Gallery of the Week-Apr.01●

(2001/04/27)



4/4w
ブルネイ王国 森山正信写真展
国際機関日本アセアンセンター 銀座

今月はなぜか二本目の、知り合い関係の展覧会。今まであまりないパターンだが、結果的に知り合い筋が多くなってしまったという感じだ。もっとも、多少忙しいということもあるのかもしれないが。森山正信さんは、大阪をホームグラウンドに、広告をはじめ幅広い領域で活躍している写真家だ。ぼくにとっては、90年代の始めに、現代アーティストの蔡さんのイベントで知り合ったのが最初の出会いだ。
今回の写真展は、1996年から6回にわたって撮影を行った、ブルネイ王国のいろいろな顔をとらえた写真により構成されている。おなじみの豪華な王宮やイスラム寺院をはじめ、自然や風物、人々の暮らしなど、天然ガスの産出や国富の豊かさでは知られているものの、あまりそこに住む人々については意識の薄いブルネイ国の様子を伝えてくれる。
しかし、面白いのはそのアーティフィシャルさだ。もともと南方の強い陽射しに照らされると、人工物はいやが上にも「人工的」に見えてくる。これは、グアムやハワイでもおなじみだろう。しかし、ブルネイはその度合が違う。それを4×5をはじめ大判、中盤で細密に描写しているのだから、何ともスーパーインポーズのように見えてしまう。それだけでなく、大きなプリントはディジタイズして、カラープリンターでプリントアウトしている。こうなるともはやCGだ。それがまた、周囲から孤立して豊かな国であるブルネイらしく見えてしまうところが、面白いところだろう。




4/3w
20世紀と人間 ロバート・キャパ賞展
東京都写真美術館 恵比寿

20世紀の、ということは歴史上、最も偉大な報道写真家と呼ばれる、ロバート・キャパを記念し、1955年に「アメリカ海外記者クラブ」と「ライフ」が創設した、報道写真家に送られるロバート・キャパ賞。この展覧会は、過去キャパ賞を受賞した39人のジャーナリストの中から、報道カメラマンだった34名の代表作と、キャパ自身の代表作で構成された、20世紀の報道写真によるドキュメンタリー。誰をとっても、有名な写真家だし、どの写真を見ても、どこかで目にしたことのある、有名な作品ばかりだ。
題材も20世紀を象徴するがごとく、戦争、冷戦、テロ、宗教対立、飢餓などを中心とし、最前線から命懸けで撮影し、フィルムを持って帰ってきた様子が、作品の緊迫感から伝わってくる。取材中に殉職したカメラマンも少なくない。作品としての定評もあるワケだし、この面については言うことはないだろう。一度見ておいて損はないし、リアルタイムでその報道に触れたヒトにとっては、写真から、その時代までも生き生きとよみがえってくる。
とはいうものの、何かが引っ掛かるというか、鼻につく。ドキュメントではあるものの、どの作品もそれなりに撮影者の主観が入っている。そして、その主観はある種キャパ賞の主体が示しているように、アメリカジャーナリズムの正義なのだ。冷戦の時代には、反共産主義が正義。ベトナム戦争に苦しんでいる時代には、ベトナム反戦が正義。人権擁護の時代には、アメリカの価値観にあうものが正義。それは言論の自由でいいのだが、その主張が、命の尊さとか、悲惨さ、同情といった、極めてタテマエ的な正しさと直結サセられていることには若干の疑問を感じる。
そもそも戦争なんてものは、やってる最中はどちらにとっても「それぞれの正義」がある。最後に勝ったほうが、自分の正義を声高に主張するというだけで、それは相対的なものでしかない。戦友が目の前で死んでいったアメリカ兵も悲惨だが、それは同じように解放戦線の兵士にも起こっていることだ。宗教対立でも同じこと。どちらがどっちということはないはず。それが、きわめて一方的な視点で押し切られてしまうところに、いかにもアメリカの賞だというのをいやがうえにも感じてしまった。



4/2w
デザインの解剖(1) ロッテ・キシリトールガム
デザインギャラリー1953 銀座松屋

今週もハードスケジュールなので、手近なところで調達してしまった。佐藤卓さんの手になる「ロッテ・キシリトールガム」のパッケージデザインを取り上げ、デザインが実際の商品になるまでを実際の展示で見せてくれる。実は今、佐藤卓デザイン事務所と一件プロジェクトを走らせているので、そういう理由もあって、ぜひみたいとは思っていたのだが。
展示は、小規模だが、なかなか秀悦だ。パッケージデザインが中心となる、ガムという商品を材料ととして、どのように商品のイメージが作られ、それをカタチにしてゆくかを、ステップを踏んで、具体的に示してくれる。いわば商品づくりの教科書を、展示の形で見せるようなしかけだ。デザインという意味でも、いろいろ学べるが、もっと広い意味で好奇心をくすぐられる仕掛けになっている。
ぼくは、パッケージデザインやロゴデザインも異常に興味を持っている子供だったが、インダストリアルデザインとか、もっと広い意味での「商品がどうやって作られるのか」ということにも、とても関心の高い子供だった。こういう展示を、小学生ぐらいの頃に見たら、きっと食い入るように一日中でも見ていて、全部暗記してしまったに違いない。そこまでインパクトを受ければ、人生もきっと変わっていただろう。この展示を見て、人生が変わってしまう子供がいることを期待している。



4/1w
eX- KCHO×KENJI YANOBE
資生堂ギャラリー 銀座

新装なった資生堂のビルに、新たにオープンした新装資生堂ギャラリーのこけら落とし。出し物は、船や桟橋をテーマにしたインスタレーションを得意とする、キューバ人アーチストのカチョーと、シュールな巨大メカのオブジェでキワどいテーマもコミカルにさえ見せる、ヤノベケンジの合同展。新・資生堂ギャラリーはなかなかのスペースで、空間としての広さも含め、一段と充実した感じがある。美術受難の時代に、これだけのスペースを新規に割いた資生堂の経営陣に拍手を送りたい。
カチョーの作品は、それなりにシリアスなテーマもあるようだが、ぼくにはどちらかというとほのぼのした感じが前に出て感じられる。なんというか、印象派が好んで描きそうなテーマを、立体化してしまったという感じ。そう感じられるということは、作るほうもそういう余裕があるのだろう。一方ヤノベケンジの作品は、一段とほのぼの感が伝わってくる。テーマのベースにはチェルノブイリがあるようだが、これもそんなことはどうでもよくなりそうな、ゆったりとしたスケール感が愉快だ。一見、つながりの薄い両アーティストだが、もしかすると「シリアスなテーマを感じさせないまったり感」が共通しているということなのだろうか。
しかし、資生堂さんも大変だと思う。資生堂というブランドを守り、その付加価値を高めてゆく上で、文化活動は必須であり、大いに貢献しているのは確かだが、それを理解できるヒトは必ずしも多くない。もともと「大衆」相手のブランドバリューではなく、こういう「質」を理解する人達の間でブランドバリューを上げることが、企業価値を高めることになるのだが、これは今の時代にはかなり辛い。ストックマーケット自体が、かなり大衆的なモチベーションで動くようになっているからだ。
そういう意味では、今後はホールディング会社とブランドオペレーション会社とを、経営上明確に区別して、マーケットに対しては「金以外の文句はいわせない」で済むようなファイヤーウォールを構築する必要があるだろう。このような活動は、社会的にも大変価値のあるいいことだし、それが経営やブランドバリューにもプラスではあるのだが、いかんせん、マーケットの口出しできるところにおいて置くワケにはいかないからだ。何とも辛い時代だとは思う。今後も頑張っていただきたいのだが。



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