規制依存症





最近、特に10代や20代といった若者を中心に、法律や規制などルールを守ることに異常なまでに忠実な人達が増えている。まあどのくらい遵法精神を持つかというのも、個人レベルでは「思想信条の自由」の範囲なので、極めて規則に忠実に生きようと、ルールを無視して生きようと、自己責任の範囲に留まっているのなら他人がとやかく言うことではない。こんなのは、AKBの誰のファンだというレベルの違いである。

しかし最近ではその度合いが過剰になり、「自分がルールを遵守することで、ルールやそのバックにある国や地方公共団体などが自分を守ってくれる」という勘違いをしている連中がかなり顕著な存在となってきた。というかそっちがメジャーになりそうな勢いである。そのルールを守っている限り、自分は安泰であると思い込んでいる意味では、法律依存症、もしくは規制依存症ということができる。

こういう人達は、概して他人に寛容ではない。「自分がルールを守っているんだから、お前らもルールを守れ」とばかりに、周りに向かってルールの遵守を押し付けてきがちである。確かに、いくら自分がルールを守っていても、それで「お上」が自分を守ってくれるわけではない。それは幻想である。これを現実化するためには、周りのみんながルールを守っていることが必須である。この事実に薄々気がついているからこそ、周りにもルールの順守を押し付けたがるのだろう。

しかし、人間はそんな性善説な生き物ではない。極めて利己的に行動する。ある意味生物である以上、基本は利己的に行動するように本能づけられている。それが生命の本質でもある。人間には理性があるので、理性が生まれる前の赤ん坊と、理性を司る脳が破壊された認知症老人を除けば、理性によりある程度利己的な本能を抑制して生活しているというだけである。あまり抑制しすぎれば、ストレスが溜まるしメンタルにも支障をきたす。

少なくとも、「自分はルールを守るが、他人は守らないのがデフォルトであり、常に他人からの危険にさらされている」という認識は持っていなくては、生きてゆけないところがグローバルレベルではほとんどなのである。ルールを守っていれば大丈夫などという能天気な話は通用しない。こういう発想が、日本人の活躍の場を狭め、世界から取り残されてゆく原因となっていることは間違いない。

それだけではない。国内にあっても、こういう甘えの精神がイノベーションの可能性を未然に刈り取ってしまうのである。ルールを守っているところから、革新は生まれない。誰も見たことのない新たな発明や発見は、既存のルールを外側から生まれる。これはどの分野においても見られる現象だが、特にテクノロジーやサイエンスの分野では、既存のルールを破る事こそイノベーションだと言っていい。

昨今、日本の技術開発力の低下が危惧されているが、その原因は教育とか理系の待遇とかではなく、まさにこの「若者における遵法精神の蔓延」にこそ求めるべきである。コンピュータやネットワークの技術は80年代以降飛躍的に進歩し、今の情報社会を現出させた。それらの技術の多くは、エスタブリッシュされた大学や研究施設から生まれたのではなく、市井のベンチャー技術者が、ほとんど個人レベルで築いていったものである。

その原動力となったものこそ、「ハッカー精神」である。ハッカー精神とは、法律に触れようが禁止されていようが「技術的に可能なコトであれば、それを行う技術を持っている者ならやって構わない」ことである。これがあるからこそ、多くのベンチャー技術者たちが、同時多発的にあらゆる可能性を追求するようになり、加速度的に新技術が生み出されていった。まさに、ハッカー精神により好奇心が解き放たれて、イノベーションを生むのだ。

日本でも、NTT設立以前の80年代においては、電気通信は日本電信電話公社の独占事業であり、全てのものが許認可制でがんじがらめになっていた。そのため、電電ファミリーと呼ばれた大手コンピュータメーカーは、通信領域に関してはその規制に守られて胡坐をかいていた。その隙間を縫うように、70年代末から現れてきたベンチャー系のソフトエンジニアを中心に、無許可で海外の機器を輸入し、勝手に回線に接続して実験的なトライを行う者が増えてきた。

ハイパワーのコードレス電話といった製品はもちろん、高速シリアルインタフェースや高速モデムを使い、ダイヤルアップではあるものの、単なるパソコン通信を越えて実験的に高度なネットワーク環境を作り出していた人達もいた。こういう人達がその後、LAN/ネットワーク関係のノウハウを元に、日本におけるインターネットの基礎を築いていったのは言うまでもない。

ハッカー精神のルール破りがなければ、日本でこれほどまでにインターネットが急速に普及することはなかっただろう。確かに、今でもネットビジネス界ではこういうハッカー精神が悪い方に出てしまった例もある。しかし、毒と薬は紙一重。イノベーションをもとめるのなら、一律禁止ではなく、ルール破りを基本的に認めた上で、度が過ぎるヤツにはそれなりの制裁が与えられる環境を作るべきである。成長のためには、少子化よりも、教育よりも危険なのが「規制依存症」なのである。

違法だからこそ面白いし、反社会的だからこそワクワクする。今あるところにとどまらず、現状を打ち破って行こうとする、アクティブなマインド。この気持ちこそ、人類の進歩の源泉である。体制内に順応してしまっては、イノベーションはできない。既存の企業や組織ではできないからこそ、起業するのではないか。イノベーターは、ルールを嫌う。イノベーターは、秩序を打ち破る。規制に依存して、体制内に安住する人達は、早晩AIに置き換えられるぞ。茹で蛙になってしまってからでは、遅いのだ。


(17/01/27)

(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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