国民国家の終わり




9.11以降、国家間の戦争の時代から国家対過激集団のテロ戦争に変わったという論説が多く語られるようになった。ある面でそれは事実であろう。経済活動のグローバル化が進むに従って、世界的にプレゼンスを認められている国家は、武力で決着を付けたくともそうは問屋が卸さない状況になってしまった。その一方で、高性能な軍需装備が容易に手に入るようになり、金さえあればテロ集団も国家を相手に戦闘を挑めるようになった。

しかし、これは単に戦争のカタチが変わったということではない。もっと大きな構造変化が起こっており、その結果の一つとしてこのようなテロの脅威が激化したと考えるべきなのである。つまり、経済活動のグローバル化も、テロの激化も、どちらも「大きな変化」が引き起こした「結果」なのだ。だからこそ、今起こりつつあるいろいろな事象に対症療法的に対応するのではなく、原因そのものに対する対処を考えなくてはない。

それは、「国民国家の時代は終わった」ということである。20世紀に生まれ育った人々にとっては、国家とは国民国家が当たり前である。しかし、国民国家という概念自体が近代の産物であり、高々2〜300年の歴史しか持っていないものなのである。人類にとっては原始時代にまでさかのぼらずとも、国家という概念が成立した「有史以来」で考えてみても、ある意味例外的な存在である。

それが絶対的存在になってしまった裏には、近代特有の発展段階説的な非可逆的な時系列の理解がある。近代とは、人類史上珍しく「右肩上がり」の時代である。こういう時代においては、歴史とは「どんどん大きく立派になっていく方向に進むもの」という思い入れが生まれる。おいおい、一旦手に入れた成功は未来永劫既得権になると考えがちである。だからこそ、本来相対的な存在である国民国家を、絶対的な存在として捉えてしまうのだ。

国民国家の基本は、ある意味数の論理にある。数の論理は近代の論理であり、それが行きついたものが産業社会である。産業革命以降の経済発展の追求は、数の論理の貫徹でもある。それは20世紀に行き着くところまで行き着く。そういう視点から考えれば、20世紀の社会が、国民国家を基本とした経済効率を追求する国際社会であったことも納得できる。20世紀に世界大戦が起こった理由もここにある。

だが、生産技術が進歩し経済的な規模の追求ばかりが進む一方で、情報技術の進歩はそれより遅れる形でしか進まなかった。ここに、全体最適の実現を阻む構造的矛盾が生まれた。20世紀は、戦争の世紀であり、イデオロギーの世紀であった。これらは、この生産と情報の発展の違いからもたらされたものである。社会主義経済など、今から考えれば「ママゴト遊び」であるが、貧者が精一杯最適化を図った苦肉の策であったといえるだろう。

しかし、20世紀末から21世紀初頭になって、やっと情報技術がキャッチアップするようになる。そして高度情報化社会が実現した。すなわち、情報化した現代社会は、近代の産業社会とは構造的に異なるのである。20世紀の社会において、宿命的な矛盾と思われていたことは、多くが解決してしまう。その反面、20世紀の常識や制度は、全く無意味になってしまう。その最たるものが、数の論理の無力化である。

情報化社会においては、最適化が実現できてしまう。それならば多様性を大事にして、小さく固くまとまるほうが効率的であり、リスクも少ない。実は、そのほうが市場原理に合っている。インターネットの普及とともに「ショートヘッドではなく、ロングテールの時代」などと言われたのは、この構造変化を直観的に感じたからこそである。もはや企業も国家も、「大きいことがいいこと」ではないのだ。

しかし、現状のほとんどの制度は20世紀までの産業社会をベースにしたものである。アンマッチングがあらゆるところで引き起こされている。しかしこういう現象は、過渡期特有のものである。旧来の制度にしがみつきたい守旧派も多いが、もはやすがるべき制度自体が成り立たなくなっている。一方で新しいことを始めたくても、制度自体が足を引っ張って枷となっている人もいる。国家の概念自体を変えなくてはいけない。情報化時代にふさわしいのは、やはり「小さな政府」なのである。


(16/07/15)

(c)2016 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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