不倫騒動




このところ話題となるのは、政治家でも、芸能人でも、一般人でも、不倫のニュースばかりである。不倫というと、昔は芸能人の不倫騒動とか、どちらかというと興味本位、プライバシーを覗くような関心から語られる記事が多かった。そこには、正義ぶった倫理観が振りかざされることはなかった。しかし、最近の不倫騒動では、そもそも「不倫が反道徳的で人の道にもとる」という感じで問題視されることが多い。

果たしてそうなのであろうか。不倫とは、恋愛の一種である。ただ単に、恋愛関係になって愛し合う同士が、既婚者だったというだけである。既婚者であろうとなかろうと、好きになり惹かれあうのは、人間である以上全く自然な感情である。確かに日本の民法では重婚はできないが、離婚して再婚すればいいだけである。それは法律上も全く問題ないし、誰にも認められている権利である。

もっというならば、こういう恋愛感情の問題は、当事者・関係者の間ではいろいろトラブルも起こるが、第三者には全く影響を与えることがない、ごくごくプライベートな事柄である。言い換えれば、問題は自分たちの責任だけで完結できる。それならば、当事者の自由に任せて、周りがとやかく言うべきことではない。ところが、妙に周りが干渉したがるのだ。まさに「下衆の勘繰り」というヤツである。

なぜこういうことになるのか。そこには、かなり根深い問題が潜んでいるのではないか。だいたい、倫理観や社会正義が語られるのは、なにかうしろめたい理由があるときの隠れ蓑ということが多い。不倫の問題は、男性側から見た価値観と、女性側から見た価値観とで大きく変わる。筆者は男性なので、女性から見た価値観については語る資格を持たない。ということで、なぜこれだけ不倫ネタは話題になるのかということについて、こと男性において考えてみた。

男性について見る限りにおいては、「不倫は許さん」という単にモテない男のヒガみだ。これは間違いない。モテる男はモテる。何もしなくてもモテる。モテない男はモテない。どんなに努力してもモテない。これは永遠のテーゼである。「リア充」なんて言葉ができる何百年も前から、男は女から二種類に分類されてきたのだ。つまり、女性が相手にする意味や価値のある甲斐性のある男と、その価値のない甲斐性のない男との間には、越えるに越えられないファイアーウォールがあるのだ。

これは、近代になって西欧的な一夫一婦制の核家族が基本になる前の社会においては、一層熾烈に現われる。歴史的に近世以前の社会においては、一夫一婦制ではなかった。江戸時代の日本社会がいい例である。しかし、こういう時代でも自分の子供を残せない男の方が多かった。夜這いとかで、偶然残せるチャンスもあったかもしれないが、それは偶然である。江戸時代を通して、妻帯できたのは男性の3割程度といわれている。あとは、一生独身だった。

その一方で、農村などでは女系の大家族だったので、ほとんどの女性が子供を持てた。ただし、誰の子供かは本人のみぞ知る。しかし、その実の父親たる男性は、特定の一部の人だけに集中しているのが実情である。それを大家族の中でみんなで共同して育てたのだ。ある意味、これが本質である。これが、近代産業社会の一夫一婦制の核家族の中でゴマかされてきたのだ。しかし、社会構造が変化する中で、そういう近代主義的なスキームも崩れてきた。

男は誰でも女性とカップルになれるというのは、所詮は幻想であった。この人間社会のオキテが目の前に突き付けられたとき、過半数を占める「モテてない男」はヒガむしかない。「俺には女性と付き合うチャンスが一度もないのに、モテる野郎は何度もチャンスがあって、何人もの女をモノにできるなんて」。「起て飢えたるものよ」の共産主義ではないが、飢えた非リア充は、不倫した男を血祭りに上げて溜飲を下げるのだ。

しかし、これは本質的に、動物のオスの宿命。逃れられないサガである。自然界においても、子孫を残せるオスは3割程度だ。競争原理が働き、生存競争があり、その中でメスに選ばれなくては存在意義がない。というより、メスが生物の基本であり、競争原理を働かせた有性生殖をするためだけにオスは存在する。いわば、オスはそれだけの存在なのだ。動物を見ていてもそうだが、オスというものは存在自体がせつないものだ。

人間の男女関係も、動物のオスとメスである以上、競争原理、市場原理が常に働かなくてはおかしい。それでは「神の摂理」に反してしまい、人類が滅亡する原因となる。不倫だなんだという前に、そもそも一夫一婦制というのがおかしい。一夫一婦制は、男尊女卑過ぎる。もっと男女の関係、恋愛関係も市場原理にしたがった方がいい。明治時代の政治家は器も大きいが、妾もいっぱい囲っていたし、彼女たちをみな幸せにしていた。今の政治家も、少しは見習ってほしいものだ。


(16/04/01)

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