ノブリス・オブリジェを生み出すもの





リーダーシップを取るためには欠かせないものであるにもかかわらず、日本で「長」がつく役職の人々にことごとく欠けている能力。それが、ノブリス・オブリジェである。ノブリス・オブリジェとは、セルフヘルプの精神と自己犠牲の精神が融合したモノである。リーダーが率先して、ハイリスクで困難なボトルネックに挑み、それを打ち破ってこそ、人々は付き従い、おのずとリーダーシップが生まれる、という考えかたである。

そもそも、ノブリス・オブリジェの精神は、階級社会だったヨーロッパで、貴族など上流階級の人々が、上流のたしなみとして自然な形で身に付けていたものである。その一方で、日本の官僚に代表される、秀才の偏差値エリートには決定的に欠けている。こうしてみると、ノブリス・オブリジェの精神とは、勉強や努力によって獲得できるものではなく、環境や育ち方によって規定されてしまうものであることが見えてくる。

洋の東西を問わず、上流階級においては、基本的に実の父母が何から何まで面倒を見、世話を焼いて育てるという環境にはない。もちろん、ある程度は直接実の親が関わる場面もあるし、それは時代やポジションによっても変わってくる。しかし、乳母に代表されるような、育児専門の担当者がおり、そういう専門職の手により主として育てられるという点は共通している。そういう環境では、子供は大切に扱われるものの、決して甘やかされることはない。

そもそも家族のあり方が違うのだ。たとえば、江戸時代の徳川将軍家などが典型であろう。父が将軍なら、父の前に出るときは父と子ではなく、将軍と家臣の一人になる。同様に、即位するまでは兄弟であっても、ひとたび将軍になれば、将軍と家来である。家族的関係より、社会的関係の方が優先されるのだ。階級社会においては、上流に行けば行くほど、この「家族関係より社会関係のほうが強い」という掟が貫徹している。

すなわち、上流社会では家族であっても家族でないのだ。当然、実の親ではあっても、現代の核家族でいうような親子関係にはならない。日本一般レベルの家庭では、かなりべったりした親子関係が普遍的である。特に、過保護な母親の甘やかしと、それを前提にした子供の甘えは日常的に見られる。しかし、それはどの時代のどの社会でも常識というワケではない。かつての上流階級では、その対極的な親子関係が当たり前であった。

上流階級では、子供は決して親に甘えられるワケではなかった。そして、ノブリス・オブリジェを考えるには、この必要以上に「親に甘えられない」というところがポイントになる。今の日本では、子供への愛情と、子供を甘やかすことが混同されてしまっているが、人類史的な視点からみれば、甘やかすことは決して愛情ではない。むしろ子供を厳しく突き放して、自立心を養うことが愛情である。「獅子は子供を千尋の谷に突き落とす」という故事があるが、まさにそれである。

二流国、三流国の国王なら、贅沢の限りを尽くすこともあるが、歴史があるところではそれは許されない。同様に、二流国、三流国においては、それなりの地位にある人たちも、子供を甘やかして育てるコトがあるかもしれない。しかし、歴史のある一流の社会では、決してそんなことはありえない。それは、一代で財を築いた成金は贅沢に金を使おうとするが、代々の資産を受け継いでいる資産家の暮らしは、意外なほどに質素なのと似ている。

そういう環境で育つとどうなるのか。何をするにしても、自分が真っ先に動き、自分でやらなくてははじまらない。泣いて駄々をこねれば、なんでもワガママが通る環境ではない。なにか不満があったり、なにかやりたいことがあったならば、誰かにやってもらったり解決してもらったりするのではなく、自分で何とかしようと考えるようになる。文化の伝統がある国や社会ならば、甘やかさない厳しさは共通している。

もっとも「その他大勢」は、依存心が強かろうが、不和雷同しようが構わない。大衆は、甘えていても、甘やかしてもいいのだ。しかし、彼らは決してリーダーにはなれない。いや、リーダーにしてはいけない。リーダーが率先して動けば、そういう共同体的メンタリティーの人間はついてくる。きちんとノブリス・オブリジェの精神を持ったリーダーがいて、リーダーシップを取るからこそ、大衆は無責任でいられることを忘れてはならない。

足がすくむ、腰が引ける、ではリーダー失格である。どんなにイヤなことでも、逃げることなく取り組む。その姿勢を見れば、人々はおのずとついてくるのだ。しかしそのようなマインドは、公的な教育でどうにかなるものではない。前頭葉、知識の問題ではないからだ。ここを間違ってはいけない。それは、生き方であり、身に染み付いたものである以上、生まれと育ちによって規定される。理性や理屈の問題ではない。認知症になると、育ちがあらわになるといわれるが、それと同じなのだ。

だが生まれと育ちといっても、これは決して家柄の問題ではない。甘やかされない。親が手間をかけすぎない。そういう育てかたをすればいいのだ。すなわちリーダーシップを育てるカギは、甘やかして親が面倒をみないで、突き放して放っておくことにある。誰も助けてくれなければ、自力で解決するしかない。小さいときから、そういう環境にあることが、リーダーシップを養う。欧米のプロテスタント圏では、リーダーシップを発揮する人間が相対的に多いのも、あまり親が子供の面倒を見ず、自立を促しているからなのだ。


(14/03/28)

(c)2014 FUJII Yoshihiko


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