essay 827

生活者の力





2013年の日本カー・オブ・ザ・イヤーには、フォルクスワーゲン・ゴルフが、輸入車として34年の歴史ではじめて選定された。新型ゴルフは輸入車としては珍しく、邦人タレント(サザン・オールスターズ、確かにターゲット的には良く合っている)を起用した、日本国内向けの独自キャンペーンを実施していることも含め、もはや国産車対輸入車という構図で捕らえることが無意味になってしまったことを、図らずも示している。

一方このところ、ロボット掃除機「ルンバ」のスポットキャンペーンが目立っている。それだけ広く売れる商品になったということであろう。海外家電製品が、通販や一部量販店に限った販売からスタートし、一般的なメジャー商品になるというパターンは、ダイソンのサイクロン掃除機アタりがその嚆矢だと思われるが、20年前の90年代では、まだほとんど考えられないような商品普及パターンであった。

もちろん、80年代のバブル期から、デロンギのオイルヒーター、コルビーのズボンプレッサー、はたまたボーズのオーディオなど、独自のデザインを持つハイエンド商品としてステータスを築いていたブランドはある。しかしこれらは、マニア向けだったり、高級ブランド家電だったり、あくまでもニッチなターゲットを狙う、今でいう「ロングテール」な商品と位置づけられていた。

長らく日本の流通市場の閉鎖性が問題視されてきたが、ここに至ってその「壁」も崩壊したかのように見える。生活者は、欲しい商品を自由に比較し、自由に選択できる状況になったことは確かだ。とはいえ、これは誰かが規制緩和したり、制度改革したりしたことの結果ではない。文字通り市場原理・競争原理が働き、ユーザーの選択が市場の動向を決定付ける、「マーケット・インの流通市場」が形成されたことの帰結である。

これを見ると、1950年代にガルブレイスによって提唱され、1970年代にセゾングループの堤清二氏がその流通改革の理論的主柱とした、「カウンターヴェイリング・パワー」論が思い起こされる。最終的には、生活者の選択がマーケットの構造を変えるという、極めて民主的かつ市場的な変革が成し遂げられたことになる。それはある意味、かつての市場も誰かが独占的な地位を利用して「閉鎖化」していたのではなく、結果としてそういう形態になっていたことを示している。

すなわち、長らく日本の流通市場が「閉鎖的」に見えてきたのは、規制や利権によるモノではなく、高度成長期以降も、消費市場においては「プロダクト・アウト」が基調になっていたことによるのだ。メーカーの生産する製品が全てプロダクト・アウトを基本としているなら、流通としては販売すべき商品の量の確保がなにより至上課題となる。プロダクトアウト形の商品のメーカーにとっての魅力は、生産者が流通量をコントロールできることで、価格競争を回避できるところにあるからだ。

かくして、流通は顧客よりメーカーの方を見る体質が出来上がった。流通も、プロダクトアウトにぶる下がれば、競争を回避でき、経営努力をしなくても左団扇でいられるからだ。かくして、流通もプロダクトアウトに最適化することになる。その結果生まれたのが、、メーカー系列店というスタイルである。自動車や二輪車の販売店、家電店が有名だが、飲料にしろパンにしろ化粧品にしろ、かつては看板に大きくメーカー名を掲げた系列店が商店街に並んでいた。

そう、ここで気付いて欲しいのは「メーカー系列のチェーン店=経営努力をしない店」という公式である。しかし、この公式が成り立つためには前提がある。それは、「経営努力がいらないのは、右肩上がりの高度成長の間だけ」という理だ。横ばい、右肩下がりの安定成長が10年、20年と続いても、全くこの事実に気付かずにノホホンとし続けているのは、座して死を待つのと同じである。まさに「茹で蛙」と呼ばれてもおかしくはない。

その結果生まれたのが、「シャッター商店街」である。駅前商店街には、メーカー系列チェーン店が多く並んでいた。経営努力をしない人達。切磋琢磨しない人達。経営が立ち行かなくなったのは、本来のお客さまである生活者の方を見ず、ひたすらメーカーに媚を売っていたツケである。人通りのない街並は、決して「かわいそうな犠牲者」なのではなく、「経営努力を怠った当然の報い」なのだ。

なにが「モノ作り大国」か。日本の生活者は、プロダクトアウトでしか生産のできない国内メーカーに、だまされ続けてきたのだ。実際にこの日本の地で、その成果が上ってきている「カウンターヴェイリング・パワー」を、もう一度真剣に捉えてみる必要がある。特に、マーケット・インの発想も実践もしたことがないまま、「マス・マーケティングは終わりだ」などとのたまう大手メーカーの皆さん。今からもう一度、謙虚に生活者を見つめなおしても、決して遅くはない。


(13/11/29)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる