学習力と発見力





長年人生を生きてきて、いろいろな人間を見て、接しているといろいろ発見がある。そん中から気付いたことの一つに、人がものごとをマスターするようになるプロセスは、どうやら大きく分けて二種類あるようだということがある。課題に対してそれなりの回答を出せ、ある程度のパフォーマンスを上げている人間でも、かなり得手不得手の違いがある。どうやらこれは、ものごとの理解の仕方と密接な関係があるようだ。

一つは経験の中から自ら答えを見つけることにより、答えを導き出すプロセスを会得するタイプ。これをここでは「発見力」と名付けよう。もう一つは先人が到達した答えを勉強することで、答えの出し方を記憶するタイプ。これをここでは「学習力」と名付けよう。自分で見つけるのか、教えてもらうのか。これは、理解の二つのカタチである。現実には、どちらのタイプでも同じ答えを導き出せる課題も多い。

二次方程式の解の公式など、学校の試験はその典型であろう。機械的に教科書に載っている公式を丸暗記してしまっても答えは出せるし、自分で(x+a)*(x+b)から逆に解法を導き出しても答えは出せる。その違いは、丸暗記した人は忘れてしまえば手も足も出ないが、自分で導き出した人はいつでもそれを再現できるのでツブしが効くというところだろう。学校ではその違いが顕著に現われることは少ない。

これは、基本的に頭の構造の違いである。一人の人間の中でも、科目や課題の違いにより、「発見力」で対応したり「学習力」で対応したりすることはある。しかし、その人が基本的に「発見力」で学ぶのか、「学習力」で学ぶのか、どちらなのかという根本的な違いがあり、これはいかようにもしがたいものである。どちらがいいか悪いかというものではなく、人間としての類型の違いと考えた方がいい。

学校の勉強などでは、「学習力」の高い人間の方が効果的である。一般的に秀才とは「学習力」の高い人間である。教科書にマーカーで線を引き、補色のクリアシートを載せて字が読めないようにして勉強するのが得意な人は、このタイプである。もっとも、すぐに一発で解き方を覚える人と、何度も何度も繰り返さないと覚えられない人というように、その記憶の効率は人によって違うのだが。

これに対し、「発見力」の高い人間は公式や解法を丸暗記するのは不得意なので、勉強の効率は決してよくない。例題を解くのも、解き方を暗記するのは苦手で、自分で解き方を発見しないと覚えられないので、あくまでも自分で解法を発見するためのプロセスである。おまけに、語学における文法や書取、歴史における年号や偉人の名前、理科で言えば生物や地学などいわゆる「暗記問題」は極めて苦手である。

ただ「発見力」の高い人間は、一旦理解してさえすれば、その課題に対しては極めて応用力が高く、そこから派生するいろいろな問題に対しても解決力を持つことができる。同様に、全て自力で解法を発見してきたワケなので、今まで経験したことのない新たな問題に出会った時も、それを解決する能力を持っている。すなわち、「発見力」の高い人間とは、「地アタマ」のいい人間なのだ。

また「発見力」の高い人間といえども、あらゆる領域で同じように「発見力」を発揮できるわけではない。「発見力」が働くには土地勘のような「関心の高さ」がかなりものを言う。したがって「発見力」が高い人間は、かなりのパフォーマンスを発揮するものの、「得手不得手」がはっきり顕れてしまい、「学習力」の高い人間のようにどの分野でも「点を取れる」ワケではないのも特徴である。

「学習力」の高い「秀才」と、「発見力」の高い「地アタマのいい人」。今までの産業社会においては、どちらかといいうと秀才の方が有利だった。特に先進工業国としては後発で「追い付き追い越せ」をモットーとしていた日本においては、欧米の学ぶべきことはたくさんあり、それらを効率よく自分のものにできる「秀才」は重用された。ただし、当の欧米においては、この両者を適材適所で抜擢して利用することが進んでいた。

そして今や情報社会となり、高度なAIが実用化される時代となった。ネットワークで結ばれた巨大なデータベースに蓄積された情報を、高度かつ高速な情報処理能力で分析すれば、とても生身の人間である「秀才」などかなわないぐらいの「学習力」の高さを発揮する。そういう意味では、この二つのタイプが並列的に捉えられる時代は終わった。これから人間に求められるのは「発見力」だけなのである。

これから重要になるのは、この両者を見分ける能力である。ペーパーテストなどでは、中々差が出にくい。面接でも、よほど人を見る目がないと、入念に予行練習を重ねてきた秀才を見分けることは難しい。しかし、それは想定外の事態が起こった時にはっきりする。想定外の事態に対応できるのは、「発見力」だけなのである。コンピュータのロジックに則っている以上、AIも想定外にはめっぽう弱い。まさに、ここにこそこれからの人間のアイデンティティーがあるのだ。


(17/02/10)

(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる