essay 826

運用の国





秘密保護法案に関連して、戦前の治安維持法を引き合いに出し、天下の悪法であるとする論調が多い。しかしその中身をみると、治安維持法の成立した経緯や、その後の運用され方の歴史について、キチンとした認識を持っていないイメージ論・感情論ばかりなのが、なぜか目立つ。明治憲政下での政治や行政については、逆に戦後タブー視・アンタッチャブル視され、まともな研究分析が行なわれてこなかったツケがここに廻っている感がある。

治安維持法自体は、その条文を客観的に読み、当時、世界各国が持っていた同種の法律と比較してみれば、その性格は良くわかる。法律自体は決して悪法でもなんでもなく、ロシア革命と共に現実のものとなった共産主義の脅威に対し、1920年代の欧米諸国が持っていた法律と比べても、決して厳しいものではない。どちらかというと、法律の規定としては比較的緩い方といえるだろう。いわば、その時代の「常識」の範囲である。

もちろん、第一次世界大戦から世界恐慌の時期の話なので、今の「常識」と違うのは当然である。しかし、当時の「常識」を理解せず、今のグローバルな標準との比較でモノを語ろうとする人が非常に多い。しかし、それは感情論としてはなりたっても、科学的視点とはならない。比較するためには、共通の基盤を定め、その上で比べなくては意味がない。それをしないのでは、単に見た目のイメージだけで語っているに過ぎない。

しかし戦時体制下になると、治安維持法の名の元に、言いがかりのような罪を着せられ、多くの人が逮捕されたことも事実である。だがこれは、法律の条文問題ではない。法律の運用の問題である。日本の行政は、常に法律の条文を厳格に定め、ストイック守るのではなく、いかようにも解釈可能な玉虫色の条文を、その場その場に合わせて拡大解釈して運用するところに特徴がある。治安維持法にまつわる問題も、法律ではなくその運用・濫用がもたらしたものである。

その証拠に、普通選挙が実施され(治安維持法は、普通選挙実施に際して、共産主義者等が暗躍し紛れ込むのを防ぐために、抱き合わせで作られた法律であり、普通選挙をに賛成した政党は、法案に賛成している)二大政党による政党政治が花開いていた昭和ヒトケタの時代においては、本来の趣旨に合わせ、かなり厳格に運用されていた。社会主義活動家を起訴する場合にさえ、闇雲に適応したわけではないことは、政治犯の判例を調べればすぐにわかることだ。

いつも主張している「まやかしの護憲(本当に非戦主義者なら、解釈で自衛隊が保持できる現行憲法を改め、いかなる戦力も保持できない憲法に改憲することを主張しなくてはおかしい)」と同じで、日本のこの悪弊を一新するのは、全ての事項を法律の条文で厳密に定義し、常に条文のアップデートを繰り返すと共に、それを遵守するという、ストイックな法治主義を取り入れない限り無理である。それは余りに現実的でないのなら、「運用」をチェックする仕組みを取り入れるほうが速いだろう。

そもそも、戦前の日本が戦時体制へ突き進んで行ったこと自体、誰かが戦略的に決めたことではなく、なしくずし的に「運用」の拡大解釈を重ねた結果である。それは、大衆社会化が進むと共に、大衆の輿論が国自体の流れを決めるようになったこと、すなわち「有産・有責任階級」が統治するガバナンスのある国から、「無産・無責任階級」が統治する戦略なき国への移行と軌を一にしている。それ自体、法治国家からの逸脱である。官僚や軍人(これも官僚だが)が大日本帝国憲法を遵守していれば、ああいう無謀な戦争には突入しなかったはずだ。

そして、その運用万能の体制が確立した姿こそ、今に繋がる「40年体制」なのである。官僚達は、自らの責任を曖昧にすべく、観念的に「戦前」と「戦後」を切り離し、責任を全て「戦前」に押し付けてしまった。しかし、近代日本の歴史的な切れ目は、「40年体制」的なものの以前・以後にある。その中で運用万能主義は、40年体制的なるものの象徴ともいえる。利権バラ撒き行政も、お手盛り天下りも、全て運用のなせるワザなのだ。

もし治安維持法から学ぶものがあるとするなら、運用を官僚に任せてはいけないということである。そこから得られる教訓は、官僚達が恣意的な運用をしないよう、常にチェックできるガバナンス機能を確立することである。矛先を向ける相手が間違っている。なんせ、今の官僚達は、何の反省もない、まさに「40年体制」の直系の申し子なのた。法律の是非を議論しても意味はない。これを機会に、官僚の既得権を見直すことこそ本筋である。


(13/11/22)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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