今「1970年」を考える





昭和レトロブームが続いて古いものに興味を持つ若者が増えているが、高度成長期である昭和30年代やバブル期である1980年代などと並び、エポックメイキングな時代として昭和40年代が着目されることが多い。確かに昭和40年代は、64年の東京オリンピックの頃まで広く残っていた貧しい中進国だった戦前からの生活文化が一変し、オリンピックと共に都市部に生まれた今の時代につながる先進国としての生活文化が、全国津々浦々にまで広がってゆく時代であった。そういう意味では、「現代」が生まれた創世期として捉えることもできる。

それ以前の習慣や日常行動は、今の若者には理解しかねるものも多く含まれるが、少なくともこの時代以降のものであれば共感はさておき理解はできる。たとえば音楽で言えば、60年代半ばまでは邦楽は「歌謡曲」、洋楽は「ポップス」しかなかった。しかし、1967〜8年頃から邦楽では当時「ニューミュージック」と呼ばれたシンガーソングライターやバンドを中心とする今のJ-popの先祖のジャンルが生まれ、洋楽では音楽と若者文化が一体化した「ロック」が生まれた。この時代に作られた曲は、今でもよくナツメロではなく聴かれていことがそれを示している。

ファストフードやファミレス、コンビニなどもこの時代に生まれたので、もし今の若者がタイムスリップしたとしても、70年代に入ってからならなんとか生きてゆくことはできるだろう。筆者は、昭和40年代が丁度10代とシンクロしている。このような時代に多感な年代を過ごし、多くの刷り込みを得たということもあるだろうが、それ以降便利で楽にはなっているが、生活や文化のあり方に根本的に大きな変化があったとは思えない。この時代の変化が大きすぎるからだ。そういう意味では、受け入れやすいレトロという意味で人気があるのだろう。

一方この時代は、1970年の日米安全保障条約が10年目を迎え効力自動延長が開始されたのに合わせて行われた「安保闘争」をピークとして、学生運動が盛んだったため「政治の時代」とも呼ばれている。しかし、実は当時の大学進学率は1割台であり、新左翼運動を行っていた全共闘といった大学生は同世代の中ではマイノリティーだった。確かに学生運動の活動家は世間を騒がしたが、集団就職で仕事をしている同世代の間に大きな影響を与えたとは考えにくい。果たしてこの時代は本当に政治の時代だったのだろうか。

レトロブームで語られることが多いからこそ、定説にとらわれずキチンと実態を捉える必要がある。確かにこの時代は変化の時代であった。まさに生活習慣が大きく変わったように、古い制度や慣習が一気に崩れ、新しいルールが生まれようとしていたことは間違いない。しかし、全てが一気に新しく変わるわけではない。地域によっても変化に違いがあるし、領域によっても変化が速いものと遅いものとがあった。だからこそ、古いものと新しいものとの間の軋轢は大きかった。

従って、現状に対する不満、現状を変えたい欲求は強かったと言える。おまけに当時の若者には元気がある。おのずと不満が溢れて、ヤケになり破れかぶれになる。そこで考えることは一つ、「暴力だったら、勝てるかもしれない、時代を変えられるかもしれない」ということである。ある意味、発展途上国やテイクオフ期の矛盾に対して、このような現象は広く普遍的に見られる。ということは、これはイデオロギーではないし、思想でもない。

この手の暴力行為を支えているのは、現状への不満と腕力・筋力への自信、この二つだけなのだ。不満があれば、手っ取り早く爆発させたくなる。爆発させれば、何かが変わる。それが何だかわからないが、爆発させないよりさせた方が変化が近づく気がする。それだけの思い、それだけの信念が突き動かしたものであったことは間違いない。何も確信もないけど、あふれる気合を腕力に託した。それだけであり、政治でも思想でもないのである。

あくまでも思想的バックグラウンド、政治的目的が必要となるのは、自分を正当化するための方便なのである。当時流行った言葉で「造反有理」というのがあるが、まさにそのココロはここで言っているそのまま。「正当な目的」という理屈があれば、どんな暴力も破壊も許されるという意味である。そして、その理屈は後付け。世の中が悪い、世の中を変えるんだって理屈が付けば、暴力が肯定されそうな気がしていたのだ。

ある意味、これは現代でも充分見られる現象である。欧州で破壊活動を行っているホームグロウン・テロリスト達も、イスラム原理主義に惹かれて過激なテロリストになるのではなく、現状への不満を暴力にぶつけたいのだが、それを正当化し「造反有理」のお墨付きを貰える「理屈」として、いまのところイスラム原理主義が一番手っ取り早いから、そこを拠り所にしているというのがホントのところだろう。70年前後の状況を実体験として知っていることをベースに言うなら、これが実は本音であろう。

そういう意味では、こういう暴力活動は「オナニー」みたいなものである。本番ではない。我慢できなくなって爆発しちゃうのだ。さて、70年前後の日本においては、我慢できなくって「暴発」し、それで何かができた人もいる。しかし、何もできなかった人のほうが多いだろう。デキた人は、間違いなく「とんがった」人である。そして当時は、とんがってる人が勢いがあった時代である。このコンテクストに乗り、バクハツしちゃったけど粋がれたひとが、何かを出来たというだけである。

そう、本来学生運動は「とんがってること」が大事だったのに、いつのまにか思想信条やイデオロギーの問題になってしまった。まさに日本の秀才が抱える、「手段の目的化」といういつもの落し穴にハマったのだ。最初にやっていた人達は、「方便」がわかっていたものの、後から来た人達はお題目を真に受けてしまったのだ。新左翼といわれていた人達が、過激派になり、社会から遊離していったのも、まさにその変化がもたらしたものである。

そのタイミングは、奇しくも70年代も半ばが近づき、昭和40年代も終わりを告げる頃。まさに日本において、高度成長の成果が津々浦々におよび、みんなが豊かな世の中になってしまった。当時、大学進学率が高まり、キャンパスに入って行った「新人類」と呼ばれた世代は、現状の社会への不満を持っていたわけではない。持っていたのは「親は理解してくれない」という家庭の問題や、「なぜ自分だけモテないのか」という個人の問題だけである。かくして、今に続く「日常」の火ぶたは切って落とされたのだ。


(17/01/12)

(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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