日本料理とは何だ?





ユネスコの世界遺産にも認定され、和食が世界的なブームになっている。ヘルシーな料理として広く親しまれるようになり、世界中で和食店が人気を集めている。当然海外向けの日本旅行ガイドでは、日本料理店の紹介に多くのページが割かれている。寿司、天麩羅、といった魚料理に加え、すき焼き、しゃぶしゃぶ、和牛ステーキといった肉料理、焼き鳥、おでんなど、居酒屋メニューも人気が高く、sakeとよばれて、日本酒の人気も高まっている。

確かに、これらは和食のメニューではある。しかし、われわれ日本人が日常的に食べている料理ではない。先週、何を食べたか思い出してほしい。カレー、ラーメン、スパゲッティー、定食系なら、トンカツ、ハンバーグ、唐揚げ。こんなメニューが上位を占めるだろう。確かに、寿司を食わないワケではないが、それはハレの日である。比較的良く口にするなかで和食らしい感じがするのは、うどん・そばのたぐいだろうか。

カツやフライは洋食屋のメニューだが、あんな料理は外国にはない。コロモをつけて焼く料理はあっても、あんな感じで大鍋の油で揚げる料理は、日本ならではのものである。そういう意味では立派な「日本料理」だが、外国人向けの日本料理ガイドには出てこない。まあ、外国人向けでも「東京B級グルメガイド」みたいなヤツなら、多分いくつか載っているとは思うが。

このように、外国人旅行者向けガイドに載っている日本料理は、われわれの日常的な食生活とは、大きく隔たっている。日本人が通常食べている料理ではないものを、「日本」料理と呼ぶべきなのだろうか。どうやら一般的に「日本料理」とされているジャンルの料理は、厳密な定義や理論付けがないまま、ワリと曖昧な気分で選ばれ、それがグローバルに流布してしまっているというのが現実のようだ。

この「ズレ」はどこからきたのだろうか。高度成長以降、日本社会の基調が貧しい社会から豊かな社会へとテイクオフするとともに、20世紀初頭から続いていた生活様式が大きく変化した。和装・着物が、日常のファッションから冠婚葬祭など特別なハレの日の装いとなったのもこの影響である。当然、食生活もこれにより大きく変わった。では、和食もそれと軌を一にしてハレの食になったのかというと、さにあらず。

それ以前の日本人が日常的に食べていた食事のメニューは、また違ったものである。食材はさておき、調理法としては、鍋で煮るか、塩焼きにするか、生のまま食べるか、そのどれかである。要は、囲炉裏で調理できるものが基本であった。典型的な例をあげれば、おかず的というか、鍋物的な味噌汁とか、煮物、焼き魚みたいなメニューである。今の食い物でいえば、居酒屋のランチで出てくる、焼き魚定食が一番近いだろう。

大家族の農村では、それこそ囲炉裏にかけた大鍋のまま分け取りする。もっと個が進んだ武家とかでも、要はそれが銘々皿で出てくるだけで、内容はさして変わらない。外国人観光客ムケガイドで紹介される高級な日本料理とは、ある意味、近代に入ってから、西欧のフルコース・ディナーの影響を受け、それまでの宴席料理をベースに、新たに編み出されたものである。決して伝統料理そのものではない。

この構造は、中華料理でも同じだ。ラーメン屋でなく、アラカルトやコースで頼む中華料理レストランのメニューのレシピが出来上がったのは、そんなに古い話ではない。満漢全席のような宮廷料理はあったし、19世紀の清末になると、今に続くような料理店も現れてくる。しかし、そこで出される料理のメニューは、今の中華料理の定番メニューとイコールではない。それだけでなく、戦前の中華料理店の人気メニューと、今の人気メニューとでもかなり異なっている。

たとえば定番中の定番といえるエビチリも、そんなに古い歴史のあるレシピではない。それどころか、新しいメニューがどんどん加わり、それが定番化する。最近人気のエビマヨは、そのプロセスをリアルタイムで振りかえることのできる珍しいレシピである。バブル期以降に周富徳氏が発明し、それから十数年の時を経て、世界中の定番メニューになるとともに、弁当屋の中華弁当のおかずになるくらいポピュラーに普及したことは、記憶に新しい。

ある意味、それでも中華料理は、食材や味付けは多様化しても、中華料理用の厨房で、中華料理の料理人が作れるメニューというシバリがあると考えることもできる。逆に、現代の日本料理を出す料亭の厨房は、構造という意味では、洋食を出すレストランの厨房と基本的には変わらないので、こういう面のシバリがあるワケではない。そもそも日本文化というのは、そのくらい規定が脆弱なものなのだ。

料理で言えば、伝統的な調理法といえば、塩かタレで網焼きにする調理法と、生かほぼ生に近い食材を醤油をベースとしたタレに付けて食べる調理法ぐらいなのではないだろうか。それなら、そもそも和風とはないか、和食とはないかなど、あまり小難しく考えない方がいいだろう。もともと日本は、外来文化をアレンジし、組み合わせて、自分流のモノを作り出すところに特徴があるのだから。


(14/06/13)

(c)2014 FUJII Yoshihiko


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