高望み




人間は夢や希望を持つ生き物である。そして何を夢見るかは全く自由である。それは夢があくまでもイマジネーションの世界の中の存在であり、現実のしがらみとは一線を画するものだからである。ある時には、夢は発明や発見を生み出し、人類の進歩に貢献し、社会の発展をもたらすものとなる。その一方で、夢と現実の区別がつかなくなり、妄想の中で生きようとすることで、社会から断絶してしまう人もいる。

夢は夢だからいいのだ。それを現実と勘違いするようになってしまっては、「無謀な願望」としか言いようがない。だが、実は自分達の求めているものが「無謀な願望」であり、「絵に描いた餅」でしかないにもかかわらず、その矛盾に気がついていない人達は驚くほど多い。それは、自分が持って生まれた以上、自分が稼いだ以上のモノを望んだり欲しがったりする人達である。

財布の中に1000円しかないのに3000円の買い物をしようとする人は、ある種おかしい人であると誰もが思うであろう。ましてや、自分は1000円しかないのだが、それが欲しいのだから1000円でよこせと主張したところで、全く妥当性も説得力もない。ところが、こと官がらみの事業となると、様相は一変する。保育園でも、生活保護でも、老人介護でも、予算の総枠も考えず、一円でも多く分捕ろう、自分にはその権利がある、と主張し出す人が結構いる。

こういう人達がタチが悪いのは、「自分達は弱者なんだから、貰う権利があるし、当然の主張としているだけだ」と信じきっていることである。もちろん、ある程度の公的補助や支援が必要な人は存在するし、適正な範囲で税金をそういう目的で支出することは、ある意味社会的義務である。しかし、それには限度がある。なんでもかんでもタカれば分け前に預かれるというものではない。それでは原資がいくらあっても足りなくなってしまう。

そもそも公的補助とは、自助努力をしているからこそ、それで不充分だった分を補助するための制度であり、最初から脛齧りを狙っている人達を、丸ごと面倒見てあげようというシステムではない。全員が脛齧りになってしまった社会を考えてみればすぐにわかるが、経済的に成り立つわけがないのである。であるにもかかわらず、今の日本にそういう「人種」がかなり生息しているのはなぜだろうか。そのルーツは高度成長期にある。

高度成長期は、経済が右肩上がり、それも相当の高率で成長し続けるという稀有な時代であった。こういう状況下では、現状においては原資がなくても、来年になって経済が成長すれば、その差で支払えるという「後払い」の勘定が通用した。現代日本の多くの制度は、この時代に高度成長が未来永劫続くことを前提に設計され、導入された。しかし、現実はバブル崩壊以降横ばいの安定成長になってしまった。そのわりに、そこに生きる人の意識の中には、高度成長期の意識が刻み込まれたままである。

確かに高度成長期なら、上を狙えたし、自分の身の丈以上に背伸びができた。昇給が続くなら、返済できる範囲なら、ローンやサラ金を利用して「収穫の先取り」をすることができる。もちろんそれには限度額があるし、それを越えてしまったら破綻することになる。かつての高度成長期は、かなりの希望を満たしても大丈夫なくらい、所得も右肩上がりに成長した。このため、中長期的には収支がバランスしていなくては破綻するという最も基本的な事実さえ、忘れ去られてしまった。

でも、それは稀有な時代であり、二度とは戻ってこない。「失われた十年」で、それがうすうすわかってくると、今度は公共事業に代表されるような官のバラ撒きに期待するようになる。いくら官といったって、その財布には限度がある。個人にローン破産があるように、将来を含めた収入以上に支出することはてきない。財政も破綻する。単純な引き算である。無い袖は振れないのだ。かくして、財政は赤字化し破綻することになる。

歴史の中では、ほとんどの時代において、つつましくつつがなく生きていくことが最高の幸せであった。高望みは厳しく戒められ、あるがままでも行けてゆけることを、この世の幸福と感じていた。元来はそうなのだ。人間は、自分が得たもの・持っているものだけで暮らしてゆけなくてはおかしいのである。それ以上の高望みは悪であり、地獄に落ちる邪念の欲望なのだ。

日本人は、冠婚葬祭はさておき、倫理的には無宗教である。極めて刹那的である。鬼のいぬ間の洗濯、旅の恥はかき捨て。自分では自分を律することができず、周囲の目が光っていない限り、極めて自己中心でエゴイスティックな行動を取る。しかし、これからの時代、それでは世界の中で生きてゆくことができない。足るを知り、現状に満足する喜びを知る。これができるようにならない限り、グローバルに評価されることはないだろう。


(16/08/05)

(c)2016 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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