「自分でモノを考える」ということ





モノを考えられる人間は、こと日本では少数派である。簡単に信じたくない人も多いとは思うが、まずこの事実を受け入れる必要がある。モノを考えられるというのは、野球やサッカーで世界的に活躍できる選手になるとか、誰しもが感動する歌を唄えるとかいうのと同じである。モノを考えることとはある種の天才的な所作であり、誰もができることではないのだ。

ましてや、後天的な勉強や練習といった「努力」で育めるものではない。秀才には、モノは考えられないのである。彼らは、自ら結論を考え出しているのではなく、知識にしたがって結論を導き出しているだけである。ここを根本的に勘違いしている人が、現代日本には余りに多い。しかしこの矛盾は、世の中の情報化が進むとともに、動かしがたい事実として我々の前に立ちはだかるようになってきた。

前例に従って、言われた通り忠実に物事を処理していくのは、コンピュータシステムの方が圧倒的に優れている。蓄積できる知識の量も、その情報を処理できるスピードも、もはや一人の人間がかなうものではなくなっている。というより、ノイマン以来のディジタルコンピュータ自体が、そこにオプティマイズすることで、進化を遂げた。つまり、秀才はコンピュータにはかなわないのだ。

かつてパーソナルコンピュータが登場した頃、筆者は「これで人類はコンピュータ以上の存在の人と、コンピュータ以下の存在の人とに二分される」と予言した。別に大したコトではない。コンピュータの仕組みがわかっている人ならば、ちょっと考えてみればこんなことはすぐにわかる。なるほど、まだ気付いていないひともかなりいるようだが、世の中は間違いなくそちらのほうに流れてきたというだけである。

コンピュータ系はは直接人間系と結合するわけにはいかない場合も多いので、その場合はコンピュータ系の手先となって「人間系とインタフェースさせる人間」が必要になる。その部分では、必ず言われた通りに動く人間が必要になる。従って、ものを考えられない人間も、需要がなくなってしまうわけではない。ただ、そいつらに命令を出すのは、もはや人間ではなくコンピュータシステムである。

そしてその一方で、ものを考えられる人間は、そのシステムを縦横に使いこなす側となる。コンピュータ・システムの一部分としてしか生きる術がない人たちと、それを含めてコンピュータ・システムを手段として使い倒す人たちと、人類は二つに分かれることになる。人間がコンピュータ・システムを境に二分されてしまうとは、こういう意味である。昨今のモバイル系の利用を見ると、この傾向は顕著に見出せる。

秀才は、知識も多く、それらを組み合わせて答えを出すのもうまい。だがこれは、情報エントロピーという視点から見ると、何ら新しいものを産み出していないことになる。すなわち、秀才の所作は何ら情報エントロピーを低下させることはないからである。そして情報エントロピーを低下させないプロセスは、かならずコンピュータシステムで処理できる。これが情報エントロピー理論の示すところである。

所詮は、そのレベルなのだ。したがって、秀才には創造は出来ない。だから、ものを考えさせてはいけない。既知の答えを出すのは得意だが、創造の真似事をさせてはマズいのだ。バブル崩壊以降、右肩上がりの高度成長が過去の栄光になってしまうとともに起こった「日本社会のつまづき」は、その多くがこの「秀才にものを考えさせてしまったこと」に起因している。

彼らは、演繹的にものを考える。したがって物事の進め方は「ステップ・バイ・ステップ」である。ゴールをしっかりと見据え、そこに向かって突き進むのでなく、目先の短期的な最適化をベースにコトを進める。大局的な見地から目標を掴むバックキャスティング的な視点を持てないので、途中でズレだすと、修正がきかない。

それ以上に、一段一段ミクロの積み重ねで進むので、微細な誤差があっても、それが積み重なって、最後には大きなズレが生じてしまう。スタートすることは容易にできるが、一旦動き出してから時間が経つと、自分がどこにいてなにをしているのか、わからなくなってしまう。秀才の集団である官僚組織や大企業で、しばしば手段の目的化が起きるのは、この理由による。

現代の日本では、秀才を集めれば課題解決はなんとかこなせるという発想が未だに横行している。しかしそれは真似るべき目標、ベンチマークといってもいい、がある追い付くまでの段階の発想である。そしてその発想にとらわれている限り、ITは使いこなせない。現代日本の限界はここにあるのだ。そういう連中を全部お払い箱にして、コンピュータにやらせるからこそ、ITは生産性向上を生む。この一番本質的なポイントを、日本人はもう一度しっかり押える必要がある。


(15/05/15)

(c)2015 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる