Gallery of the Week-Apr.03●

(2003/04/25)



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安藤忠男建築展 2003 再生-環境と建築
東京ステーションギャラリー 丸の内

フォートワース現代美術館、直島、青山同潤会、ピノー美術館、神戸プロジェクト、グラウンドゼロプロジェクト等、異能の建築家、安藤忠男氏の最近の業績を振り返る展覧会。建築家の展覧会というのもある種異色だが、ドローイング、模型、写真で構成される。それにしてもなかなかの客の入りである。人気のほどが忍ばれる。展覧会は、土地に記憶された「記憶」を掘り起こすことで、環境の再生を図る、というのがキーワードになっている。
ぼく自身、建築家になりたかったのだが、なぜ「立体造形アーティスト」ではなく建築家なのかという理由ははっきりしている。それは、あたかも映画の中で暴れ回るゴジラが、街や自然を破壊しつくすように、街や自然の景観をたたき壊し、全て自分色に染めてしまいたい、という欲望である。複数の建築家のヒトに、酒の席でコソっと本音を聞いてみたことがあるが、程度はさておき、建築家になりたい、と思う裏には、意識上か意識下はさておき、多かれ少なかれこういうモチベーションがあるようである。
安藤氏にしても、能書きはさておき、実際に作っている作品は、どう見てもその場所や景観に溶け込むものではない。だからこそ、インパクトがあり、世の中での人気も高いのだ。建築物なんて、基本的にそれでいいと思うのだが、なぜか建築家の中には、その部分に理屈をつけて正当化しなくては気がすまない人がいるらしい。その理屈が作品より能弁になってしまうと、これはちょっといただけない。なんか割り切れないしこりが残る感じだった。



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ジョルジュ・ルオー 未完の旅路
NAISミュージアム 新橋

90年代末のいわゆる「金融危機」以来、ミュージアムの話題といえば、そのほとんどが「閉鎖」である。特に企業美術館については、バブル期に「メセナ活動」等と呼ばれ、雨後の筍のように設立されたモノはもちろん、それ以前からの長い歴史のあるモノも含めて、一部のオーナー企業のように、極めて文化活動に熱心なところを除くと、かなりの確率で閉鎖されてしまった。それなりの業績を上げていたとしても、アナリスト等に対してアカウンタビリティーを持たせることが極めて難しい、と、文化活動に極めて熱心な、化粧品・トイレタリーメーカーの役員をしている友人が話していた。
そんなご時世ではあるが、なんと、新たな企業美術館が設立されるという。それも「お隣さん」である。ということで、オープンしたばかりの松下電工本社ビルの4Fにあるミュージアムへ向かう。表から入ると、地下〜3Fまでがショールームとなっており、そこを抜けると、4Fがミュージアムと会社の受付、というぐあいになっている。松下電工は企業としてルオーの作品を多数コレクションしていたということで、これを核として、ミュージアムを開設した。それを受けて、オープニングは、館蔵品を中心としたルオーの作品展である。
ルオーといえば、ぼくは個人的にはあまりピンとこないのだが、日本ではとても人気が高く、フォロワーやパクリも含めて、そのスタイルは至る所で増殖していた。そういうこともあって、ぼくのイメージからすると、なんか「戦前の庶民の暮らし」みたいな侘しさ、暗さを感じてしまう。まさに時代的にはピッタリそうなのだが、当時の上流階級の余裕のある暮らしでなく、まさに「プロレタリア」の暗い怒りみたいな感じがしてしまう。
そこが苦手な理由であることが、見ていて気がついた。どうも高度成長前の日本人の大衆というのは、恨み節とでも言おうか、自分のツラいところ、苦しいところを、これでもか、これでもかと強調することで、怒りのテンションを上げ、パワーを出そうとしていた感がある。元来、日本人の庶民というのは、江戸時代の「江戸っ子」のように、貧しくてもツラいところより楽しいところにフォーカスを当てて、明るく乗り切ってしまうところに良さがあったと思うのだが。こういう、じっとりした暗さは苦手である。そういえば、昭和30年代には、まだこういう「クラさ」が残っていたな、などと、思い起こしてしまった。高度成長ともに「松下のアカリ」が日本を明るくしたことを忘れないでね、ということかと、妙に納得してしまった。これならアナリストも折伏できるかも(笑)。



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韓国国立中央博物館所蔵 日本近代美術展
東京藝術大学 大学美術館 上野

朝鮮王国の王室が所蔵していた日本美術のコレクションは、一部の専門家の間ではその存在が知られていたが、一般にとっては、幻のコレクションとなっていた。これらの作品は、戦前の日本植民地期には、徳寿宮に置かれていた美術館で展示されていたという。戦後、韓国の成立とともに、国立中央博物館に収められたが、歴史的状況から、長らく公開されることなく、厳重に保存されてきた作品群である。
内容は、戦前の日本を代表する日本画家、工芸家の作品である。作品としても見事な大作から、味わいのある小品まで、多様な作風を網羅し、幅広くコレクションの対象としている。近代日本の伝統美術の状況を一覧できる充実したコレクションである。
それにしても、50年の間には激動の情勢変化もあり、コレクションを散逸させずに保つことだけでも、並々ならぬエネルギーが必要だったに違いない。それだけでなく、保存状態もかなりよく、丁重な管理の様子がうかがえる。いかに作品そのものには政治もイデオロギーもないとはいえ、これらの作品をキチンと保管しつづけてきた関係者の尽力にはアタマの下がる思いである。
さて、同時開催の常設展は大学コレクションによる、明治から敗戦までの洋画展である。限られたスペースに、これでもかとばかり満載された作品には、かなり著名な作品も含まれ、じっくり見るとかなりのエネルギーがいる。しかし、それだけに、いにしえの人達が洋画に何を託そうとしたのか、そして、図らずも洋画の材料を使いつつも、日本らしさを言外に発露している様が、極めてくっきりと見てとれるところがおもしろい。


4/1w
寺山修司と天井桟敷の全ポスター展 演劇実験室◎天井桟敷の宣伝美術の全貌
ロゴスギャラリー 渋谷

日本の「熱かった時代」のカウンターカルチャーを代表する天井桟敷。その活動は、演劇という直接的な活動だけでなく、音楽にしろデザインにしろファッションにしろ、あらゆる面で、当時の時代をリードしていた。今回の展覧会は、そんなマルチな寺山修司と天井桟敷の活動の中でも、特にインパクトが強く評価も高い、ポスターに代表される、グラフィック・デザイン面での活動を振り返るものである。実際、当時のデザイン界、イラストレーション界を代表するそうそうたる面々がデザイナーとして参加しており、その面でも興味深い。
そんなことより、ぼくにとっては、この手の60年代末から70年代はじめにかけてのカウンター・カルチャーというか、当時のコトバで言うと「アングラ」なカルチャーというのは、何とも深い思いこみがある。まさに、この天井桟敷の活躍していた期間は、小学生から、中、高、大学へという、ぼくの10代とオーバラップする。この手のムーブメントを支えた層は、いわゆる団塊の世代より上、戦中派より下というところで、直接的なコミットがあったわけではない。しかし、新宿、渋谷を通って電車通学していたぼくは、なによりその空気を感じていた。そしてその主たるメディアが、こういった演劇やロックのポスターだったりするのである。
渋谷西武をカワキリに、ぼくが中学に入ると、パルコができ、公園通りの名がつき、渋谷はシブヤになっていった。そういう意味では、まさに「元祖シブヤ」少年の世代だ。マチが変ってゆき、ヒトが変ってゆく、時代のひとコマひとコマが、ポスターデザインの向こう側にみえる時代性の中に透けてみえる。まあ、ノスタルジーといえば、ノスタルジーなのだろうが。それにしても、この時代を支えていた、団塊の世代の一部の人達はどこへ行ってしまったのだろうか。当時のぼくらからすると、まさに、それこそ「オトナ」だったり、「文化」だったりしてスタイリッシュだったのに。



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