あげつらい




この数年、日本ではスマホやタブレットが普及し誰もが持っているアイテムになるとともに、SNSなどユーザが爆発的に広がり、UGMのあり方がそれ以前とは大きく変わってきた。具体的にいえば、自分の理解力のなさ、根性のなさ、余裕のなさを、なんとか正当化しようという書き込みばかりが目立つのだ。その方法としては、とにかくへ理屈で押しまくるやり方と、同じ境遇の仲間を見つけてスクラムを組み数で押すやり方の二つがあるようだ。

個人的には、いろんな意見があっていいと思うし、どこかで勝手にやってる分には、どんな意見であろうとあえて見ようとしなければ別に気にもならない。SNSならブロックするなり、見えなくする方法はいくらでもある。相手がストーカー的にどうしても読まそうと絡んでくるのなら、そういう手を打てばいいだけのことである。それはそれでいいのだが、なんでこういう卑屈な現象が起こるのかという理由は、ちょっと気にかけておく必要があるだろう。

SNSは、極めて民主的な環境である。それと同時に、インターネットの匿名性は実社会で声になりにくい「ホンネ」をあぶりだしてくれる。この二つが成り立つSNSのような場で語られることこそ、「本音の民意」を的確に反映していると考えた方がいい。そうである以上、実はもともとそういう卑屈な人々の方が日本人には多く、マジョリティーを占めていると理解しなければならない。実は安定的で豊かな社会になってはじめて、人々は卑屈になるのだ。

その理由を探るために、まだ開発途上国だった1950年代の日本を振り返ってみよう。そのころの日本人にも、同じぐらいのパーセンテージで卑屈な発想をする「因子」をもった人達はいたものと思われる。しかし高度成長前の日本社会は、社会全体としては余りに貧しかった。その日の食い物を手に入れるのに精一杯。こういう社会においては、卑屈な性向を持った人も、生きて行くためには「貧しくとも実直に生きる」しかなかった。

我慢するのがいや、我慢ができない人でも、余りに貧しく何もない状態なら只々我慢するしかない。上を見て、モノ欲しそうな顔をして駄々をこねるのは、社会に余裕があってはじめてできることなのである。すなわち、高度成長の恩恵が回ってくるには時間がかかるし、人によってタイムラグがある。条件が同じアイツはいい思いしているのに、自分のところにはオイシイ話が来ない。こういう状態になるってはじめて、妬みが発露するのだ。 これは、右肩上がりの経済成長が完全に終焉したバブル崩壊以降、特に顕著に現われてくる。まさに「失われた10年」「失われた20年」と呼ばれる経済の低迷は、この妬みとも深い関係がある。90年代以降日本経済の低成長ぶりは、経済政策の無策さがその大きな要因ではあるのはもちろんだが、自分が努力しない代わりに努力して成功した人を妬みまくる、日本人のマジョリティーである卑屈な人々が、足を引っ張り合い過ぎたのもその大きな要因の一つ考えるべきである。

少なくとも、かつてこういう人達は、かなり数がいたことは確かだがバラバラであり、一つのオピニオンとしてまとまることはなかった。みんな勝手に、一人一人恨みがましくウジウジしているだけであった。その状況を変えたのが、インターネットの大衆化である。ある意味、多数を繋げてゆくということでは、アラブの春、ジャスミン革命と一緒だが、その中身は正反対のネガティブなものである。卑屈な妬み・恨みが、インターネットを大衆化し、インターネットが卑屈な妬み・恨みをメジャーにした。

彼らの特徴は、現状を呪えるなら「とんでも本」的な内容にも喜んですがるところにある。理屈の正当性なんてどうでもいい。実は、そういう「とんでも本」にすがっている人は数が多い。場合によっては、そっちがマジョリティーだったりする。みんながそう信じていることが大事なのだ。インターネットでは、みんなですがれば、数の力で論説の中身に関わらずそれが「正しく」なってしまうのが特徴である。wikipediaが、ときどきとんでもない内容になってしまうのはこのためである。

つまり、SNSで現状を呪い合えば、その呪いこそが民主主義の多数、すなわち「正しいこと」になってしまうのだ。インターネットでは、「舐め合う傷こそ正義」なのである。SNSが大衆化したモチベーションは、ここにある。みんな恨んでる、みんな妬んでる。それを確認するだけでも、人は心安らぐのである。人それぞれ、この現象に対して持つ思いはあるかもしれないが、この事実は受け入れる必要がある。

かつて、エッジなアーリーアダプターだけがインターネットを使っていた時代があった。その頃は、インターネットが社会を変えたり、時代を動かしたりするんじゃないかという期待と夢があったことは確かだ。しかし現実は全く違う。逆に「マジョリティーの数が、インターネットを変えた」のだ。もはや超ベタになったネット社会には、夢などない。「泣く子とマジョリティーには勝てない」ことは、自分の意見とは別にしっかり心にとめておかねばならない。


(16/01/29)

(c)2016 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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