Gallery of the Week-Dec.02●

(2002/12/27)



12/3w
Jung Yeon Doo TOKYOブランドシティー展
小柳ギャラリー 銀座

今年は、気候も何か変だったが、カレンダーも何かふつうじゃない。正月休みが長めなのはいいのだが、その分、年末・年始とも、なんか日程にアソびがない。年末の最終週というのは、通常だと「予備日」という感じなのだが、今年は最後までみっちり予定が入っている。ということで、今週も時間がない。しかし、近場の出し物は、ほとんどすでに潰している。で、ちょっと新しいトライである。
Jung Yeon Dooは、韓国の写真アーティスト。アルファベット表記からすると、鄭さんということになるのだが、日常の人達の日常の姿を切り取り、そこに日常的でない表現やエネルギーを込める作風で知られている。今回のTOKYOブランドシティーは、東京のブランドショップの店頭とそのスタッフを素材に、ブランドショップという非日常と日常の接点を切り取った作品である。
並んだ作品を見てびっくりするのは、その無国籍性である。確かに言われて見れば日本の東京の風景なのだが、それが日本なのだとちょっと見ただけではわからない。アジアのブランドショップの店頭というところまではわかるのだが、どこの国だかわからないのだ。スタッフもアジア人ということはわかるが、どこの国の人かは判別できない。
韓国をはじめアジア各国の街を舞台にした作品が多いせいでもないのだろうが、これは新鮮な驚きである。カメラの目を通し、印画紙に定着させた客観性があってはじめて見えてくることなのだろう。そういう意味では、こっちが本当であり、いつも肉眼で見ている景色は、主観のバイアスがかかっているということになる。今の日本ってこうなのね。いい悪いじゃなくて、改めて発見があった。なかなかショッキング。



12/3w
ハーブ・ルバリン展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

先週、先々週は忙中暇有りで、ちょいと足を伸ばせたが、事実上今年の最終週といってもいい今週は、流石に余裕なし。折りも折り、各美術館とも、正月を控えた年末の入れ替えでネタ切れというところも多いので、近場である。しかし、近場が一層近くなった昨今なので、これは時間的に助かる。ということで、ギンザ・グラフィック・ギャラリーである。
今回の展示は、実はもう楽日が近いのだが、20世紀後半のアメリカ・グラフィック・デザインの巨匠、ハーブ・ルバリンである。20世紀後半といえば、即、アメリカン・ポップカルチャーが世界を席巻した時代である。ということは、アメリカという冠を外して20世紀後半のビッグネームといっても間違いない。
事実、直接、間接を問わず、その影響を目にしていない人は、この時代の文明国に生きていた人なら皆無といってもいいのではないだろうか。日本でも、その作品がストレートに与えた影響ももちろん、60年代、70年代の日本のデザイン界の状況を考えると、当時跋扈した無数のクローンたちを通してもただならぬ影響を受けている。実際、なつかしいのである。60年代末から、70年代の状況が、そのオリジナリティーあふれるタイポグラフィーとデザイン・コンテクストを通して思い出されてくる。
そう、彼は広告のアートディレクションで名を成して後も、どちらかというとアンダーグラウンドやオルタナティブ的なカルチャーと常に接点を持っていた。70年代に入り、ちょうどロックがポップスにとって代ったように、そちらからの流れがかつてのメインストリームととって代わる時まで見届けることにより、ポップカルチャーを文字通りカルチャーにした。改めて60年代、70年代ってなんだったのか、もう一度深く考えて見る必要性を問われている気がする。



12/2w
江戸川乱歩の少年探偵団展 -迷宮へのいざない
弥生美術館 根津

先週の「岩崎・渡邉コレクション」から西尾氏、臼井氏、ときたので、今度は平井憲太郎さん、というわけではないのだが、今週は江戸川乱歩なのである。と書いてもほとんどの人には意味不明だろうが、一部の好事家の方には爆笑してもらえるのではないだろうか。この展覧会は、少年向きの雑誌や単行本になった、子供むけの怪人二十面相と明智小五郎、少年探偵団の対決ストーリーを、その表紙やさし絵から振り返ろうというものである。さて客層がおもしろい。戦前の軍国少年だったとおぼしき層から、我々のような中年のオジさん・オバさん、あと若い層でもメルヘン・ファンタジー系のマニアがきていたりと実に幅広いのだ。
それは、このシリーズは息が長く、昭和10年代から戦争をはさんで昭和30年代まで続いていることにもよるのだろう。当然ぼくも、その最後のところはリアルタイムで体験している。テレビ版の「少年探偵団」や少年雑誌のおまけなどは実になつかしいクチである。改めて驚くのは、そのテイストというか、ルック&フィールというか、スタイルがほとんど変わっていないことである。東京オリンピック前というのは、民衆の生活という意味では戦前の延長上にあったことを、改めて実感させられる。
しかし、よく中身を見て見ると、いかに子供向きとはいえ血は争えないというか、相当に耽美的な内容が含まれていることに気付く。今でもアニメやゲームで暴力的シーンや残酷シーンが問題になることが多いが、もしかするとそれ以上に危険な世界が、公然と登場している。そう思って考えると、確かに子供の頃、この手の怪奇モノを読むと、そのまま異次元に引き込まれそうなゾクゾクする感じがあったのだが、これは多分、このあたりの表現のもたらしたものだろう。
さて、同時開催というわけではないが、シャム双生児のような関係で、一心同体の「竹久夢二美術館」では、「竹久夢二のグラフィックデザイン」が特集である。確かに、商業美術が確立する時期に活躍した夢二は、本の装丁や雑誌のデザイン、ポスター等でも、アール・ヌーボーからアール・デコと、時代の影響を受けながら多くの作品を残している。生年と活躍時期が微妙で、もう少し長く生きて活躍するか、もう少し生まれるのが遅ければ、日本のデザイン創成期のデザイナーとしての名声が確立していたのではないかと思わせる。しかし、そうしたら画家としての存在感がどうなったのかと考えると、これはこれでいいのかもしれない。



12/1w
写真展・永遠の蒸気機関車 くろがねの勇者たち
東京都写真美術館 恵比寿

このWebを見ている人ならご存じと思うが、ぼくは鉄道関連、特にSL関連については、けっこう好きなほうである。一方、写真美術館も比較的よく足を運ぶギャラリーである。その両者が重なれば、きっと行くだろうというのも当然なのだが、自分の中ではけっこう複雑だ。自分自身その重なりが何なのか、自覚的にとらえることは難しい。なんかもやもやしたものがあることは確かなのだが、興味があることは、もちろんある。ということでガーデンプレースへ向かう。
写真展は大きくわけて3つの構成。一つは前世紀から今世紀初頭の作品を中心に、「写真家のとらえた、被写体としての鉄道」をくくったもの。次に、有名な「岩崎・渡邉コレクション」から。そして、西尾克三郎氏から広田尚敬氏までの日本の鉄道写真家の系譜図。というくくりになっている。とにかく、鉄道と写真は相性がいい。未来派ではないが、アートの世界においても、鉄道とか自動車、飛行機、大型建造物といった造型は、モダニズムのパワーとスピードを象徴するものとしていろいろなカタチで取り上げられている。
その中でも、写真の持つクールで詳細な表現力は、そういう現代的構造物のメカニズムをディティールまで描写し、まさにモダニズムの具現化としてとらえられたであろうことは容易に想像できる。やっぱり、「未来派」なモノは、絵で描く以上に写真である。ある意味で、こういう素材が立体造型としての「模型」のモチーフになりやすいのも、これと同じ意味があるのだろう。それにしても、原版から新たに緻密にプリントされた作品には、驚くべき情報量がある。日本の写真は、その多くを雑誌のページ上では見たことがある作品である。しかし、やはり大判である。とんでもないものまでくっきり写っている。やはり見て見ないとわからないものだ。
今回のチケットは、Models IMONさんからご提供頂いたもの。この場を借りて感謝の意を述べたい。しかしそれにしても、Models IMONさん。JR東日本と並んで、協賛のアタマのところに出てくるというのはスゴい存在感。余談ついでに、実はこの展覧会のポスターは、写真美術館に掲出されているところではじめて見たので、普段名前の出てこないような場所で、IMONさんの名前を見てけっこうびっくりしたのでした。流石、模型界の代表というべきか。



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