生活者からみた日本の近代史(その1)





洋の東西を問わず、歴史年表を作る際には、その画期を政治や経済の変化からみることが多い。その中でも、政治権力の構造変化を元に時代区分を作るのが一般的である。日本の歴史でいえば、鎌倉幕府の成立で鎌倉時代になり、徳川幕府の成立で江戸時代になる、などという考えかたである。近代で言えば、明治維新により近世から近代に入り、太平洋戦争の敗戦を画期として「戦後」になる、等々、わりと日常的に使っていたりする。

確かに、こういう「上部構造」の画期でスパッと切り分けてしまうのは、便宜的に分けるにはわかりやすい。しかし、その政治体制自体も、ある日を期して一斉に変わるわけではない。内戦状態になったりすると、新しい体制が定着するまでに数年かかることもざらである。ましてや人々の生活は、政治体制が変わったからといって、その日からがらりと一変するものではない。

たとえば、太平洋戦争が 終わった昭和20年8月15日を挟んでも、気分こそ多少変わったかもしれないが、人々は、昨日と同じ家に住み、昨日もあった服を着て、昨日と同じような食事をしていた。ドラスティックな災害に合ったとしても、あくまでも今日は昨日の延長上にあり、明日は今日の延長上にある。人間の記憶や経験が、一瞬にして書き変わることはありえない。生活者起点の視点は、この「急激には変化しないこと」がベースとなっている。

こと、衣食住に代表されるようなライフスタイルは、一朝一夕には変化しないのだ。だからこそ、その地域やその民族の文化があり、習慣がある。革命やクーデターで、一夜にして変わる政治体制とはちがい、人々のマインドは急激には変化できないのだ。王様や独裁者を、失脚させたり暗殺したりするのは一瞬でできる。だが、人々の日常が変化するには、長い時間がかかる。それは、そこに多くの人々が関わっているからである。大きな船が、急に航路を変えられないのと同じである。

人々の意識もまた、人々の生活と同様に急速には変化しない。貴族制度の廃止や、絶対王政から立憲君主制への移行など、制度の改編は、ある日をもって一気に行える。それは、制度自体が人為的に決められたものだからだ。しかし、誰が作ったものでも、決めたものでもない人々のマインドが変わるには、かなりの時間がかかる。実際、華族制度が廃止されて十年以上たった昭和30年代でも、元華族の方々は、それなりの尊敬を受け、敬意をもって接せられていたし、それなりの立ち居振る舞いが身についていた。

その反面、外からの刺激や煽動がなくても、生活者のライフスタイルは中長期的には確実に変化する。育った時代により、刷り込まれたライフスタイルは、少しづつことなる。これがコーホート分析でいう世代効果となって、長い時間の間にじわじわ効いてくるからだ。したがって、生活者の変化を見てゆくためには、政治・経済の変化とは違う、社会構造の変化に基づく、別の時代区分が必要になる。

今回は、マーケティング的分析に必要となる、生活者レベルからみた、近代以降の社会構造の変化について見て行きたい。19世紀半ば、幕末以降の日本の社会構造は、このような視点に立つと、大きく三つのブロックにわけることができる。それは、「19世紀的な階級社会」「貧しい大衆社会」「豊かな大衆社会」である。それぞれ、19世紀後半、20世紀前半、20世紀後半が中心となっているが、移行期として2〜30年かかっている。

決して、「江戸時代」「戦前」「戦後」ではない。そういう史観を必要としているヒトたちがいることはわかるが、生活者からみた歴史は、全くそうなってはいない。それぞれの画期として、エポック・メイキングなことをあげれば、「日露戦争」と「東京オリンピック」である。「明治維新」と「敗戦」ではない。そういう意味では、すでに移行期にかかってはいるものの、現在も豊かな大衆社会の末期にあるということができる。

それはとりもなおさず、次のスキームへの移行が始まっていることを意味している。21世紀の前半を規定するであろう新しいスキームがどんなものなのか。それを先取りするためにも、過去の歴史をきちんと把握し、そこから流れを読み取ることが必要になる。もしかすると、またもや2020年の「東京オリンピック」が象徴的な画期となるかもしれない。これから3回に渡り、それぞれの時代ごとの特徴を見ていきたいと思う。


(14/07/04)

(c)2014 FUJII Yoshihiko


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