Gallery of the Week-Dec.01●

(2001/12/21)



12/2w
「イタリア映画大回顧」ポスター展br> 東京国立近代美術館フィルムセンター 京橋

日本におけるイタリア年企画で、フィルムセンターで行われている「イタリア映画大回顧」との連動で、フィルムセンターが所蔵する、戦後イタリア映画のポスターを一堂に集めた企画展。そういえば、イタリア年企画もいろいろ見たが、もう一年経っちゃったのかという感じである。
もちろん、日本で公開されたときの日本語版のポスター・コレクションなので、20世紀後半の、ある種の日本のグラフィックデザインを網羅的に回顧するカタチにもなっている。まあ、映画のポスターというのは、デザイン的には極北というか、もっとも俗っぽい所にあるので、あまりそういう目で見られることも少ないが、時系列的にならべてみれば、それなりに時代が感じられて面白い。
しかし、それにしてもイタリア映画ってこうやってみると「B級」の名作(笑)が多い。スキャンダラスにヒットしたキワモノって、その多くがイタリア映画なのね。そういう視点では、日本の映画ポスターが持つキッチュさと、映画の内容のB級さが、妙にマッチしていい味を出している。「フランス映画ポスター展」ではこうはいかないかもしれない。
ぼくなんか、世代的には「サブカル」としての映画(なんたってニューシネマ世代ですすから)はあっても、大衆娯楽としての映画は消えてしまった時代に育ったのだが、それでもそれなりに映画のタイトルをきけば思い出す時代のニオイがある。そういう意味では、本当に映画が娯楽の王様だった時代に育った人にとっては、単なるポスター展以上の思い入れがあるのだろう。



12/2w
東京建築展 住まいの軌跡/都市の奇跡
江戸東京博物館 両国

大震災と戦災という二つの破壊を間にはさみ、富国強兵からバブル崩壊まで、人類史上でも類まれな歴史を経てきた、20世紀の東京。世界の大都市の中でも特異点のごときそのユニークな遍歴を、東京の街を形作ってきた建築物から読み解こうという展覧会。展示そのものはあくまでもファクトの積み重ねを基本とし、至って淡々とした語り口で迫ってくるが、そこから沸き起こってくる思いは、展示のヴィジュアル面での造型のように、実にユニークで深いものがある。
しかし改めてこうやってみると、建築という「表現分野」なり、建築家という存在が光を放っていられたのは、あくまでも建築物が社会、とくに大衆社会に対する発信力を持っていたからに他ならないことがよくわかる。はっきりいってしまえば、近代建築とは近代の象徴だからこそ強い存在感があるということだ。人々が「建築物」にそういう象徴性を求めず、機能性しか読み取らなくなってしまえば、それは建築家がいくらリキを入れたところでマスターベーションになってしまう。
そして、少なくともどんな大型のモニュメンタルな建築物であろうとも、大規模でコンセプチュアルな都市開発であろうとも、近代に飽和してしまった「大衆」、平準化の行き着いてしまった「大衆」は、今やそこに象徴性など求めないし、見出すことはないのである。元来建築とはそういうものなのだろう。東大寺の大仏殿は最大の木造建築物だから存在感があるのではなく、東大寺を象徴する大仏を覆っている一点において存在感があるように。
そう思ってみると、建物を作る技術者としての建築家は今後も職業として成り立つだろうが、20世紀的な意味での「建築家」は、もはや成り立ちえないという気がしてきた。この展覧会の企画者が、そこまで深読みしてコンセプトを作ったとは思えない。いやそう思えないクールな視線を持っているからこそ、「建築の終わり」が読み取れてしまうのかもしれない。そういう意味では必見。実に得るものが多い。建築家にならなくてよかった。ぼくは生まれて初めてそう思った。



12/1w
マン・レイ展 -オリジナルプリントを中心として-
ツアイト・フォト・サロン 日本橋

20世紀前半のシュルレアリズムの時代に活躍したアーティストに関しては、歴史に残る代表作、というのもそれはそれで極めて重要だが、そうでない日常的な習作っぽい作品に、けっこうその人のパーソナリティーや本質が出ていることも多い。というより、有名な作品自体がかなり特異点的に生まれてしまった、ということが多いような気がする。ということで、「オリジナルプリント」という部分にひかれて、マン・レイの別の一面が見れるのではないかと思って日本橋へ向かう。
写真画廊なのはわかるが、しかし、それにしても場所が発見しにくい。画廊の中でも、これほど発見しにくいところは余りないのではないか、と思うぐらい、隠れ家のような趣のシチュエーションである。それでいて一応通りには面しているというのだから、何ともマニアックである。ある種、来ることを拒否し、来る人間に挑戦しているような感じだが、これはこれで面白い。
で作品だが、なるほど人々のイメージするマン・レイらしい作品もあるにはあるが、なんとも「普通の写真」とでもいったほうがフィットしそうな作品のほうが圧倒的である。1930年前後という時代を考えると、その時代のジャーナリスティックでない写真としては、実にノーマルなものばかりだ。ある意味で、当時の旅行に行った思い出の写真や、久しぶりにあった友人ポートレート、といった「記念写真」とでもいうべき、とても素直な写真である。
でも、こういうのってスゴくうれしくなったりする。これが、なにげない写真も、全部シュールなライティングになってたりしたら、それはそれで面白いけどなんか違う気がする。もし、当時日本に観光旅行にきて、奈良の大仏とか、日光の陽明門とか記念写真を撮ってたらけっこういい感じかもしれない。思わずそんなことも思ってしまった。



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