essay 824

勝ち技





プロのギャンブラーは、なぜ強いのか。それは類稀な強運を持っているからではない(まあ、中にはそういう人もいるかも知れないが)。実は、強いのは「負けない」からである。そして負けないための究極の技こそ、「退き時を知っている」ことである。ギャンブルでトータルに勝つには、退き時をわきまえることがポイントになる。負けるのは、このタイミングを逸することで自滅している場合がほとんどである。

賭け事のような勝負事には、「まだ行ける」はない。はじめから「ここより先は深追いしない」というポイントを設定し、それをキッチリ守ることが負けない秘訣である。まだまだ行けそうと思っても、想定していただけ実入りがあれば、そこで打ち止める。運がない時には、あっさりあきらめる。そのためには、これ以上傷が深くなったらヤメる、という限界点を決めておき、それを厳守する。いい方も悪い方も同じである。

勝っているにしろ、負けているにしろ、熱くなって冷静さを失ってしまうのが勝負には一番悪いのだ。この「退き時」のポイントを冷静に守っていれば、個々の勝負ではプラスマイナスこそあれ、いくつかの勝負を通した全体としての「勝ち」を極大化することができる。入りをかっちりと確保にするとともに、損失を最小限にとどめることに繋がるからだ。あるいみ、これも部分最適ではなく、全体最適という視点を持つことの重要性を示している。

この、熱くなってしまうと冷静さを失い、極端な部分最適に陥って、全体としては損失につがなるという構造は、日本人においてしばしば見られる。日本のスポーツ選手が、実力のワリに国際試合などで勝負弱いのも、妙な精神論を持ち出すため、勝つための駆け引きに必要な冷静さを失ってしまうためだ。オークションなどでも、張り合いだすと熱くなって止まらなくなり、相場を大きく越えても、意地で応札しているのは、だいたい日本人だ。

そして、このプロのギャンブラーに求められる「勝ち技」は、ビジネスに関しても同じである。中長期的視点から判断した場合、いろいろな面で「退き時」をわきまえ、それをきっちり守ることが、利益の極大化に繋がる。深追いは禁物なのだ。しかし日本人は、ビジネスにおいても、引き際が下手といわれる。一旦始めたビジネスは、誰もやめられなくなってしまい、ずるずると危険領域まで足をすくわれてしまう。

始めることはたやすくても、やめる判断をできる人がドコにもいないのだ。それは一つには、戦略的視点から、責任を持ってリーダーシップを発揮する人材がいないことに起因する。もう一つは、トップに立つ人材が「経営者」的な人間ではなく、現場監督的な人間が責任者になりがちなため、職人的に業務そのものにこだわりすぎて目的化してしまうことが原因となっている。

プロダクトライフサイクルがあるように、事業にも寿命がある。かつて「企業の寿命」が議論され、同じビジネスモデルが通用するのは30年が限度といわれていた。同じビジネスが未来永劫続くわけではないのだ。企業を継続させるには、新たな事業を起こしそれをメインビジネスに据えるか、同種の製品やサービスを提供し続けるなら、そこにイノベーションを起こし、あらたなビジネスモデルを構築する必要がある。

海外においては、オーナー/経営者と事業の専門家とは別の人間であることが多いため、寿命が来る前に事業を企業ごと売却してしまうことが多い。そういう意味では、ピークのちょっと手前が、一番の売り時である。ピークになってしまえば、あとは落ちるだけというのが誰の目にも明らかなので、値が叩かれるだけである。しかし、まだ伸びているように見えるピーク前であれば、充分高値がつく。

そして、その事業がピーク手前のところかどうかは、中のヒト当事者にしかわからない。折り返し点ギリギリのところで、まだまだ伸びるように見せて売るのが一番高く売れるテクニックである。このアドバンテージを活用して、高く売り抜くのが、経営者の手腕である。退き時を見切れない日本の経営者の中には、こういう判断ができる人材は極めて少ない。それゆえ、逆にM&Aでもババをつかまされることが多くなる。

米国の経営者で、事業そのものにこだわりを持っている職人オタク的な人は、いないわけではないが少数である。仕事そのものの夢より、仕事で成功してリタイアしてからの夢の方が重要だと考えている人も多い。だからこそ、クールに割り切れる面もある。しかし、これがグローバルスタンダードなのだ。日本も、今後はプロギャンブラーのような「引き際の魔術師」が重視され、経営のリーダーシップを取る必要があるだろう。


(13/11/08)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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