自己目的化自体が本末転倒なのだから、これは必然的な展開ともいえる。そして現代日本においては、組織の自己目的化に対し、なんら疑問を感じない人がほとんどを占めていることも事実だ。

今述べた状況をステークホールダー別に見て行くと、さらに構造がわかりやすくなる。成長を求めるのは、資金を提供している人、すなわち投資家として企業に関わっている人と、組織を構成している人、すなわり社員として企業に関わっている人ということになる。それに対し、その企業の製品やサービスを利用している顧客、オーナーやファウンダー、一部の専門性のある社員など、その企業の事業にこだわりを持っている人は、必ずしも成長を求めているわけではないのだ。

厳密に言えば、現在顧客ではないが潜在的な顧客となり得る層は、成長することによって規模が拡大すれば、自分が顧客となるチャンスが増えるかもしれない。だが、この層は現状におけるステークホールダーではない。すなわち事業そのものに関わっている層は、成長を求めるものではなく、間接的な手段として企業を見ている層が、成長を求めているのである。そして、企業が事業を行なうに当っては、必ずしも後者の層が必要とされているわけではない。

全てを自己資金で賄えるオーナー企業であれば、成長はいらないのだ。実際、こういう企業は利益を追求し、配当を増すだけが能ではなく、収益の中から文化活動や社会活動に多くを割いているところも多い。逆に、株式会社型の大企業は、事業の本質とは別に、どうしても成長を追い求めてしまう習性を持っている。そう、良い悪いではなく、大企業とは高度成長期に最適化した企業形態なのだ。こういう面からも、もはや日本は大企業中心で経済が動く時代ではないことがよくわかる。成長がなくても生きてゆける企業こそ、これからの日本にはふさわしいのだ。


(13/11/01)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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