安心と安全





東京都中央卸売市場の豊洲移転問題を巡って、「安心」と「安全」の違いが問われている。「安全」ではなく「安心」を重視するというのは、生活者インサイトを理解した発想である。21世紀に入ってからの基本的なインサイトとして、「生活者は理屈で動くわけではない」というものがある。今に始まったことではなく、日本が「豊かな社会」になった1980年代から見られた現象であるが、この十数年はそちらが基調として認められるようになった。

生活者は理屈ではなく、感覚・感情で動くのである。好きかどうか、楽しいかどうか。それだけが、商品を購入したり、コンテンツを楽しんだり、人々に行動を促すモチベーションとなっている。すでに生活のインフラとして充分にいろいろなモノを持っている。飽食だし、生活時間もほぼ埋まっている。そこに新しいアイテムを嵌め込まなくては、消費に結びつかないのだ。

貧しくて飢えていた時代なら、まずは食うために必死にならなくてはいけない分、ほぼ理屈通り動く。理屈というか、食いモノがあるところに集まるのである。実は、高度成長期の日本のマス・マーケティングとは、このように「砂漠に水を撒く」ようなものだった。こういう構造のマーケットなら、消費者の行動はほぼ予測可能だし、それが「マーケティング理論」として黄金律とされた。だがそれは、あくまでも「持たざる者」にモノを売る手法である。

今はこのベースとなる社会構造が違う。社会的なインフラも充分に整っている。生活の基本的な資産も充分持っている。「足りなくて困っている」モノは何もない。現状で満足し、問題がないのである。だからこそ、好きか、面白いか、楽しいか。それでしか支出はしない。これは消費市場だけの問題ではない。社会生活そのものの問題である以上、政治や社会に求めるものも、同じように変わってしまっているのだ。

マーケティングは経済学とは違う。最近では「行動経済学」とかも出てきたが、理論体系を求める経済学においては、人間は「理性的行動」を取ることが基本になっている。物理学でいう「摩擦=0」でのモデル化のようなものである。基礎理論を導き出すのには有用ではあるものの、そこから実用に役立つソリューションが導き出せるわけではない。経済学が理学なら、経営学は工学なのである。

マーケティングは理論的正しさより、経験的効果を重んじる。いわば「当る鉄砲の打ち方」である。古い理論が通用しなくなったら、新しい理論を作ればいいのである。理論的整合性があるかないか、いいか悪いか、といった問題ではない。目的が経済活動である以上、ケ小平氏の黒猫白猫論ではないが、大事なのは結果なのである。いわば、こういう発想が政治や行政でも必要となっている。

安心の方を人々が重視するならば、そっちを前面に出したほうが「売れる」のだ。ここが、秀才の演繹的な理屈発想とは違う。小池さんは、新進党の頃に仕事でお手伝いさせてもらったことがあるが、この辺の「庶民感覚」については、皮膚感覚的に極めて良くわかっている政治家である。そういう意味では、追い風に乗ったというよりは、勝負どころを心得て、自分の土俵に持ち込める試合を挑んでいるということができるだろう。

そもそも「安全基準」というのが、官僚的発想である。形式要件さえ守っていればOKという官僚的な許認可基準は、一見科学的な対応のように見えるが、ある種それを免罪符とする壮大な無責任体制である。基準自体官僚達が決めたものだし、その基準を根拠として許認可行政を行っているのだ。こうやって決められた数字が、清廉潔白なわけがない。いろいろな思惑と裏のからくりが潜んだ数字である。

その数字さえクリアしていれば、誰にも責任がないというのが「安全基準」である。その数字自体は、後付けで論理的な理屈が付けられれば、恣意的に決められる。そしてこういう「屁理屈による正当化」こそ、秀才エリートたる官僚の最も得意とするところである。彼らの持つ豊富な知識を組合せ、論理的整合性だけはキチンとまとまった「説明」を行う。ところが実はその議論の「前提」自体の正当性には全く触れない。

前にも論じたことがあるが、官僚組織に代表される日本の男性社会は、実は互いにもたれ合うことでだれも責任を取らなくてよくなる「甘え・無責任」の体制である。体育会などではよく「連帯責任」が問われるが、連帯責任とは実はみんなでまぶして揉み消すことで責任の所在をあいまいにすることである。そこに禊はあっても、責任を取ることはない。「安全基準」は、そういう組織の論理なのだ。

そういう意味では「安全」を前面に出す発想自体が、20世紀産業社会的なスキームだし、誰かに責任を押し付けようという行為なのだ。この数年、20世紀的な遺物の最後のあがきのような現象がよく見られる。この問題もまた、その一環として捉えることができる。それだけに最終決着までには抵抗も激しいと思われるが、後世の歴史家から見れば、大きな歴史の転換点として位置づけられるであろう。


(17/03/24)

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