アスペ国家





歴史とは、解釈でありフィクションである。学問的な史実と、国家としての歴史とは、必ずしもイコールではない。歴史と史実とは、基本的には別物である。次に権力を握ったものは、前の時代を解釈する権利を持つ。史実としてのファクトを前提として押えた上で、自分に都合よく解釈し、意味づけをしたものが歴史なのだ。だから、史実は新しい発見がない限り変わらないが、歴史は政権が変われば違って当然だ。

日本の歴史においては、幸か不幸か中国語で言う「革命」がなかったから、政治権力の断続もないし、それゆえ歴史の解釈変更がなくても済んだだけである。いや正しく言えば、日本は今までの歴史の中で、それをやらずに逃げているといった方がいい。なんでも曖昧なままのほうが、責任の所在も曖昧になる。ずっとそれでやってきたし、それで今までは済んでいたということである。歴史を解釈し直すことで、自分の正当性を担保するのが、グローバルスタンダード。

だから、こと歴史については、何が正しいということはありえない。それぞれの立場から、各々に都合のいい解釈、それぞれのプロパガンダになる解釈をするのが当たり前なのだ。しいていうなら、他の要素も合わせて強いほうの意見が、第三者からは支持されることが多いだろう。しかし、少数であっても、そういう「神話」をしっかりと信じて守っているからこそ、少数民族としての団結や強さが生まれるのだ。

そういう意味では、威勢がいいほうが勝ちなのだ。日中戦争の解釈でも、正義のためにとか、仕方なくとか、そういうのはすでに負け犬の言い方だ。昔の日本は強かったぞ。中国を侵略して、1000万人殺したんだぞ。強くてカッコいいだろ。帝国主義列強の一員だったんだぞ。帝国主義時代は、強い国には、弱い国を武力で侵略する権利があったんだぞ。このくらい、威勢がいいことをいうべきだ。

「侵略じゃない、正義の戦争だ」とか「虐殺はなかった」とか、言い訳で正当化しようとするのは、卑屈な態度である。これでは、贖罪に終始する連中と何ら変わりない。いや、言い訳で正当化するほうが、よほど「自虐史観」といえるだろう。歴史を肯定的に解釈すると言うのは、「やった・やらない」の話ではなく、こういう風にすべてを自慢にしてしまうことである。解釈の強さはそこにある。

やれ、5000人だ、2万人だとか、せこせこしたことを言うんじゃない。日本軍は強かったから、人口30万人の都市でも、住民100万人を殺せるんだぞ。どうだ、スゴいだろ。このぐらいの啖呵を切るのが歴史なのだ。勝った方は、武功で相当サバを読むのが当たり前。ほうほうの体で、一人打ち取るのがやっとだったとしても、誰もその場を見てないのだから、百人撃ち取ったと自慢してしまうし、それが当たり前なのが戦場なのだ。

中国の史書を読んでいると、住民を皆殺しにして、中原にはひとっこひとりいなくなった。というような表現によく出会う。確かに、中国の人は機を見るに敏なので、逃げ足が速い。戦乱となれば、蜘蛛の子を散らすように、一斉に逃げるだろう。事実、王朝交代期には、中原の人口が激減していることは、考古学的資料からもわかる。ファクトはファクトだが、それを 俺が皆殺しにした と威勢良くカッコつけて言いきるのが、歴史であり解釈なのだ。

戦場でなくても、チェック機能がなければ、人は必ずサバを読んで自慢する。これが嵩じると、自分自身、その自慢を信じるようになる。企業の海外拠点などは、いいことしか本社に伝えず、勝手にふるまい治外法権化するのが常である。まあ、その最たるものが関東軍だろう。在外公館もその傾向が強い。これはいい悪いでない。人の性とは、そういうものなのだ。

日本人の多くは、歴史を作り出すモチベーションがわかっていない。ファクトと歴史を混同している。ファクトは学問の世界。歴史は政治の世界である。自己主張があってはじめて、自分の存在を正当化できる。自分の居場所が作れる。これが古今東西を問わぬデファクトスタンダードだ。そのためには、正統性の神話が必要になる。神話はファクトである必要はないが、構成員みんなが信じている共同幻想でなくてはならない。

徳川幕府成立以来、何百年に渡る平和ボケ。いや、有史以来の平和ボケかもしれない。少なくとも大和朝廷の成立以来、天皇制に仮託すればすべてを正当化でき、用は足りてしまう。自ら歴史を構築する必要がない。それは、日本の歴史がラッキーというか、甘かっただけのこと。グローバルにみれば、ガラパゴス的歴史観である。そして、日本以外の世界では、全く違うスキームが常識であること。それだけは理解している必要がある。

日本の幸福は、噛み締めていいだろう。しかし、それは世界では全く通用しない、能天気と言っていいくらいハッピーなものだ。日本の常識が世界に通じると思っているなんて、それじゃ空気の読めないアスペルガー国家だ。グローバル化をいうのなら、外国語やおもてなしを叫ぶ前に、まずこのアスペ国家から脱することのほうが先決である。そして、これは自覚的にさえなれば、すぐにでもできることなのだ。


(14/10/31)

(c)2014 FUJII Yoshihiko


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