Gallery of the Week-Aug.01●

(2001/08/31)



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不可能の伝達者 写真家|シュルレアリスト 山本悍右
東京ステーションギャラリー 丸の内

ぼくは不勉強にも詳しく知らなかったのだが、昭和初期から1980年代まで、写真を中心に、詩作や絵画など、シュルレアリズムの領域で活躍した山本悍右の生涯を、未発表作品をふんだんにフィーチャーして開かれる展覧会。シュルレアリズムというと、戦前のイメージが強いが、意外にも戦後も、量も質も濃い活躍をしている。
彼の作品の特徴は、きわめて独自性の高い作風をもち、それを生涯にわたって持ちつづけている点だろう。実にプリミティブでナイーブな視点を失わない人なのだ。シュルレアリズムというよりも、アウトサイダーアートに近いものさえ感じる。これは、昭和初期の芸術写真家の多くがそうだったように、アカデミックな芸術教育や写真技術教育を受けた人ではないことが影響しているかもしれない。
そういう意味では、子供がはじめてカメラを持つと一度は取って見たくなるような構図やモチーフにあふれている。それは、作品から時代性を消すことにもつながり、戦前の作品も戦後の作品も、並べて違和感なく見られることにつながっている。
きっと表現ってこういうもんなんだろう。新鮮な発見や驚きをそのままカタチにしたいという欲求が、そのまま絵になっている。それは、ともするとわれわれが見失ってしまうモノの一つだ。表現の原点を思いこさせてくれるのは、なかなかいい刺激だった。ほとんど客がいなかったが、表現者には見てほしい展覧会といえる。



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1930年代日本の印刷デザイン
国立近代美術館フィルムセンター 京橋

日本で大衆社会をベースとしたマス・コミュニケーションが成立した1930年代。それはまた、コミュニケーションのための技法やそれを使うノウハウ・アイディアも確立した時代だった。文章をレタリングで書き込んだ「イラスト」をシルクスクリーンで刷ったポスターが、洗練されたコピーを写植を使用して書き込みオフセットで印刷したポスターに変わるまでには、いろいろな実験と実践がくりかえされ、その中から手法が確立してきた。そのプロセスを、ポスターや雑誌の表紙・広告ページで振り返る企画展である。
通常、この手のモノとなると、必ず出てくる名作ポスターというのがある。今回も、もちろん何点かは出品されているのだが、けっこうはじめてみる作品も多い。特に社会主義・労働運動のポスターが多いせいもあるのだが、それ以外にも目新しいモノが多い。また、アールデコやバウハウス、社会主義リアリズムといった、海外のデザイントレンドを忠実に反映したものばかりではなく、どちらかというと「字余り」な作品もあり、かえってこういう作品のほうが、その時代のホンネが見えていて面白い。
さて一通り見て驚くのは、これらの作品がおなじ30年代という時代に作られているという事実である。ある種強烈なメッセージをなげつけるがゆえに、その時代背景さえ暗く感じさせてしまうプロレタリア思想のポスターが作られた時代と、海外のトレンドを反映し豊かな気分さえ感じさせる宣伝ポスターや映画ポスターの作られた時代。それぞれの時代が日本の戦前の歴史にあったことは知っているのだが、それが同時代的に感じられることは少ない。しかし、こうやってならべることにより、改めてその事実を確認することができる。それとともに、大恐慌から戦争までの日本が、実に多様な大衆文化の華を開かせていたことに驚かせられる。
日本のグラフィック・デザインの成立史を追うというのは、ほとんどライフワークのようになってしまっている面もある・しかしそれを極めるには、受け手である生活者の変化、大衆の成立史というところまで含める必要があると共に、まだまだ知るべきことが多いことを感じさせてくれた。けっこう面白くてためになる展覧会。


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スミソニアン・ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵作品による 肖像が語るアメリカ史 / アメリカン・ヒロイズム アメリカが創った英雄たち
国立西洋美術館 上野

ワシントンにあるナショナル・ポートレート・ギャラリーの改装にあわせて行う、所蔵作品のアメリカ国内および海外での巡回展である「肖像が語るアメリカ史」と、全米各地の美術館、歴史博物館から集めた、アメリカやその歴史を象徴する絵画の展示である「アメリカン・ヒロイズム」を組合せた企画展であり、日米文化交流の一環として開かれる展覧会。普段、書籍や雑誌のさし絵としてみることはあっても、絵画作品として見ることが比較的少ない作品が集まっている。
ナショナル・ポートレート・ギャラリーは、1960年代になって開館したコレクションであり、アメリカの歴史を代表する人物の肖像画をコレクションすることを目的としている。その対象も広く、政治家や軍人にとどまらず、実業家や学者、芸術家など、その時代時代のアメリカ文化を代表する人物を網羅している。結果として、ポートレートとしてのスタイルも幅広く、それぞれのリアルタイムに近い時代の作品であることもあいまって、まさにアメリカの文化史を感じ取ることができる展示となっている。
一方アメリカン・ヒロイズムは、アメリカらしさを象徴するヴィジュアルを時代ごと、テーマごとに集めたものである。独立期の理念をそのままキャンバスに書きつけた宗教画の様な作品から、フロンティアへの憧れ、ワシントン、リンカーンのような偉人、世界の中心としてのアメリカ文明と、テーマや手法こそ変化するものの、流石にアメリカらしく、ストレートでわかりやすいことだけは一貫している。
しかしこう言ってはナニだが、この展覧会、830円という入場料も含めて、「大」国立美術館の催事というよりは、どう見ても百貨店催事である。だが、それは決して悪い意味ではない。見るヒトの視点の高さとあまり変わらないところに作品があるということであり、とてもポピュラリティーの高い作品の展示会ということだ。考えてみればそれは、アメリカが輝いていた時代のアメリカの良さそのものではないか。アメリカンドリームが、ハイソサエティーの中にあるのではなく、庶民の中にあったからこそ、アメリカでいられた時代。そう思うと、これらの作品がアメリカ人にとってかけがえのない意味のあるものであることもよくわかる。



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伝説の英雄たち 大松本零士展
伊勢丹美術館 新宿

「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」など、メカおたくとメルヘンがクロスする独特のヒット作で知られる漫画家松本零士氏の作品や、自身のコレクション、アニメ関連グッズ等から構成された、松本ワールドを網羅する展覧会。これまた伊勢丹の中西さんからチケットを頂いたので行ってきた。夏休み中ということもあり、ターゲットの端境期になるように、お盆休みでコミケの裏、という時期を狙って伊勢丹へ。戦後すぐの少年期の作品から、最新作まで、主要作品を懐古的に網羅している。
松本零士氏といえば、日本のコミックス・アニメ関係の作家の中でも唯一無二の特異なポジションにある。それは、もともと持っているパーソナリティーと、漫画家として登場してきたタイミング(第一世代と第二世代の間で、なおかつスロースターターだった)が重なり合って形作られたものだと思う。そのあたりが、時代とともに作品を振り返ることで実によくわかる。
ぼくなどは、彼が試行錯誤しつついろいろマンガを発表し、自分のスタイルを確立してゆくプロセスをリアルタイムで見ていた世代なので、そのあたりは実感としてよくわかる。しかし、アニメで当ててビッグになってからの時代から入ったヒトにとっては、けっこう違和感があるかもしれない。まあ、若いマニアックなヒトほど「歴史を学ぶ」のが好きなご時世の様なので、それは新鮮な発見になるのかもしれないが。
それにしても、現役の作家でもある氏の回顧展を、美術館でやってしまうという大胆な試みはインパクトがある。出来得れば、単に作品をならべるだけでなく、それぞれの作品の背負っている時代背景や、それぞれの作品がその時代に与えたインパクトなども同時に振り返ってもらえるともっとよかったかもしれない。ま、好きな人にはいいと思う。



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御本尊開帳記念 京都清水寺展
日本橋高島屋 日本橋

京都清水寺の御本尊である観音菩薩像は、33年に一度ご開帳される秘仏として知られている。去る2000年が、ちょうどそのご開帳の年に当たっていた。これを記念して、余り公開される機会のない清水寺内の各堂宇に安置されている仏像を中心に、各種寺宝を集めた出開帳の展覧会である。もちろん百貨店催事なので、出品されている寺宝といっても限界はあるが、逆に物量は相当なものがあり、まさに寺のお堂を一つ、催事場に建立したような感がある。
この場に陳列されている、江戸時代の絵図からもわかるように、江戸初期の再建以降は、清水寺といえば京の観光地中の観光地であり、物見遊山の場としてとらえられていた。それだけ、そのランドスケープや建築物が独創的で、迫力にみちていることも確かだ。そう考えると、確かに清水寺形式の仏像とかあるのだが、多くの寺が、その仏像とともに知られ、ご本尊を拝むことで行った気がするのとは大きく違う。
そういう意味では、清水寺の仏像、それも秘仏の本尊ではなく、日常的に拝まれている仏像をじっくりと味わうことができるというのは、一向かもしれない。確かに、他のこの手の展覧会以上に、仏像一つ一つを熱心に拝み、お賽銭を上げているヒトも多かった。それに、百貨店の中は寺の中とは違い、涼しくて気楽に参拝できる。もっともこれではご利益が減ってしまうかもしれないが。



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