生態系





日本の近代社会のメンタリティーは、すでにこのコーナーでも何度も論じてきたように、江戸時代の庶民社会がベースになっている。町人層とはいっても、農村部の庄屋や、都市部の豪商は、失ってはいけない資産=家を背負っていたので、それなりに責任を率先して取るメンタリティーがあった。明治以降の近代社会の発展においては、このような企業家層の持っていた勤勉さが大きな役割を果たしたことはいうまでもない。

その一方で、ボリュームゾーンを占める大衆層、すなわち一般庶民は、極めて刹那的な生活をおくっていた。江戸の町人はほとんどが独身男性であり、一生所帯が持てるわけではなく、人生にこれといった展望があるわけでもない。その一方で、腕に自信があれば、それなりに稼げたのが江戸時代の職人でもある。おいおい、宵越しの金は持たない、という生活が「粋」なものとして捉えれるようになる。

農民の場合は、かつてのマルクス主義的な歴史観からすると皮肉なことだが、勤勉さの違いが階級を作り出した。江戸時代初期においては、それほど差がなかった農民層も、次第に勤勉さの差により生産性に違いが出るようになる。それは同時に、勤勉に働き成果を上げた農民の元へと、土地の集積をもたらす。江戸時代末期に見られる大地主の出現は、江戸時代の生産性の向上を通じて、より勤勉で稼ぎのいい農民が、努力の結果として土地を集積して生まれたものなのだ。

おまけに、江戸時代の社会は、極少数の有責任階級たる武士が、圧倒的多数の無責任階級たる庶民を支配する構造であった。それは、官僚機構として管理しきれるバランスを超えていた。このため、実際には管理社会の対極とも言える、形式的な支配-被支配関係が生まれた。これはいいかえれば、運命共同体的な共存関係ということもできる。形式的秩序が保たれれば、中身は厳しく問いようがないのである。

動物の生態系では、食物連鎖の関係上、上位に位置するの生物は、下位に位置する生物より頭数が少ない。上位に行けば行くほど、極端に頭数は減少する。肉食獣とそれが捕食する草食獣の頭数比は、1頭対何千頭、何万頭というバランスになる。当然、肉食獣がどれだけ集まって草食獣を襲っても、群全部を一網打尽にはできない。セイウチと白熊、鰯の群れとシャチなどて典型的に見られるように、何匹か人身御供の生け贄を出せば、群全体は無傷でいられる。

江戸時代のお上の取り締まりも、これと同じことだった。秩序やルールを示さなくてはいけない以上、目に余る行為があれば取締りを行なう。しかし、全ての違反を取り締まることなど不可能である。従って、一番宣伝効果がありそうは人身御供を狙い、そこをピンポイントで取り締まる。そして一罰百戒と称すれば、それで終わりである。一網打尽にされることはないし、そんなことはそもそもできない。

一見厳しいように見えるが、実は実効がない。多少自粛して、従順なところを示せば、多くはそれでお目こぼしである。面従腹背でいるかぎり、身は安泰なのだ。鬼の居ぬ間の洗濯、旅の恥はかき捨て的な、江戸庶民のメンタリティーは、こうして形成されてきた。その反面、お上には責任と面子がついて回る。有責任階級として「君臨」している以上、ひとたびコトがあったときは、無理してもバラ撒かねば、秩序が維持できない。

ここに、同床異夢的な、奇妙な共存関係が生まれることになる。いわば「ホンネの飴とタテマエの鞭」で、秩序を維持する手法ということだろうか。このやり方は、日本の大衆的権力構造の基本形となった。当然、同じ庶民がそのまま生活を続けていた明治維新以降も、同じように受け継がれた。そして、それはそのまま近代日本の体制の中にビルトインされていった。

たとえば、警察などはその影響が今でも色濃く見られる。日本の警察に特徴的な、取り締まる側と取り締まられる側の奇妙な共存関係は、そこにルーツがある。エロ業界と警察。ヤクザと警察。みんな、人身御供を形式的に摘発するものの、それをわきまえて従順にしているフリをすればお咎めなし。賭博そのもののパチンコ業界が、警察官僚の天下り利権となってきたのも、この顕著な例だ。

これがいいといっているのでも、悪いといっているのでもない。これが実体だといっているだけである。そして、それは生態系を維持するという一点においてのみ、合理性がある。なんのことはない。トムとジェリーではないが、一見対立するように見えて、対立する存在ではない。同じ共同体の中で、異質なものが共存するための「知恵」なのである。だからこそ、日本社会という共同体が、甘くて美味しいと思っているヒトが多数を占める限り、、この構造が変わることはない。そこをわかるかどうかが、一番大切なのだ。


(14/01/31)

(c)2014 FUJII Yoshihiko


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