Gallery of the Week-Jun.03●

(2003/06/27)



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牛腸茂雄展
東京国立近代美術館 竹橋

主として1970年代に活躍し、83年に夭折した伝説の写真家、牛腸茂雄の回顧展。代表的な写真集である「SELF AND OTHERS」に収録された作品を中心に、代表的な写真集に収録された作品、末年になって取り組んだインクブロットによる作品を網羅した展覧会となっている。
写真集として発表されたものであるがゆえのことではあるが、同じサイズのプリントが、淡々と白い壁に連なる会場は、それ自体が一種独特のインスタレーションのようで、非日常感がただよう。ここからすでに世界ははじまっているかのように、その作品も、きわめて日常を撮りながら、日常から切り離されたシュールな存在感を放つ。
60年代末から70年代というのは、ぼくにとってはほぼリアルタイムの同時代の記憶がある。おまけに、この時代に活躍した写真家の多くは、その時代の息吹を切り取り、作品の中に定着させることに切磋琢磨していた。だから、この時代の写真作品を見るということは、あたかもタイムカプセルを開けるかの如く、自分の中にある「その時代」の記憶を確認する行為でもある。だから、キャプションを見なくても、ほぼ撮影した年はわかってしまうのがふつうだ。
しかし、牛腸茂雄の作品にはことごとくそれがない。その被写体が昭和の日本であることは確かにわかるのだが、いつのものだか絞りこめない。1970年前後の写真が、昭和30年前後のように見えたり、1980年前後の写真が、60年代に見えたりする。それは、そこに居ながら、決して時代の流れの中にはいなかったということであろう。まさに、生きながらにして、伝説の中にいた。そんな感じがした。


6/3w
地平線の夢 昭和10年代の幻想絵画
東京国立近代美術館 竹橋

昭和10年代、それも主として前半に作られた絵画作品の中から、シュルレアリスムの影響も受けた幻想的な作品を選んで、その時代を振り返ってみようという企画展。特に、地平線や広大な風景をモチーフとして取り入れているもの、という視点から作品を集めている。手法としてのシュルレアリスムを取り入れた作品を取り上げる「物語る絵画」。古典的な題材や手法にコダわった作品を取り上げる「古代への憧憬」。主として中国を題材とした「大陸の蜃気楼」。そして、シュルレアリスムを支えたアーティストの、もう一つ下の世代の作品を集めた「画学生たちの心象風景」の四部からなっていある。
昭和10年代、それも前半といえば、政治史的な位置付けはさておき、経済、文化という面では、昭和の日本の一つの到達点である。軍需景気で成金が続出し、退廃的に爛熟した都市文化が花開く。まさに「流線型時代」である。それを越えるのは、戦後の高度成長期まで待たなくてはいけない。実は美術でも、戦前において美術市場が最も活性化したのがこの時期である。そういう意味では、個々の作家の立場はどうあっても、ある種の活気というか、パワーが感じられる作品が多い。確かに地平線の夢と呼べるようなスケール感はあるのかもしれない。
しかし、解説やキャプションのトーンはちょっと頂けない。自虐史観というか、プロレタリアート史観というか、「戦前=弾圧・暗い時代」と一面的にとらえて、なんでもかんでも閉塞感の表現や弾圧への抗議にしてしまう。もともとアーティストはシニカルな面を持つだけに、中には確かにそういう面を持つ作品があることは確かだが、それが作品の表現の全てではない。だからこそ、表現が力を持っているワケなのに、それをプロパガンダとしかとらえられないというのは、ちょっと問題が多い。



6/2w
フェルナンド・ラス写真展 「MEIJI ARCHITECTURE」
東京写真文化館 赤坂

南米出身で欧米で活躍の後、日本に在住しているフェルナンド・ラスが、現役、保存を問わず、日本各地に残る明治期に建てられた西洋館を題材に撮りだめた作品の中から、40点ばかりを集めた写真展。一部を除き、今も残っている建築物を題材としている。
しかしこの作品、セピア調色されていることを除けば、異様なまでに生真面目な撮り方である。明治つながりで言えば、岩崎・渡邉コレクションの蒸気機関車の型式写真のように、表現性、芸術性より、どんなディティールも見逃すまいという、記録性をつきつめたような写真になっている。そういう意味では、モノクロでなくては意味がない記録である。これが結果として、現代の風景の中においたのでは見逃されがちになる「明治性」を浮き彫りにしている。
そういう意味では、みなれた建物でも、いろいろと「発見」がある。それはきっと、我々が生まれたときから日常の中で見てきたこれらの建物に対し、フェルナンド・ラスという、日常の変化の中での位置付けとは切り離された、外国人の目から見たイメージとの違いということなのだろう。
本人によると思われる、妙にしゃっちょこ張った日本語のキャプションも、なぜか作品や作風とマッチして、いい味を出していた。



6/1w
Andy Warhol, His Works, Idea & Process
パルコ・ミュージアム 渋谷

日本では寺山修司氏にカラんだ企画がそうなのだが、世界的に、いつやっても、どこでやっても、どうやっても、それなりにはまるヒト、アンディー・ウォーホール。今回の展覧会は、彼の残した作品や史料を元に、彼の故郷であるピッツバーグに1994年に開設された「アンディー・ウォーホール・ミュージアム」の全面的な協力の下行われている回顧展である。場所の関係から、展示品はごく限られているのだが、6〜70年代のシルクスクリーン作品、80年代のキャンバス作品、写真・映像作品など、代表作品も含め、コンパクトに網羅されている。シンプルながら、壷を押さえた展示となっている。
時代が彼を作ったのか、彼が時代を作ったのか。時代が彼に追いついたのか、これが時代に合わせたのか。こと、彼の場合はそんなことはどうでもいい。彼の存在そのものが、60年代〜70年代、そして80年代に入るまでのアメリカの「今」そのものの「記号」なのである。そしてそんな「記号化した自分」こそが、彼の最高の作品なのだろう。ちょうど彼と親交の深かったミック・ジャガーが、自らを「ロックの記号」をしてプロデュースすることで、時代からも評価からも超越した、唯一無二の存在となったように。
さてこの展覧会は、渋谷パルコ30周年記念の企画となっている。いまでいうpart1ができて30年。まだ住宅地を後背地に控えたまま、渋谷西武ができて中学に入り、そろそろ高校も卒業という頃になってパルコができた(中高一貫校だった)、60年代末〜70年代はじめの渋谷は、まさに、熱い時代の真っ盛り。そんな中を毎日渋谷で山の手線から私鉄線に乗り換え、毎日通っていたその時代の空気も思い出させてくれた。今のティーンズにはわからないだろうな。この刺激は。



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