差別・イジメがなくならない理由





このところ国の内外を問わず、その原因を考えると深いところで差別やイジメの意識が影響していると考えざるを得ない事件が頻発している。少なくとも日本においてはこの30年ぐらい、差別・イジメをなくすための努力が行われてきたし、それなりに成果も上がってきていたはずである。しかし、差別・イジメは人々の心の中からなくならず、タテマエではなくなっても、より陰湿な形で地下に潜ったかのようである。

そのプロセスでは、差別・イジメが起こるメカニズムについてもいろいろ分析されてきた。しかし日本において、それも特にいじめが問題となっていた教育界においては、原因としてはミクロ的でローカルな理由がことさら注目されてきた。どちらかというと、一般的な理由より、個別特殊的な理由の方が重要視され、問題視される傾向が強かった。しかし、それでは問題解決にならなかったと言わざるを得ない。

それだけではない。今や差別やイジメは日本の学校だけではなく、大人の社会でも見られるし、さらにはグローバルにあらゆるコミュニティーの中で顕著な問題となってきている。今求められているのは、このようなグローバルな差別やイジメについても解決可能なソリューションである。日本における今までの視点では、このような問題を解決することはできない。すなわち、もっと普遍的な視点から、差別やイジメが起こる理由を突き止めなければ、解決はできないということである。

古今東西を問わず、人類のあるところイジメは起こっている。問題を正確に捉えるには、まずこの視点からスタートすることが必要である。ヨーロッパでもアメリカでもイジメはあるし、差別に至っては欧米の方がよほど根強い。あちらの差別は、一つ間違うと命を奪われることになるぐらい激烈である。このように、差別やイジメは人類の性とさえいえる。これを解決するためには、より普遍性のある理由を捉えなくてはいけない。

まず、どういう人が差別やいじめを行うかという点に着目しよう。「金持ち喧嘩せず」といわれるが、上流階級の人、先祖代々リッチな人は、他人を蹴落とす意識はほとんど持っていない。当然、差別やイジメを行うことはない。それだけでなく、弱者や不幸な人を見ると、寄ってたかって叩くどころか、寄付や慈善事業など積極的に手を差し伸べて救おうとする。日本では、天皇陛下をはじめ皇族の方々の社会的弱者に対する慈悲にあふれた視線を思ってもらえば、そのイメージが理解できるであろう。

一般のアベレージレベルの人達も、手こそ差し伸べこそしないものの、わざわざ差別したりイジメたりしてコミットするほど暇ではない。自分が差別やイジメの対象になる危険性があるときは、マジョリティーに紛れ込むことで、サイレントな差別者やイジメっ子になることは有り得る。学校で起こる人身御供型のイジメはこれで引き起こされる。が、それは学校という閉鎖的な特殊空間の中だから起こることである。一般社会では、サイレント・マジョリティーがワザワザ手間暇かけて炎上に加担するなんてことは起こり得ない。

では、差別やイジメはどこで起こるのか。それは、最下層にいる者同士が、最下位争いをする中から生まれるのだ。いわば「目くそ鼻くそを笑う」である。最下層にいる人間は、当事者達以外の人々から見れば、同じ穴のムジナである。ほとんど違いはない。しかし、上昇するチャンスも気力も失ってしまった人達にとっては、自分より下位の存在を「発見」し、それを見下げることで「自分は最下位ではない」と溜飲を下げるしかない。ここに、差別・イジメが起こる原因がある。

だからどうでもいいような些細な差異を針小棒大に取り上げ、それこそが正統と異端を振り分けるカギであるかのようにふるまう。これは、先に言ったもの勝ちである。アメリカでも、人種差別は生活レベル的には変わらない下層の白人と有色人種との間で起こってきた。まさに、自分達より「下」の人達を作り出すことで、自分の居場所を確保し安心したいのだ。このプロセスこそ、差別・イジメの本質である。

では、社会が豊かになり、その果実をすべての人々が得られるようになれば、差別・イジメは解消するのだろうか。みんながリッチで上流になれば、差別やイジメはなくなるようにみえる。確かに、ユートピア論的にはそれが正解であろう。しかし、現実はそんなに楽観的ではない。それは、人間がヒエラルヒー的な生き物で、どんな場合でも序列を作り出してしまうからだ。全ての人がある程度以上の充分な収入がある状態になったとしても、それはそれで序列を作りたがるのだ。

経営学の組織論では、2・6・2の法則というのがある。どんな組織でも、積極的に組織を牽引するハイパフォーマンスが2割、言われたことはこなすという受動的な組織人が6割、問題を起こして組織の足を引っ張る問題児が2割という構成になっているというものである。これには有名な実験があり、各組織でハイパフォーマンスな人材だけを集めてドリームチームを作っても、その中で2・6・2の法則が働いてしまうことが知られている。

実際、各小学校の1・2番が集まる中高一貫の有名進学校でも、2割はドロップアウトが出てしまう。スカウトが全国から優秀な選手を集めたプロチームでも、2割はうだつが上がらないまま終わってしまう。人間にこういう習性がある以上、どんなに全体の生活レベルが上がっても、最下位争いはなくならない。そして最下位争いが起こってしまう以上、差別やイジメは根絶できないのである。

逆に言えば、こういう人間の習性に根差した原因をキチンと踏まえれば、対症療法としては差別やイジメの発生を防ぐことは可能なはずである。最下位に近い人達が、横を相互に見れないようにして、自分の立ち位置を知れないようにし、最下位争いを引き起こさせなければいいのである。既存の社会構造を前提としたのでは、それは極めて難しいかもしれない。しかし、差別やイジメを防ぎたいのであれば、そのぐらいドラスティックな措置をとらなくてはならないのだ。しかしそのための方策を取ることを、果たして人類は決められるのだろうか。そっちの方が問題だろう。

(16/10/28)

(c)2016 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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