果たして「ダメ・ゼッタイ」でいいのか





大物芸能人が、違法薬物の使用でまた逮捕された。例によって、ワイドショーや週刊紙の芸能記事は、その話題で持ちきりになる。まあ「またか」といってしまえば、その通りなのだが。しかし、芸能人や有名人の薬物汚染は、それが巷の話題になればなるほど、その分「一罰百戒」の効果があるので、警察としても摘発に気合いが入るし、その後の記者発表についても一段と熱心になるようだ。

しかし百歩譲って、薬物乱用のどこに問題があるのだろうか。単に「ダメ・ゼッタイ」と思考を停止するだけでなく、理性的かつ構造的に考えてみる必要がある。薬物乱用が引き起こす問題は、乱用により精神状態が錯乱した結果として、交通事故を起こしたり、刃物を振り回したりというように、事故や事件を起こし、回りに大いに被害を及ぼす。なるほど、これはゆゆしき問題である。

しかし、人々が迷惑を被るのは、引き起こされた事故や事件の結果であり。薬物は、その原因の一つに過ぎない。もしも、事故も事件も起こさなければ、薬物を使用した人間がいたとしても、周りの人々に及ぶ被害はない。交通事故や刃物を振り回す傷害・殺人事件についても、、薬物以外の原因で引き起こされるものもたくさんある。はっきり言ってしまえば、そっちの方が薬物により引き起こされたものより余程多い。

薬物を使用していても、事故も事件も起こさない人もいる。薬物を使用していなくても、精神に異常をきたし、事故や事件を起こす人もいる。「薬物の使用」と「事故や事件」は、「事故や事件」が起こったとき、その原因を「薬物の使用」にもとめることができる因果関係を見出すことができる場合があるのは確かだが、必要充分条件の関係にあるワケではない。「薬物の使用」があれば必ず「事故や事件」が起きるし、「事故や事件」の陰には必ず「薬物の使用」があるという、等価の関係にあるワケではない。

このように、社会的な迷惑と責任という視点からは、問題になるのは、事故や事件の結果であり、薬物使用そのものではないことが明確になる。薬物を使用しても、何も事件も事故も起こさなければ、第三者的には特に問題はない。あるのは、自己破滅だけだ。自己破滅は、自己責任の自由の範囲である。自殺の自由があるのと同様、他人に迷惑が及ばなければ、自己破滅の自由があってもいい。

ここで大事になるのが、予防ではなく、起こったときの厳罰という発想だ。このような自己責任の原則は、欧米の常識であり、グローバルスタンダードといっていい。たとえばヨーロッパでは、国際間の高速列車網から、市内のLRTまで、鉄道が大いに発達している。しかし彼の地では、車掌などによる、社内の検札はない。では、キセルし放題かというと、そんなことはない。ちゃんと抑止力は働いている。バレるとめちゃくちゃ重い罰金が課せられるからだ。

いずれにしろ、多くの乗客は、きちんと料金を払って乗車している。問題は、キセルをするヤツに対する抑制効果を、いかに効果的に発揮するかという点にある。当然、罰が重い方が抑止力は強い。いちいちチェックするよりも、バレたときの罰をメチャクチャ重くした方が、違法行為を行なおうとする人間に対する抑止力になる。検札は、コストもかかる上に、善良な乗客に余計な負担をかけている。その分まで考えれば、ヨーロッパのやり方は、極めて合理的である。

薬物乱用の撲滅も、同じことである。答えは至って簡単。薬物を禁止するのではなく、薬物を使用して引き起こした事故や事件は、その刑罰を極めて重くすればいい。たとえば、一般の窃盗のような罪状でも最高刑として無期懲役、単なる傷害でも最高刑として死刑を課することができるようにするのだ。死刑にしてしまえば、クスリがやめられず再犯というリスクを回避することにも繋がる。この方が、薬物乱用に対する治安維持という面では、よほど効果的だ。

ダメ・ゼッタイで、とにかくやらせないのではなく、やって事件を起こしたら、二度と社会復帰できない環境を作る方がいいのだ。その方が、罰せられるからやらないのではなく、自分で「やってはいけない」という意識を持つことにもなり、自律性も養われる。どんなに厳しく事前チェックしても、やるヤツはやるんだから、事故や事件が起きてから厳しく断罪するほうが、そういう連中をビビらセるのには効果的である。

なんで、こういう効率化・最適化ができないのか。それは警察も所詮は官僚の集団なんで、世の中の安寧よりも、自分達の利権構造の方を重視しているからだ。本当に厳しくして、違法薬物が使われなくなってしまえば、薬物関係の団体等の天下りのポストや、そこに流れる補助金がなくなってしまう。もっというと、薬物関連の取締りを行なう部署や要員自体もいらなくなってしまう。

これは、官僚にはゼッタイできない相談というもの。自分たちの既得権を減らすことは、官僚達にはできないのだ。しかし、行政改革と同じで、本当に世の中を良くするには、そういう官僚機構自体を廃止するための施策をとらなくてはならない。違法薬物も問題だが、それ以上にダメ・ゼッタイなものがある。それは、官僚の既得権益である天下り・バラ撒き利権であり、それ維持拡大を第一に考える官僚の発想なのだ。「ダメ・ゼッタイ」は、薬物以前に霞ヶ関。まさに「官僚と霞ヶ関に死を」である。


(14/05/23)

(c)2014 FUJII Yoshihiko


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