Gallery of the Week-Nov.02●

(2002/11/29)



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life/art '02
資生堂ギャラリー 銀座

このところ、数年来の多忙状態である。多忙といってもタスクが多いというより、先が読めない状態で時間的制約がキツいので、およそ考えられる可能性には全て張っておかなくてはならないという状況である。なんとも時間が取れない。そういうときは、いつもながら近場である。ということで、今週から新企画がスタートした資生堂ギャラリーである。
展覧会は、life/art '02。昨年の資生堂ギャラリーの再オープンにあわせてスタートした、今村源、金沢健一、須田悦弘、田中信行、中村政人の5人による共同展。5カ年計画の企画展の2年目である。今年は、「家」をテーマにしている。そして圧巻は、リアルな「家」そのものも作品になっていることだ。
文化というものは、既存のスキームでとらえることができないものほど価値がある。無意味なものほど、文化としての価値は高い。その最たるものが芸術だ。役に立つ芸術、事業になる芸術では、芸術ではない。それはもはやデザインビジネスだ。しかし20世紀の産業社会は、そういう文化や芸術まで商品としてとらえようとしたし、我々もついそういう目で見てしまいがちだった。
そういう意味では、この作品は見事に芸術であり、文化だ。カタチの上では限りなく商品に近い形態をしていても、その実を抜き取り、美しいまでに無意味な存在にしている。寸前までの忙しさもすっかり忘れて、なんかウキウキした気分になってきた。久々に見る、芸術らしい芸術。これはスゴい。



11/4w
コンスタンティン・メーリニコフの建築 1920s-1930s
ギャラリー・間 乃木坂

ギャラリー間は、TOTOが運営している、建築とインテリアを中心としたギャラリー。ぼくが不勉強であったせいなのだが、もう20年近くやっているわりに、実際に行ってみたのは今回が初めてである。今回の企画テーマは、ロシアの建築家、というより旧ソ連といったほうがいいのだろうが、コンスタンティン・メーリニコフの短くも強烈な建築家としての軌跡を、EU諸国で行われた巡回展から振り返るものである。
コンスタンティン・メーリニコフが活躍したのは、まさにロシア革命直後の1920年代から30年代にかけてである。この時代は、世界的に見ても未来派が出てきたり、アバンギャルドが出てきたりと、社会がモダニズム基調に移る中で、20世紀の鬼っ子ともいえる、20世紀の工業化社会への、愛しくも、突き抜けすぎた感情を赤裸々にカタチにした表現があふれていた時代である。
それに加えて、ロシアでは革命により旧来の流れを全否定した中から、新たなフレームワークを築くべく、怒濤のようなムーブメントのただ中にいたのだから、ダブルで効いてくる。それに加えて、ゲルマンが自然数で、ラテンが実数なら、スラブは虚数、とでも言えるような、そもそもスラブの「何でもあり」体質が掛け合わされるのだから恐いものなしである。
その中でも、最もぶっ飛んでいたアーティストの一人であるのだから、そのエネルギーは世紀を越えても衰えない。アイディアもさることながら、プランだけではなく本当に作られたものの少なくないというのだから、時代や国そのものがスゴい。本当にユーラシア大陸のど真ん中というのは、魑魅魍魎で何が出てきてもオカシくはない。個人的にはこういうノリは大好きだし、こういうロシアも大好きだ。なんかうれしくなってしまう。これが建築の真の醍醐味なんだろう。



11/3w
ブラジルのグラフィックデザイン
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

ぼくらにとっては、ことブラジルというのは、未来世紀ブラジルではないが特別の響きがある。まさに地球の裏、というか、文字通り魑魅魍魎。何が出てきてもオカシくはない、日本の常識は全く通じない別世界というイメージだ。ブラジルの人にはいい迷惑かもしれないが、この猥雑な感じがあればこそ、ブラジルのイメージ、魅力が拡がるというものだ。世界広しといえども、こういうヤバい魅力があるのは、ブラジルかフィリッピンしかないだろう。
さてブラジルのデザインである。2年ぐらい前、「ブラジルのクリエーティブ」というのが話題になっていたが、デザインときた。そういう意味では「ブラジル+デザイン」という方程式は、なかなか魅力的ではある。鬼が出るか、蛇が出るか。ちょっと恐いもの見たさといった好奇心もくすぐられる。ということで、件の展覧会だが、ポスター等のグラフィックデザインについては、彼の国ではかなりインフラ環境が異なるらしく、同じ土俵での紹介がしづらいとのことで、デザインの中でも「本の装丁」というところに焦点を絞った展示となっている。
さて中身だが、期待しすぎたせいもあったのか、一言で言ってマトモでありふつうなのだ。なんか拍子抜けである。展示が本のデザイン、それもどちらかというとハイブローな書籍のデザインということで、もともとこの領域はグローバルにある種の「お約束」がある世界なので、仕方ないのかもしれない。でも、こういうのを見せられると逆に、街角のビルボードに張り出されているという「ビラ」のデザインとかのほうにスポットライトを当てたものが見たくなる。だって、日本だって色街のエロビラのほうが、今の日本のエネルギーをグラフィカルに表しているじゃないですか。



11/2w
日本・インド国交樹立50周年記念 インド・マトゥラー彫刻展
東京国立博物館 上野

ということで、今度はインド北部〜中部にあるもう一つの仏像の起源、マトゥラーのクシャーン朝期を中心とする仏像や関連彫刻の展覧会である。インド、パキスタンと宗教問題をバックに核兵器で対立する両国だけに、流石に一緒に開けないのは充分理解できるが、一緒にできないのはそれだけではない。やっぱりこの両者、相当に違うのである。もちろん、同時代的に存在し、相互に表現上影響しあったことも確かだが、明らかにルーツが違う。造型表現化するモチベーションや、造型上の記号が、こちらは、インド伝来のヒンドゥー文化からうけついだものなのだ。
そもそもインド亜大陸の中での初期仏像というのは、ガンダーラ仏に比べると、われわれが目にする機会は少ない。それは、日本に伝わった仏教が、ガンダーラから先、中国を経て伝わってきたということとも深く関係があるかもしれない。確かに、 てしまう。いや、それを我慢して耐えるのが修行ということかもしれないが、何とも不思議である。ある種の仏像であることまではわかっても、その先は聞かなくてはわからない。そういう部分も含めて、新鮮な体験である。世界は広い。



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日本・パキスタン国交樹立50周年記念 パキスタン・ガンダーラ彫刻展
東京国立博物館 上野

それにしても、今年はシルクロードブームである。ガンダーラも、アフガニスタン側からアプローチした展覧会も複数あった。アフガン侵攻一年というワケでもないだろうが、妙な位相の合いぐあいだ。今度は負けじとパキスタン側からのアプローチ、真打の登場というところだろうか。そういえば今年は寺尾関も引退してしまった、なんて余計なことまで思い出してしまう。
実は、この展覧会は不思議な構造になっている。パキスタン・ガンダーラ彫刻展とインド・マトゥラー彫刻展とが、シャム双生児のように微妙な関係で開催されている。別の展覧会といえば別の展覧会だし、両方あわせて「初期仏像の源流を探る」というテーマの展覧会とも見える。料金もまとめてだし。複雑な国際情勢の産物ではあろうが、来週は連休進行ということもあり、ここでは別の展覧会という扱いをさせていただく。
さてガンダーラ仏といえば、ギリシャ・ローマやペルシャの文化の影響を強く受けていたシルクロードの地に仏教が伝来したことにより、それらの文化の持つ「象徴の造形化」カルチャーにより、それまで偶像化を行わなかった仏教に生まれた仏像として知られている。当然その造型にはギリシャ・ローマやペルシャの意匠が使われている。
しかし、基本的には「そんな遠くの意匠」という感じはしない。顔だちはさておき、正倉院御物ではないが、込められた隠喩は我々にとっても受け入れやすいものだ。そういう意味では、日本はシルクロードの東の端だし、日本の仏教はガンダーラなくしてあり得ないだけでなく、いろいろな意味で「文化が繋がっている」感じが伝わってくる。日本でガンダーラ仏のマニアが多いこともうなずける。



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