Gallery of the Week-Sep.04●

(2005/01/28)



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唐招提寺展 国宝鑑真和上像と盧舎那仏
国立東京博物館 上野

現代の出開帳の総本山となった、東博の平成館。今回は、金堂を大修理中の唐招提寺がやってきた。まさに、金堂が解体されている、という機会を捉えた企画であり、単なる出開帳でなく、文字通り、「唐招提寺そのものがやってきた」といえるような内容となっており、金堂と御影堂の堂内再現イベントともいえる。
金堂は、唐招提寺の本尊盧舎那仏を中心に、梵天・帝釈天像と四天王像で、堂内を再現。一方、御影堂はおなじみの鑑真和上坐像と東山魁夷氏作の障壁画を全部持ってきている。それ以外は、解体中の金堂の部材の展示のみと、実にシンプルにして強力な展示である。行ったときには、ちょうど僧侶による読経(般若心経だった)が行われており、形だけでなく、まさに寺院そのものがやってきたような気分を味わえた。
さて、本館のほうも模様替えがすっかり終わっており、再オープン後はじめての訪問となるので、一通り見て廻る。二階は前回きたとき、既に日本美術の歴史にスポットを当てた「日本美術の流れ」になっていたが、一階は、彫刻、工芸、等々各ジャンルごとにスポットを当てた展示に再構成された。内装も落ち着いて重厚な雰囲気に改装され、なかなか見応えがありそうな環境になっている。
一番変化したのは、やはり「じっくり見せる」ことに徹した展示になったことだろう。展示品の数を減らすとともに、近くからじっくりと見られるようなディスプレイになった。これは一階も二階もそうだが、今までの「資料で勉強」する場という感じから、「美術工芸品を鑑賞」する場という感じに変わったといえばいいか。エンタテイメントとしての美術を充分に踏まえた展示になったといえる。
今までもおなじみの展示品も、いろいろ分散して登場しているが、それよりなにより、今まで余り見る機会のなかった収蔵品も、多数登場してお目にかかれるというのが楽しい。展示内容も、数ヶ月を単位に、テーマを変えて入れ換えるようなので、常設展だけでも足繁く通えるようになるだろう。これもまた、独立行政法人化による競争原理のメリットということか。



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七つの顔のアサバ展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

グラフィックデザイン界の大御所であり、特にタイポグラフィーをはじめとする「文字」に関する造詣では第一人者といえる浅葉克己氏の世界を凝縮して見せる個展。1F会場は、タイトルに合わせた「7つの顔」を見せるオリジナルポスターを中心に、石碑を臨書した作品、オリジナルのタイポグラフィーを使った作品など、「文字」をカギとした大型の新作で構成される。
一方BF会場は、過去のアートディレクション作品を中心に、既に発表した各種の作品が物量で迫ってくる。とはいっても、この展覧会、単なる回顧展ではない。個々の作品はもちろん一つ一つ意味を持っているし、じっくり見て行けばそれなりに思うところはあるのだが、それでは「木を見て、森を見ず」になってしまう。
それらの作品はあくまでも構成要素である。この企画展自体が一つのインスタレーション、いやそんな静的なモノではなく、イベントというかコンテンツというか、いわばテーマパークのようになっているのだ。その多面的、且つ深い世界観が、まさに浅葉氏のスゴさというところなのだろう。こりゃ、いろいろ蘊蓄にはいるより、素直に楽しんだ方がいい。



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「明日を夢見て」 アメリカ社会を動かしたソーシャル・ドキュメンタリー
東京都写真美術館 恵比寿

古今東西を問わず、その国の経済がテイク・オフする時期には、社会の矛盾が極大化することもあり、写真の持つリアリズム、ドキュメンタリーといった要素が着目され、強力なメッセージを持った作品が作られる。高度成長期の日本然り、20世紀末の中国然り。今や唯一の超大国となったアメリカも、最初から反映していたワケではない。当然、テイク・オフした時期はある。
アメリカといえども、その時期に相当する19世紀末から大恐慌期においては、やはり社会問題を、写真の持つドキュメンタリー性を用いてアピールしようとした写真家がいた。この展覧会は、アメリカの反映の達成と共に忘れ去られてしまった、この時代のソーシャル・ドキュメンタリー写真に着目し、今の視点からもう一度その意義を振り返ってみようという企画展である。
ニューヨークの貧民街をルポし、アメリカ・フォトジャーナリズムの始祖となった、ジェイコブ・リース。国家児童労働委員会のプロジェクトで、子供たちの長時間労働をドキュメントした、ルイス・W・ハイン。ニューディール期の農村の状況を捉えた、農業安定局のプロジェクト。古い町並みが摩天楼に変るニューヨークを写した、ベレニス・アボット。社会運動的視点から、写真教育活動を通して問題告発的な作品を送り出した「フォト・リーグ」。この5つの写真家やプロジェクトに焦点を当て、ドキュメンタリーのたどった道を振り返る。
それが写真である以上、事実の全てではないが、事実の一断面であることもまた真実である。そういう生活、そういう人達が、20世紀初頭のアメリカにいたという「事実」は、これらの写真を通して、あらためて今に問いかけてくるものがある。たとえば、1920年代から30年代の日本の写真を思い浮かべれば、同時代的に、どの国にも豊かなヒト、貧しいヒトはいたことがよくわかる。ただ、違っていたのは、その存在比率だということを改めて感じさせてくれる。



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東洋の至宝 翡翠展
国立科学博物館 上野

長く工事中だった科学博物館の新館の完成、グランドオープンを記念して、新設部分に作られた特別展示場を利用して開かれた企画展。科博らしく、「鉱物としての翡翠」から展示に入るものの、古代日本、中国清朝という、翡翠が珍重された国、地域での歴史的文物や、翡翠を利用した現代の工芸美術品まで、幅広く網羅して展示している。
特に清朝の玉器は、いつ見てもそうなのだが、あれだけ硬い石をよくぞここまで彫刻できるなあ、と思わせる凝り方で、それを作るのに必要となるエネルギーを考えただけでも、皇帝のプレゼンスの大きさを感じさせる。その他、翡翠自体があまり身近なモノではないだけに、いろいろと新しい発見があって面白い。
さて、科博の常設展示のほうも、新館グランドオープンに合わせて新たな趣向のコーナーが作られている。旧新館がなくなって以来、展示物は生物・地学・天文系が中心となり、理工学系の展示はほとんどなくなっていたのが復活しているのがうれしいところ。ヘリコプターはいなくなってしまったが、ゼロ戦とか、テレビ・通信機器・コンピュータの歴史を示す所蔵品は、久々のご対面である。
それだけでなく、本館にあった既存の展示も、バージョンアップして登場している。生物の進化の歴史も、堂々2フロアに渡って展開するとともに、新たな展示品も多く加えられている。また、剥製動物園ともいえる、絶滅種も含めた標本の大集合は、その迫力も含め見ごたえ充分。独立行政法人になって、「タップリ見せるぞ」と、やる気充分というところだろうか。本館のリニューアルも期待できそうだ。



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