Gallery of the Week-Sep.02●

(2002/10/25)



10/4w
第20回 写真「ひとつぼ展」
ガーディアン・ガーデン 銀座
忙しくなると、手近ですます。もうほとんど見抜かれている行動様式だが、背に腹はかえられぬ。お許しいただきたい。しかし、今のオフィスの場所は、こういう時には本当に便利だ。さて、写真ひとつぼ展である。「ひとつぼの壁面を与えられ、そこに自由に構成した写真作品を発表する」ことをコンセプトに、「個展開催権」をかけて公募で参加するコンテスト。一次審査がコンセプトを示すポートフォリオで審査され、それを通った出品者だけが実際に展示できるというシステムになっている。
実は、この仕組みがなかなかのミソになっている。ここで発表すべき作品は、個別の写真という面も、組写真という面もないわけではないのだが、実は写真を構成要素としたインスタレーションに他ならない。確かに、グランプリ作品は写真である前にインスタレーションとしての作品になっていた。しかし、他の作品は、あくまでも写真表現にとどまっていたモノがほとんどであった。
一つ一つの写真のパワーもあるが、全体としての構成のパワーはさらにある。というのが求められる作品だと思うが、ここの写真にはパワーがあるものの、そのパワーに頼って構成が独自に主張するメッセージが希薄なのである。確かに、「写真系」のアーティストが中心になっているのだが、こういう場だからこそ、もっと写真を表現手段として使う現代アート系の人に参加してほしい気もする。



10/3w
本田宗一郎と井深大展 -夢と創造-「もの」づくり・町工場から世界へ
江戸東京博物館 両国

戦後日本を代表するグローバル企業である、ホンダとソニー。その創業から発展まで、ベンチャースピリットを持った技術者として引っ張っていった経営者である、本田宗一郎と井深大の足跡にフォーカスを当てた展覧会。モノ作りの企業である以上、両者の代表的な製品を中心にした展示となっている。従って、企業博物館的な展示であり、いわゆる一般的な博物館・美術館の企画展とはずいぶん趣が違う。会場にきている中高年層の話を垣間聞くと、両社の関係者や、製造・販売での取引先として携わっていた人がけっこういるようだ。それもまた独特の雰囲気を作っている。
欲を言わせてもらえば、個人的には両者の個人名を冠している以上、もっとその類まれなパーソナリティー、オリジナリティーをクローズアップして、人間本田宗一郎、人間井深大の実像と、それがいかにして形作られたかを中心にした展示が見たかった気もする。しかし、場所が江戸東京博物館ということを考えると、ある種のノスタルジーにひたれる、戦後の歴史をホンダとソニーという二つの企業の歩んだ道から振り返る、というテーマは収まりがいいことも確かだ。
それにしても、展示品のほとんどについて、何らかの形で現役の状態を見ている、というのも、なんと言ったらいいものか。もちろん、初期の製品については、発売されたのは生まれる前である。しかし、クルマにしろ、AV機器にしろ、耐用年数が結構長い。それに、時代が遡るほど、そういうジャンルの商品は高額の高級品であり、大事に長く使われることが多かった。ということで、「未だ現役」の状態で残っているものも多く、子供時代にリアルタイムで目にする機会も多かったというワケなのだが、なんか自分も博物館の展示物に近くなった様な気分である。不思議なものだ。



10/2w
四国霊場八十八ヶ所 空海と遍路文化展
東京都写真美術館 恵比寿

なぜか、このところ空海づいている。空海、真言密教に関連した本を何冊か読んだり、先週京都に行ったときも、結果的に空海ゆかりのところを廻ることになった。いわば「マイブーム」である。まあ、これもその延長といえないこともないが、その前からはじまったら行ってみようか、と思っていたものではある。
それにしても、東京都写真美術館である。確かに、藤原新也氏をはじめ、四国遍路にゆかりの写真作品も出品されてはいるものの、こういうカタチで、基本的には写真や映像でないものがメインの展覧会というのは珍しい。もちろん、すべての企画展を見ているわけではないので何ともいえないが、はじめてなのではないだろうか。
さて展示は、それぞれの寺の御本尊を紹介する掛け軸と、各寺の持つ寺宝による、八十八ヶ所霊場の寺院の紹介がメイン。たちどころにして、霊場巡りの気分が味わえるという企画である。この手の企画は江戸時代からあるし、そもそも各地毎にローカルの霊場巡りが設定されていたりするのと同じである。「お手軽にエッセンスだけ頂きたいという日本人の心情」は、いつの時代も変わらないのであろう。
さて空海だが、遍路信仰自体が弘法大師信仰の産物、という以上の関係ではなく、特に空海自身の四国での修行とか、実際の足跡とかにスポットライトを当てたわけではない。時代とともに、空海への信仰自体が土俗化し、庶民的になってゆくと同時に、空海自身も神格化され超越的な信仰の対象になってゆく。ある意味では、それは人間が自然に感じる神聖で霊的なものを重視した密教が、大衆の中に拡がってゆくプロセスそのものなのかもしれない。そういう意味では、空海なんだと思う。

10/1w
平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術 他
京都文化博物館 三条高倉

さて、今回はこのシリーズとしては珍しく、東京を離れての展開。かなり忙しかったので時間が取れず、出張のついでに京都での訪問、ということになった。この京都文化博物館、歴史的なレンガ建て建造物である日本銀行京都支店の別館と、その裏に立つ6階建の本館からなる府立の博物館である。各フロアでの常設、企画展を始め、貸し展示室、貸しホールまで備えている。地方の博物館の常で、かなり余裕のあるスペースの使いかたとなっているが、京都という、どちらかというとスペース的にタイトな都会を考えると、なんとも贅沢な空間である。
メインの企画展は、平山郁夫氏のライフワークともいえる「シルクロード」に関するコレクションの展示である。しかし、ほんとにシルクロードづいている昨今である。芸大の美術館でも、アフガニスタンの歴史的考古物の展覧会があったが、これもまた、ガンダーラの仏教遺物を中心とする考古物が中心となっている。しかし、なんというかあるところにはあるもので、これが個人コレクションと思うと感心してしまう。
それにしても、俯瞰性というのは良いもので、ギリシャ・ローマの造詣と、インドの信仰が結びついて生まれた仏像を始めとする仏教美術が、シルクロードを伝わってくるあいだにだんだんと中国化し、われわれになじみのある仏教造型になってゆく様子が比較できて面白い。外面的なカタチは違っても、その中でも共通している、「いいお顔」「ありがたいお顔」とでもいうような要素は何かということも自ずと見えてくるし、仏教の教えの本質も浮き上がってくるようで興味深い。
さて同時開催の工芸コーナーの展示は、「京都発!漆のメッセージ12 〜漆の可能性と本質の探求〜」というものである。中堅〜若手の京都の漆工芸作家12人の作品展だが、これがけっこう面白い。ある種、確かに工芸ではあるものの、平面絵画と立体彫刻の両面性を兼ね備えた作品が多く、そういう視点からみると、表現の壁を拡げるオブジェ的な作品としてもけっこうパワーがあるものが多い。この領域も意外と面白いということを感じさせてくれた。



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