悪法か、悪運用か




日本の法律は、法律そのものはできるだけ一般論・抽象論の、いわば総論賛成にしておき、細則は運用で決めるところに特徴がある。これは、日本が安定成長に入った80年代以降、官僚が恣意的に法律を運用し、自分達の持つ権益の拡大を図るために「活用」されているため、比較的新しい現象のように思われがちだが、明治以降の法律は皆同様の傾向を持っている。

これは、江戸時代までの法体系の根本にある「人治」的側面が、明治以降の西欧法体系の移入のなかで引き継がれたものと考えることができる。全てを法律により規定し、誰が運用しても同じ結果が得られるようにするという発想は、日本にはなかった。そういう「法治主義」を取って付けたように接木しても、日本の風土には根付かない。そういう意味では、近代日本は表面的な法治主義ということができる。

だからこそ、全てを厳密に法律で規定するようにはならなかった。人治が罷り通っていたといっても、明治の初期、19世紀の間は、江戸時代に生まれ、士族としての教育を受けてきた人達がリーダーシップをとっていたので、それでもなんとかうまく回っていた。江戸時代においては、基本が人治にあったので、リーダーが自らの責任において判断し決めるという責任制度が明確だったからだ。

このシステムが担保されている限り、人治もうまく回転する。というか、人類はその歴史のほとんどをこのやり方でこなしてきた。ある種、今言われるような西欧流の法治主義が生まれたのは、キリスト教がヨーロッパ共通の宗教となり、神の下での個人の平等、神に対する個人の契約責任という考えが、一般庶民にまで広まってからのコトである。高々千数百年。人類百万年の歴史からすれば、ほんの一瞬に過ぎない。

人治を担保するものは、階級制度である。責任が階級について廻る以上、支配階級は生きている限りその責任から逃れられない。特定の誰かが責任を持って判断したものであれば、一貫しているしブレない。しかし階級制度が崩れると、システムを担保するものがなくなってしまう。人徳のない無責任な人間が運用を判断するようになった瞬間から、このシステムは換骨奪胎されてしまうことになる。

ここに至って、法律とは責任回避の道具になってしまった。それを遵守している間は、責任を問われない。これは現代日本の官僚たちの手口をみれば、すぐわかることである。まずは、誰もが総論賛成のザル法を作る。しかし、それは主旨だけで細目は何も決まっていないので、それだけでは実際に施行できない。だから運用の部分では、我田引水の解釈を行なうことで、自分達の権益を拡大できることになる。すくなくともそれでも法律通りやっているし、法に則ってやっていることになる。

この運用は法律に適っていると主張すれば、結果に対しては一切無責任でいられる。そもそも、自立した個人の自己責任が確立していない社会においては、法治主義は、容易に無責任を正当化する道具となる。このような社会で秩序を維持するには、久野収氏の天皇制における顕教と密教ではないが、有責任階級と無責任階級に分け、ノブリス・オブリジェを会得した有責任階級による人治を確立するしかない。

悪法といわれる治安維持法も、条文を読む限りは、当時の世界の常識からすれば、至って穏当な法律である。共産革命の魔の手から民主主義を守るために、ある程度の私権と自由に制約を加える法律は、前にも論じたように、西欧先進国は皆持っていた。問題は、それを元来の共産化の防止ではなく、自らの私利私欲に邪魔になる存在を排除する道具として、拡大解釈して利用した官僚達にある。

とにかく、自らの利権の確保・拡大のことしか考えない官僚が跋扈している限り、どんな法律を作っても、我田引水の悪運用で骨抜きにしてしまう。問題はここにある。あたかも法律に問題があるように見せること自体、自分達の悪行をごまかす官僚達の悪知恵にすぎない。ここに騙されてはいけないのだ。「40年体制」といわれるように、官僚の本質は太平洋戦争の戦時体制下から全く変わっていない。

こういう法律の悪運用を防ぐには、厳密な条文の法体系にし、なおかつ世の中の変化に合わせて、頻繁な見直し・改正を行うことで、やっていいこと悪いこと、やらなきゃいけないこと、やっちゃいけないことを、明確に定義する必要がある。しかし、日本は厳密な契約社会ではないので、こういう決め事はウマくいかない。そもそも法律の改正自体、マトモに行なえない社会ではないか。

となると、やはり悪運用するヤツを根絶するしかない。人治を前提とし、人治がうまくいくような人間に、責任ある判断を任せるのだ。そういえば、日本人は「大岡越前」や「遠山の金さん」といった「名裁き」が好きである。やはりそういう「名裁き」ができる責任ある人間を期待しているのだ。そして、そういう人徳のある裁きができる人は、偏差値エリートの秀才からは、決して出てこないのである。


(14/12/19)

(c)2014 FUJII Yoshihiko


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