階級社会は小さな政府を目指す





19世紀までの世界は、階級社会が基本となっていた。今のセンスで考えるとズレが生じてしまうのだが、そもそも階級は階層とは違う。単なる所得や資産などという金銭的な定量指標の多寡は、階層である。これに対して、社会的な役割の違いがあり、それを人々が果たすべく、全人格的にその役割を実践するのが階級である。上流階級・下層階級、貴族階級・労働者階級という違いは、所得や資産ではないのだ。

確かに階級社会においては、階級が固定化され、誰もが何にでもなれるわけではない。しかし、違う階級ではあっても、互いにその役割を認め合い、尊重し合っているのが階級社会のポイントである。階級社会が色濃く残る英国では、労働者階級向けのマスメディアでは、王族や貴族階級を揶揄するジョークが連発される。上流階級は、妬みの対象ではなく、笑い飛ばす対象なのだ。こういう棲み分けこそ、階級社会の醍醐味である。

上流階級とは、尊敬され、敬われるがゆえに上流なのである。決して、資産があるだけ、上流階級に生まれただけでは、上流とはみなされない。上流階級が上流としてそのポジションを安定させるには、絶え間ない努力が必要である。階級社会とは、資産を持っていても、社会や文化に貢献しない人を、品位がないとしてバカにする社会である。逆に、資産を失っても品位を失わなければ、上流として扱われる。

どんなに富を得たとしても、一代だけでは成金と蔑まれるのが落ちである。その資産が三代続いて、やっとひとかどの家と認められた。階級社会とは、実はこのように品位のフィルターが社会的にかかる社会のコとなのである。だから貧しい人も、社会や文化に貢献している資産家を尊敬できる社会となっている。これは、人類史に残るようなエポックメイキングな文化を産み出した社会には、共通した基盤ということができる。

このような「信頼関係」が社会のベースにあると、それ以降の大衆社会・民主社会とは大きくことなる社会構造が生まれることになる。たとえば上流階級により政府が構成されていた時代においては、政府の機能は、外交と防衛という、対外的な顔に限られていた。これはまさに、小さな政府だ。社会を維持するための巨大な官僚機構など必要ない。というより、階級構造からして、そういう巨大な機構を作り上げることが不可能である。

江戸時代の日本など、こういう階級社会をベースとした近世社会の典型のひとつだろう。当時、中央の権力として江戸に幕府があり、それにお墨付きを与える権威として京都に禁中があったが、それらは決して巨大な機構ではない。それは全国を直接支配していたワケでないからだ。政治・行政上の多くの事柄が、各藩に任されていた。幕府自体も、天領を治める最大の藩にすぎず、ある意味横並びであり、中央集権的な権力機構を持っていなかった。

これは、信頼関係があるから成せるワザである。その分、幕末になり、各藩の姿勢が倒幕と佐幕に二分されるようになると、全国的な権力基盤を、あっさりと失うことになる。各藩も各藩で、けっして自前の組織だけで、領内を統治していたわけではない。村々の運営は、村民の自治に任せる。藩の財務は、丸ごと商人に任せる。これらの結果として、藩以上に土地への強い支配力を持つ大地主や、藩の経済を左右するぐらい強い影響力を持つ豪商が生まれることとなったのは歴史が示す通りである。

実際行政機構が国内において持っていたのは、徴税機能程度しかない。その徴税も、末端は集落のコミュニティーに任せてしまい、村単位での課金・徴収のみ行なった。集落の治安維持も、基本的には住民の自主的な活動にまかせ、そのための恒常的な暴力装置は持っていない。治安維持のために禁令を出すことはあっても、一罰百戒の生け贄を捕まえるだけ。その維持のために高いコストを支払うことはない。

一般大衆の生活レベルの問題を、お上が「懇切丁寧」に面倒をみることなどなかった。階級社会であるがゆえに、武士階級は庶民の暮らしには関わらないのである。治安維持さえ、コミュニティーの相互監視に任されていた。お上はなんら特別な組織や機構するワケではない。まさに、究極の民営化である。さらに江戸城の修繕のような大型の公共工事さえ、各藩に割り振り、藩の責任と費用負担において実施していた。

まさに、公共事業費をバラ撒きする「大きな政府」とは正反対の行政機構である。それで200年以上も太平の世が続いたのである。我々の祖先にできたことが、どうして現代の我々にできないというのか。大きい政府はいらない。階級社会的秩序を取り戻せば、究極の小さい政府で社会は安定する。いや、そういう社会では、小さい政府以外成り立ちようがない。

19世紀の明治社会が、まがりなりにも当時の国際社会の中で存在感を発揮できるまで成長できたのも、こういう社会構造が残っており、それをベースとしていたからだ。「40年体制」下で育った人間は、こういう官僚主義的な大きな政府が、民主社会においては正統的な行政機構のあり方だと思い込んでしまっている。しかし、そういうことはない。それは歴史が何よりも語ってくれる。秀才的・官僚的な歪んだ歴史観を拭い去って初めて、歴史の真実は見えてくる。


(14/06/06)

(c)2014 FUJII Yoshihiko


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