ポジティブ・シンキング





「運も才能のうち」とは、良くいわれることである。「眼をつぶったままでも、何事もなかったかのように綱渡りができてしまう」とでもいうような、異様なまでの強運の持ち主は確かにいる。それは極端な話としても、運を呼び込むこと、運を開くことは、当人の心がけに大きく影響される。常に運を活かそうというマインドを持っていれば、運はおのずとついてくるものである。

大事なのはタイミングである。星占いコーナーではないが、世の中ツイている時もあればツイていない時もある。永遠にツイているコトはないが、永遠にツイていないというコトもない。運を活かすには、このバイオリズムのような変化のサイクルをきちっと捉まえることがカギになる。ツイてない時は、なるべくおとなしくして悪あがきをせず、嵐が去るのを待ってエネルギーを蓄積しておく。いつかは好転するのだから、その時を待つのだ。

そして、ツキが回ってきたら、一気に勝負をかければいい。かつての人気番組「風雲たけし城」で、いろんな仕掛けをクリアするには、力ずくで押すのではダメで、攻めるべきタイミングをきちんと見計らうのが一番というのによく似ている。タイミングが大事なのだ。そのためには、運がまわってきたという「サキガケ」をいち早く感じ取ることがポイントである。運のないときにおとなしくしているのには、この「サキガケ」がつかみやすいという効果もある。

確かに運を開くには、自分からプッシュして道を開くことも有効だ。とはいえ、これもまた、タイミングが必要である。全く運がないときに、プッシュだけで道を開くのは、限りなく巨大なエネルギーがいるし、それが徒労に終わってしまうコトも多い。しかし「サキガケ」が見え始めたときなら、プッシュの効果は最大になる。よりステップアップしたチャンスを捉まえるには、この時にこそ賭けるべきである。この意味でも、「サキガケ」を捉まえる力は大切なのだ。

そこまでアクティブになれなくとも、運がまわってきたことを自覚できれば、チャンスの方からやってくることも多い。人生経験が豊富になれば、このタイミングを見計らうノウハウも溜まってくるはずなのだが、世の中を見回すとどうもそうでもない。チャンスが自分の方を向いているのを感じ取る力が強い人は、それを意識するかしないかはさておき、若い頃からその力に長けている。そういう経験を積み重ねることで、ますます「サキガケ」を見抜く力に磨きがかかる。

その一方で、チャンスを捉まえるのがウマくないヒトは、失敗を重ねるたびにどんどん後ろ向きになってしまう。そのあげく、成功した人を恨んだり妬んだりするとか、なんでも悪いのは世の中のせいにしたりするようになることも多い。まるでかつての「革新政党」や「労働組合」のような、当事者意識のなさである。一旦ここに入り込むと、コトは悪い方へ悪い方へと転がり落ちてゆく。

そう、入口での入り方を間違えると、同じ環境であっても、片やグッドサイクル、こなたバッドサイクルと大きく運命が変わり、それがどんどん増幅されてゆくのだ。実は、運の本質はここにある。自らをグッドサイクルの中における人は、運をモノにできる。しかし、バットサイクルの中に落ち込んでしまった人は、運から見放されてしまう。その原因は、全て自分のスタンスにあるのだ。

では、グッドサイクルとバッドサイクルに、運命を分けたモノは何か。それは、自分に自信を持っているかどうかである。そして、自信とは決して他人から与えられるものではなく、自分で勝手に思い込むことによってしか得られないモノなのだ。自信は持つものである。思い上がった過信でも、それを内面にとどめておく限り、他人の迷惑にはならない。その一方で、内面の過信は、夢や将来目標を生み出す源泉にもなる。

チャンスを得るには、自分に自信を勝手に持つことがスタートになる。そのためにはどうするか。まず最初は、つたなくてもいいから、人を頼らずに自分でやることだ。やったという実績が生まれれば、自分を他人との相対関係ではなく、絶対的な存在として見れるようになる。そうしたら、そこから得た手ごたえを、こんどは「自分のコト」として感じることができるようになる。他人が何と言おうと、自分はこれをやったんだと、自分で自分を褒めることができる

それを繰り返していけば、自分のやったことのいいところだけを見て、自画自賛することができるようになる。これが、ポジティブな発想を生み出す。ここまでくれば、バッドサイクルを脱して、グッドサイクルに入り、V字回復も夢ではない。自信を持つには、他人を見ずに、自分だけ見ればいいのだ。他人がいようがいまいが、自分は自分だし、泣いても笑ってもそこに存在している。良い悪いではなく、この事実を客観的に受け入れれば、自信は持てる。これは、多くの日本人が会得すべき、グローバルな生きかたの基本でもある。


(13/12/20)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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