フローベースの不幸





すでにこの場でも何度か論じてきたが、「戦後」としてくくられるコトの多い20世紀後半の日本においては、ストックという概念は葬り去られ、フローだけがお金の多寡を評価する基準となった。従って「金持ち」「富裕層」といえば、キャッシュフローが多い人、すなわち年収が多い人というのが常識となっている。実はグローバルな基準からすれば、これはかなり歪んだ姿なのだが、余りに長くその「常識」が跋扈したので、誰も疑問を差し挟まない状態になっている。

グローバルスタンダードでは、富裕層とは資産の多い層のことである。少なくとも日本でも、明治から1930年代ぐらいまではそうであった。資産の多い層は、必ずしも個人年収が莫大なわけではない。それは、農家が来年の種籾を確保しておかないと再生産ができないのと似ているが、資本が回転して得られたリターンは、基本的に次の投資のための資金をすべきモノであり、投資家が自分の所得として消費に廻す部分は、再投資による資産の拡大を妨げない範囲でしか許されない。

もちろん、投資資金が巨額に鳴り、かなり効率的な運用ができれば、投資家の手元に残るキャッシュもそれなに多いだろう。しかし、それを個人で消費してしまうよりは、できる限り再投資し、資産をより大きくしてゆこうとするのが投資家のマインドなのだ。これがわからないとするなら、それも日本社会から投資家マインドが消失してしまったことの悪影響ということができる。資産家は、余りにケチで金の亡者と思われない範囲では、それなりに消費に金を使うが、決して贅沢はしない。

同様に、資産家は自らが抱える資産の社会的責任もわきまえている。明治維新の頃、廃仏毀釈の嵐が沸き起こると同時に、海外でジャポニズムの美術ブームが興隆したため、多くの貴重な美術品や文化財が二束三文で販売され、それを外国人コレクターが今でいう「大人買い」することで、大規模な海外への流出が起こった。この時、これら国の宝を買い取り、海外流出を防いだのは、ただ大資産家が社会的責任から行なったコレクションであることは歴史を見れば明らかである。

このように資産とは、投資運用され回転し拡大する資金のことである。その運用先はいろいろある。たとえば不動産であっても、事業用不動産で、賃貸等で運用し、そこから収益を生み出すものであれば資産といえる。しかし、自己使用物件は支払う賃貸料を節約できるだけで、収益を生み出すものではない。したがって、資産とはいえない。だが、資産の概念が曖昧になった現代日本では、自己使用の不動産も「資産」とみなされがちである。

そう考えてゆけば、もう理解できるだろう。年収がいくら多くても、それを全て消費に回したのでは、決して資産は増えない。年収の多くの部分を消費せずに投資し、それを回転させなくては本来の意味での富裕層ではない。投資性向がなく、消費性向だけの層は、富裕層でも資産家でもなく、「成金」である。少なくとも「戦前」の日本においては、「資産家」と「成金」は明確に違う存在として識別されていた。資産家は社会になくてはならない層だが、成金はどちらかというと罪悪な存在とみなされた。

無産者層から見ても、「資産家」はどちらかというと社会的にエスタブリッシュされた階層として、尊敬すら集めていた。これに対し「成金」は、もともと自分達と同じ無産者層から成り上った人が多かったこともあって、その妬みも含めてバカにされあざ笑う対象であった。そのようなキチンとした伝統が社会的にあったにもかかわらず、「戦後」の日本社会においては全く省みられなくなってしまった。それは40年体制に欠かせない、悪平等の実現のためには、資産はあってはならないものだからだ。

昨今、「一億総中流の崩壊」とか「階層化の進展」とか、みんな横並びと思っていた社会が、実は構造的に一枚岩ではないことが明確になってきた。これなどは、フローのまやかしのいい例である。確かにフローだけ、年収ベースでみれば、昭和後半の日本は極めてフラットな社会であった。ただ、それはストックには目をつぶり、フローにだけ着目したから成り立った、まやかしの平等である。

年収は同じ800万だったとしても、資産のある人が年収800万なのと、資産のない人が年収800万なのでは、生活の室が大きく違う。それは、資産の運用で更なる収入が得られるという意味ではない。資産を持っていることにより、そもそも階層が違っていた。それを、あえて年収だけ比べることで同一視し、まやかしの「総中流」を演出しただけに過ぎない。同じ企業の同じ年次でも、東京出身者と地方出身者で生活の質に差があるコトは、当事者同士は昭和の時代から気付いていたことである。

なんのことはない。経済のグローバル化が進み、フローだけで見るというガラパゴス的視点が通用しなくなり、グローバル基準で捉えなおすと、一億総中流がウソで、実は階層は歴然とあった、というのがより正確な見方であろう。資産は一代にしてならず。三代たって、やっと資産家と認められるというのは、明治時代から言われていた。本来はそうなのである。それに気付けば、単に年収だけを気にすることの浅ましさがはっきりと見えてくるであろう。


(15/09/11)

(c)2015 FUJII Yoshihiko


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