エッジはニッチ





世の中の先端的なトレンドというと、どうしても先端の先端とでも言うべき、エッジなところに視線が行きがちである。ある種ハイテク機器やインタラクティブメディアなどがその典型だが、ことビジネスという視点から見ると、こういうトンがったところばかり見ていくと、なかなか成功はおぼつかない。成功してもニッチビジネスにしかならず、メジャーになることはない。もちろん、そう割り切って投資すれば、それなりに利益率は高いが、成長性があるワケではない。

どんな世の中でも、ボリュームゾーンは「ベタ」なところにある。そして、ボリュームゾーンは、外からの影響で短期的に嗜好が変化することはない。つまり、ハイテク機器やインタラクティブメディアを利用していても、それがヒットする、普及するということは、すなわち先端的な使われ方をしているのではなく、レガシーな生活の中にウマく入り込んだからこそ成し遂げられることなのである。

たとえば、オンラインゲームが巨大市場になっているが、これとて新マーケットが生まれたのではない。昔からある「暇潰し」の一環なのである。たとえば、昔は週刊誌や夕刊紙、あるいは喫茶店で消費されていた「時間をつぶすためのお金」が、そっちに廻ったからこそ、巨大なビジネスになっている。確かに総合雑誌の敵はインターネット上のコンテンツだが、それは情報コンテンツではない。暇潰しコンテンツなのだ。

もちろん「話題性」という意味では、エッジなモノの方がウケがいいし面白い。そしてメディアは情報でウケを取らなくては、ビジネスが成り立たない。その分、世の中に流布する情報は、どうしてもそういうトンがっていて目立つものが中心になる。しかし、それは世の中のマーケットトレンドそのものを現しているわけではないことに注意すべきである。ヒットを支えている人たちの話は、目新しくないから面白くないのだ。

人間、貧しくて喰うに困り飢えていた頃は、情報にも飢えていた。社会のマジョリティーが、その日の喰いっぷちを得るのに精一杯で、情報のような付加価値的なモノにかける社会的投資が少なかったからだ。だから、なんだか良くわからなくても、東京の最先端の情報、ニューヨークやロンドンの最新のトレンドといわれてしまうと、内容を吟味することなく飛び付いてしまうことになる。

それは、情報そのものに飢えていたのと、自分の身の回りには、情報の評価に使うべきリファレンスとなるものがなかったからである。飢餓感にとりつかれた人間を食い放題のバイキングに連れていくと、喰いすぎて体がおかしくなるまで喰いまくる。まさに、情報に飢えていた時代の生活者は、自分にとって意味があろうがなかろうが、その内容を吟味することなく情報をむさぼり、その内容を受け入れた、今でもある年齢層以上の人は、こういう時代に育った人々である。

余談になるが、日本特有の巨大新聞社は、そういう「情報の飢餓構造」をバックに生まれた。何も情報がなく、情報に飢えている人々に情報をばら撒けば、入れ食いで食いついた。それが800万部なり1000万部なりの正体である。であるなら、それが衰退しつつあるのは、インタラクティブ・メディアにより代替されたからではない。世の中全体が情報化し、情報がどこにでもあるコモディティーになったため、情報へのニーズが低くなったからである。

およそ今の30代以下の層にとっては、手の届く、自分の身の回りの出来事には関心があるが、世の中や世界の出来事には関心がない。そういう等身大の自分とは関係の薄い情報は、あんまり面白くはないし、知っていようと知るまいと、自分の生活にはさして影響がないからである。そもそも等身大の自分が好きなこと、楽しいことしかしない。ある意味、これは日本の庶民が持っていたメンタリティーが、豊かな社会をバックに開花したものということができる。

そもそも、庶民のメンタリティーは、極めてゆっくりと、かつ連続的にしか変化しない。江戸時代に作られた古典落語に語られる庶民の生活感が、今でも笑いを取れることからもわかるよううに、江戸時代から庶民のメンタリティーはそう大きく変わっていない。戦国時代以前の中世とはかなり変わっているが、元禄以降、近世的な社会・文化が確立したあとは、実はそんなに変わっているワケではない。

もちろん、表面的な物質文明は大きく変化している。たが、それを使って生活する大衆のメンタリティーは、ほとんど変化しない。そういう生活者こそ、マスであり、ボリュームゾーンなのだ。ここを掴んでこそ、成長するビジネスになる。そのカギは、どんな先端的な技術やサービスでも、それを「ベタな庶民」から見たとき、どこが今までのレガシーな生活観と共鳴するかを見極めるところにある。

このためには、あくまでも「庶民の価値観」をきっちりと捉え、そこから新しい技術やサービスがどう見えるかを知る必要がある。それは、決して新しいものとして捉えられるのではない。昔からあるものが、なんか前より面白く楽しくなって目の前に現れてきた、というように見えているはずである。そして、どんなに先端的で優れた技術でも、そういう面白さ楽しさを提供できないものは、受容されない。この視点を持つことが、先端的なビジネスで儲けるコツである。


(14/04/18)

(c)2014 FUJII Yoshihiko


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