貧困も天の定め




かつて「アメリカン・ドリーム」というものが、ひとつの理想として語られたコトがある。アメリカのような自由で競争原理が働く、機会の平等が保障された社会なら、ビジョンと企業家精神を持った人間には、必ずや成功のチャンスが与えられる。平たく言えばそういうことなのだが、日本ではともすると、「アメリカでは努力すれば成功して億万長者になれる」というニュアンスで捉えられがちである。

もちろん、アメリカン・ドリームが語られていたゴールデンエイジにおいては、アメリカはまだまだ強烈な人種差別社会であり、成功神話が与えられたのは白人、それもWASPに対してのみだった。それだけに、アメリカン・ドリームの裏側には、マックス・ウェーバーの指摘したプロテスタンティズムの持つ「現世勤勉性」が根強く反映されている。ここは、日本人からは理解しにくい点である。

つまりアメリカン・ドリームとは、神からチャンスを与えられた人間は、それを追及することが神の御心に応えることになるという考えかたである。しかしここで大事なのは、神は全ての人間に、アメリカン・ドリームを実現できるような思し召しは与えてくれないという点である。成功する人間もいれば、苦労し挫折する人間もいる。夢半ばで早死にしてしまう人間もいる。これらは、全て神の意思により定められている。

これが、キリスト教の神と個人の関係において核心となる、「予定説」の考え方である。欲を出して、もっともっとと上昇志向を貫くのは、神の意思に反する。そういうように高望みするのではなく、与えられた宿命を粛々と生きれば、最後には救われる。現世での運命を受け入れてその中で精一杯生きれば、現世においては辛くとも、最後に天国に行くことができる。運不運もまた、神の意思のあらわれなのである。

世界史的に見れば、ある意味、中世以降に大衆レベルに広まった宗教は、教義の中に多分にこういう要素を含んでいる。それは、王侯貴族とは違い、大衆が基本的に現世志向が強いからである。純粋に死後救われることだけを説くのではなく、現世においてどういう生きかたをすればご利益があるかを説き、日々の生活をより気持ちよく過ごせるものでなくては、大衆には広まらないのだ。

そして、大衆の中には成功者よりは、苦労している人の方が多い。大衆のための宗教は、そういう人々を勇気付け、現世を生きるための生きがいを起こさせるものでなくてはいけないのだ。そういう目的のためには、「予定説」は非常に親和性が高い。神が決めた運命を受け入れれば、神の思し召しがある。それは、現状を受け入れ、無用な欲を出さず日々を生きるための道しるべになるからだ。

「神」をもう少し普遍性のある超越的存在と言い換えれば、もっと多くの宗教を「予定説」として捉えることができる。浄土真宗の教えなども、阿弥陀様を超越した存在である「唯一神」として捕らえれば、まさに「予定説」そのものである。それは、親鸞上人の有名な教え「いわんや悪人をや」の意味をキチンと知れば容易に理解できる。だが、このことばは実際の意味とはかなりズレて解釈されがちである。

浄土真宗の教えには、広く信仰されたがゆえに、本来の意味とは捻じ曲がって使われているものも多い。「他力本願」などもそのいい例であろう。これもまた「予定説」と関係ある言葉なのだが、今回は「悪人」の方である。悪人とは、近世以降は「犯罪者」という意味になっているが、親鸞上人の使った元来の意味は、「辛い業を背負った人」ということである。今の言葉であえて「悪」を使えば「運の悪い人」となろうか。

運の悪い人は、阿弥陀様から現世の業としてそれを負わされている。であるなら、その宿命を受け入れ、その辛さに耐えさえすれば、極楽浄土に成仏することができる。それは運が良い人が現世の業を果たすより、よりわかりやすく成果が出やすい。コンテクストとしては、こういうことである。成功する業を負っている人は、それなりに努力して成功しなくては、阿弥陀様の意思に応えられず、極楽に成仏できない。それより、耐えるだけで極楽にいけるのである。それが「をや」に込められたメッセージなのだ。

すなわち、宗教を信じ、来世を信じることで、高望みをしたり、恨み妬みを持ったりせず、分をわきまえて生きてゆくることができる。貧困も、病気も、現世のうたかたの宿命。それを受け入れて耐えさえすれば、早く極楽に行けるのだ。近代になり、日本では来世でなく、現世利益だけを追求するようになる。これで人々が失ったものは大きい。貧困も階層化も、高々現世の業なのだ。テロも戦争も、多くがこの強欲さから発生する。まさに21世紀こそ、本来宗教が持っていた役割を取り戻さなくてはいけない時代なのだ。


(15/11/06)

(c)2015 FUJII Yoshihiko


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