歴史認識





日本の近・現代を語るとき、もっとも一般的な時代区分は第二次世界大戦を境に「戦前・戦後」と二分する見方だろう。不思議なことに、この区分は歴史観にかかわらずアプリオリに受け入れられている。しかし、新しいブレークスルーを見つけたいなら、モノゴトは常識や定説となっていることほど疑ってかかるべきだ、日本社会が閉塞的になっている一つの理由も、この固定的な歴史区分にあるからだ。

すでにこのテーマについては、このコーナーでは何度か語っているので、結論から言ってしまおう。少なくとも、戦時中から戦後、そして多少変形はしているものの今に至るスキームは、「40年体制」として、一貫・連続して捉える必要がある。そして、政治や社会に関して戦前と戦後を別物とし、「戦前=悪・戦後=善」という捉え方は、「40年体制」の継続性から眼をそらさせ、責任の継続を回避するための作為的なものといえる。

「40年体制」の特徴は、中央集権・社会主義的な「官僚主義」というところにある。戦後の復興から高度成長期にかけて、まだ貧しくリソースも乏しかった日本においては、中央集権的・計画経済的な経済活動は、それなりに経済発展に貢献したことは間違いない。しかし80年代以降、安定成長期に入ると官僚機構はその存在意義を失い、自らの利権構造を温存・拡大することを自己目的化する組織になってしまったのは、ご存知の通りである。

しかし「官僚主義」という視点から考えると、それは形をかえて日本社会の中に温存されている。80年代以降、経済のグローバル化とともに、日本企業はその規模を拡大し成長した。その過程で、本来市場原理が働くべき企業においても、その組織原理においては「官僚主義」が浸透していった。すなわち、「民」の官僚化である。80年代から90年代にかけて世界のトップを走っていた日本の製造業が競争力を失った原因のひとつがここにある。

「官僚主義」は、組織中心の無責任構造に特徴がある。官僚組織がその真骨頂だが、肩書主義、前例主義で、個人としての存在を消し去ることができ、責任を問われることが全くない。それでも、右肩上がりの追い風の時には、それなりに機能する。しかし、責任を取る人がいない以上、舵取りの判断を求められる時には、全く無力である。ヤバい状況になると、ネズミの子を散らすように一瞬にして誰もいなくなるのが、官僚組織の特質だ。

また構成メンバーという視点からすると、「官僚主義」は「偏差値主義」「秀才主義」ということもできる。才能や能力、育ちや家柄といった当人の努力ではいかにもし難い要素ではなく、努力次第で会得することのできる可能性の高い「指標」で、人間を評価し抜擢する。こういう官僚主義は、やはり40年体制のもう一つの柱だった軍部でも強く見られた。実力主義でない軍隊が、戦いに勝てるわけがない。

では、「40年体制」の対立概念は何かというと、これは「明治憲政」である。純粋な明治憲政は、今までにも論じたように司馬史観ではないが、20世紀初頭の日露戦争までである。この時期、産業革命の進展に伴い、世界の先進国を覆いつつあった「大衆社会化」の波は、日本にも強く押し寄せた。日露戦争の終結に対し、大衆は強硬論を主張し、政府もそれを仕切りきれなくなったことが、この状況を象徴している。

ということで、1905・6年から40年までの30数年が、いわば両体制の過渡期である。大正デモクラシーから普通選挙の実施、二大政党政治といった流れの中で、ヨーロッパ型の階級社会から、アメリカに近い大衆社会へと変貌していった。ちなみにファシズムは、決して「上からの独裁権力」ではなく、その成立の前提として大衆社会化と大衆の熱狂的支持があることを見逃してはならない。ワイマール憲法がなければ、ナチスは政権を取れなかったのだ。

こうやって見てゆけば、問題は明確になる。多くの人が「戦前」の特徴で「戦後」と対比して考えている「軍国主義」的な体制は、実は対立要素ではなく、「40年体制」の中でのオプティマイズする方向の違いでしかない。本質的な対立点は、19世紀的な階級社会的秩序を重んじる「明治憲政」主義か、大衆社会をベースにした「40年体制」主義かというところなのだ。『40年体制」の担い手たちは、この議論になることを恐れ、「戦前・戦後」というありもしないスキームに固執しているのだ。

昨今しばしば見られる、安部政権への「復古主義」「戦前への回帰」という批判も、このスキームから見れば、全く持って的外れであることが容易に理解できる。それどころか、実はこの流れが「40年体制の中での官主導」の再興を目指すものであることもすぐに見抜ける。今起こりつつあることは、国民の無関心と、一部の「甘え・無責任」国民の期待を利用した、官僚機構の再強化の動きなのだ。本当に許すべきでないもの。それは、この期に及んでバラ撒き利権を拡大し、さらに大きな政府を実現しようとする官の横暴である。


(13/12/27)

(c)2013 FUJII Yoshihiko


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