Gallery of the Week-Oct.03●

(2003/10/31)



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写真と絵画の展覧会 士(さむらい) 日本のダンディズム
東京都写真美術館 恵比寿

幕末から明治初期にかけて撮影された、日本の写真の創成期の肖像写真と、当時の錦絵などの肖像画の中から、武士らしい姿を表した作品を集め、幕末・維新の時代における人間像を探る企画展。全体を「誇」「憧」「望」の三部より構成し、変ってゆく時代の中で描かれたダンディズムの姿を探る。江戸開府400年協賛の企画でもある。
どうも、展覧会自体は東京都写真美術館のコレクションに加わった、幕末期の写真のコレクションと、江戸開府400年イベント、という二つの軸からこじつけられた企画という感は否めない。とはいうものの、この時代の写真のオリジナルプリントをこれだけまとまって見られることも少ないし、肖像画的な錦絵も比較的目にする機会が少ないだけに、趣旨はさておき、個々の作品としての興味は深い。
しかし、たとえガラス湿板写真といっても、オリジナルは情報量が多い。普段、印刷物では見慣れた写真でも、オリジナルとなると、また違うものがある。ここでは、有名人も無名人も、写真が残っているヒトについては等しく扱われているのだが、写真を見れば、キャプションがなくても、どれほどのヒトかわかってしまう。それなりのウツワと「人間力」を感じさせる被写体は、結局、名を残すなり、それなりの活躍をしている。その一方で、無名の庶民は、今に共通する「無名の庶民」の顔と表情なのである。つくづく、日本人の本質は、江戸時代から変らないことが痛感される。
さて、そんな中で興味をひいたのが、写真と錦絵の合体した「作品」である。当時の歌舞伎役者のポートレートを、錦絵で作った台紙に貼り込んだものだが、こういうものが明治初年にすでに商品化されていたということが興味深い。いわば、ブロマイドと芸能誌の共通の祖先のようなものである。こういうニーズがやはりあったこと。そしてそこに逸早く、新しいメディアである写真が導入されたこと。これもまた、日本の庶民のミーハー精神が、この150年ほとんど変っていないことを如実に示している。



10/4w
歴史の歴史 杉本博司展
メゾンエルメス8階フォーラム 銀座

写真作品を中心に活躍する現代アーティスト、杉本博司氏が、銀座エルメスの8階という「舞台」を得て繰り広げる展覧会。考古的な文物と、作者の写真を一体化し、独自の世界観を作り出している。会場自体の持つ独特の存在感や雰囲気も相乗効果を生み、あたかも会場全体が一つのインストレーションのようになっていることもインパクトがある。
ここに展示された「考古物」は、それぞれ背負っている歴史というか、リアルな世界がある。勾玉は勾玉なりに、懸仏は懸仏なりに、それが作られた時点においては、作者、寄進者の思いという、それなりの「性」を背負ってこの世に現れたハズである。しかし、その意味は時間とともに洗い流され、カタチだけが残っている。そもそも「歴史を伝える物」というのは、そういう二重性を背負っている。
杉本氏は、まさに写真家的な視点で、その二重性を見つめている。その考古物を、本来の由来=リアルから切り離し、見たままのヴァーチャルな意味性に置き換えてしまう。写真作品が、そこに「写されている被写体」が背負っている「真実」とは別のところで、その「画像」に意味を与えてしまうのと全く同じ文脈で、歴史を背負った文物を、歴史から引き離し、ギャラリーの中でしか持ちえない意味を与えている。やられてしまえば「そういうことか」と思うのだが、これはこれで中々インパクトが大きい。
同じ写真がキャプション次第で意味が変るように、記号性と実体というのは、実に危うい関係にある。ある種、そこをつきつめたのが高級ブランドのブランド価値でもあるワケで、エルメスのギャラリーでこういう展覧会が開かれるというのも、実に興味深いシチュエーションではある。しかし話は変るが、こういうブランドショップは、入るのはたやすくても、なかなか冷やかしだけで出てくるのは勇気がいるのだが、こういうイベントをやっていてくれると、実に「出やすい」というのも、発見ではあった。



10/3w
第21回 写真「ひとつぼ」展
ガーディアン・ガーデン 銀座

ユニークな新人が登場する場としても、独自の存在感を発揮している「ひとつぼ」展。毎年楽しみにしているが、今年もそのシーズンがやってきた。今年は、1980年頃に生まれた作者が中心となっている。この世代になると、いろいろな意識調査を引くまでもなく、社会観や人生観といった、根本的なフレームが極めてプライベートに閉じてくるのが特徴となっている。実際、その作品にも、そういった価値観が満ちており、いい意味でも、悪い意味でもインパクトがある。
彼ら、彼女らの世代にとっては、自分の内面だけが関心事項であり、全てである。その外側は、リアルもバーチャルも渾然一体として、「どうでもいい」世界なのだ。ほとんどのヒトがこういう意識構造をしているということは、すべてのメッセージはそもそもモノローグであり、「全体」との折り合いを取ることすら意識されない。何かが見るものに伝わろうとなかろうと、その作品が表現と思われようとなかろうと、そんなことははなにもかけていないかのような作品が並んでいる。見られることを無視した写真とでもいおうか。その評価はさておき、これはこれで強烈な主張である。
さて、今回の発見は、なんといっても印画紙写真とディジタルでのプリンタ出力の思わぬ差を、まざまざと見せつけられた点だ。プリンタ出力では、リアルとヴァーチャルの境目が見えにくい。それは、合成とかレタッチとかいう技術的問題以前の、プリンタ出力のダイナミックレンジの問題だと思う。その分、自分の内面の「景色」の再現は容易だが、他の人間に共感を呼びうる可能性は低くなる。外面に「見えている」モノが同じである保証はどこにもないからだ。
その点、印画紙のプリント(もちろんフィルムのポジも同じだが)においては、少なくともリアルはリアルとして、作者の主観とは別のところで、キチンと見るものに伝わってくる。ある意味で、作者の意図とは別のリアルまで定着させえてしまうところに、写真の表現としての面白さも特殊性もある以上、この差は表現手段としては大きなものがある。そういう意味では、少なくとも何らかのメッセージを放っている作品は、皆、印画紙にプリントしたものであった。単にスペック、機能とは別の面で、銀塩の残る場がここにあるのだろう。



10/2w
PIECE of PEACE 「レゴ」で作った世界遺産展
渋谷パルコSR-6・ロゴスギャラリー 渋谷

「世界遺産」に指定された建築物や遺跡などを、レゴを使って制作した大型ミニチュアと、アーティスト達が「私のたからもの」をテーマに制作した作品(この中にもレゴを使ったものがある)をあわせて展示する展覧会。ユネスコの「世界遺産チャリティーアートエキジビション」の協賛展となっている。この位置づけ自体が、「作品展」と「百貨店催事」の微妙なボーダラインというべきところにあり、何とも不思議な展覧会である。
そういう能書きはどうあれ、1mクラスの大きなレゴの作品というのは、これはこれで実に楽しい。手のひらで弄べるサイズの作品も作っていて楽しいが、この大きさになると、レゴ特有のデコボコがあまり気にならなくなってくる分、全く違う面白さがある。いわば「スムージングを掛けた、積み木細工」といった趣である。慣れてくれば、頭の中で造形イメージがピンと湧くようになるとは思うが、やったことのない者にとっては、どうやってこのカタチに持っていくかというイマジネーションがなかなか湧かないのも興味をそそる点だ。
しかし今回の展示には、一つ大きな疑問が残る。それは、最近ではレゴの基本ブロックをバラで入手することができない点だ。確かぼくが子供のころは、ボスが4つの、8つの、といった基本ブロックは、それだけを何個入りかで売っていた。こういう作品を見て、「作ってみたい」と思う人がいたとしても、そのためにはおびただしい数の「基本ブロック」が必要になる。ところが、それらは単体では手に入らないのである。
このごろ店で売っているレゴは、キャラクター物か、基本セットでも、人形とか、車輪とか、花とかいろいろまざっているヤツである。基本的なブロックのセットは入手できない。これでは、必要な数だけの基本的なブロックを入手するだけでも莫大な労力かコストがかかってしまうことになる。そもそもレゴの面白さは、こういう大物を自由に創作できるところにあると思う。本来の魅力を思い出させてくれるのはいいのだが、それを実現する道を絶たれたままでは片手落ちだと思うのだが。



10/1w
浮世絵 アバンギャルドと現代
東京ステーションギャラリー 丸の内

浮世絵に代表される江戸時代の町人文化は、よく知られるように、当時産業革命の到来とともに大衆社会化への胎動を起こしつつあったヨーロッパに、ジャポニズムというインパクトを与えた。そのDNAは産業社会化の進展とともに、モダニズムへと受け継がれる。この展覧会は、その原点とも言うべき「浮世絵」を、「ゲイシャ・フジヤマ・テンプラ」的なエキゾティシズムではなく、「現代に通じるキッチュな大衆性」という視点からとらえなおす企画展である。
実は鎖国の中でも、欧米の情報はそれなりに日本に入ってきていた。「解体新書」の例を引くまでもなく、科学技術や医学、歴史や地理といった学問については、膨大な情報がリアルタイムに得られていたことは、今では「常識」となっている。しかし、それだけでなく、欧米の文物が、庶民レベルで受け入れられ、もてはやされていたというところには、江戸時代の町人文化の底知れぬパワーが感じられる。それだけでなく、大衆文化の常というか、それらのパクり、コピーが膨大に行われていたのである。日本の大衆文化においては、歌謡曲やJ-POP、各種デザイン等で典型的に見られるように、公然とした「パクり」が特徴となっている。しかし、それは昨日今日はじまったことではない。なんと、パクりの伝統は江戸時代に遡る、日本の大衆社会の深層に根ざした「不治の病」なのである。
さて、今回の出展作品の中で最も刮目すべきものは、仕掛け絵、だまし絵のコレクションだろう。まさにトリックアートの原点といえるような作品が集められている。もともとこの手のものは、文字通り「子供だまし」であり、保存されてみる作品ではなく、一瞬のウケと共に消費されてしまうのが常であり、なかなかオリジナルの状態で残されたものは少ないと思われる。事実、文字絵のようなモノは別とし、こういうジャンルがそれなりに江戸後期に流行したという事実自体、あまり知られてはいない。欧米のトリックアートと、どちらが古くオリジナルかということはさておき、すでにこの時代に、日本の庶民はこういうモノを楽しんでいた、ということ自体、大きなインパクトがある。これだけでも一見の価値はあるだろう。



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