Gallery of the Week-Mar.05●

(2005/06/24)



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光の詩人 福原信三・信辰・信義 写真展
ハウス・オブ・シセイドウ 銀座

まだ表現としての写真のあり方に関しては、絵画と報道の間で、世界的にいろいろな試みが繰り返されていた1920〜30年代。当時、昭和初期の日本で、アートとしてのあり方に対し、写真家としての作品・科学者としての技術・芸術評論家としての理論、とあらゆる面からエッジを追求していた、資生堂初代社長福原信三氏と、共に資生堂の経営に携わるとともに、写真表現の可能性を追求する同士でもあった二人の弟、信辰氏、信義氏の作品を紹介する展覧会。
福原信三氏、信辰氏の作品については、日本の写真史を語る時にはなくてはならない作品として目にする機会も多いが、なにより、元が作者蔵と思われる、オリジナル中のオリジナルプリントというところがポイントである。特に、この時代の作品は、印象派を意識した、光と陰のトーンで語る表現を目指したモノであっただけに、その微妙な表現を、作者自身の納得したであろう「生」で見られるというのはありがたい。
信義氏は、どちらかというと戦後の資生堂会長、あるいは、現福原名誉会長の父上として知られているが、並木透のペンネームで、戦前は、蘭をはじめとする花のスペシャリストとして活躍していた。その延長上で、各種園芸書等にも使われた花の写真を多く撮っている。その中には、1930年代に開発されたばかりのカラー写真を使って撮影した蘭の写真まであるのはビックリである。
いずれにしろ、新しい文化というのは、古今東西「才能も金もあって、育ちもいい」人材に恵まれない限り生まれない。例外もあるとは思うが、それは極めて希な偶然の積み重ねだろう。もちろん、その新しい文化が熟成され、完成度の高い表現になるためには、その先何人もの天才達の手をわずらわせる必要があるのだが。とはいっても、最初の0→1をできるのは、こういうヒトなのだ。1になったからこそ、それが100になり、10000になりするのだ。改めてこの事実を噛み締めてしまう。



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チャマイエフ&ガイスマー展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

1950年代の創立以来、ニューヨーク、いやアメリカのグラフィックデザインをリードし続けてきたデザイン会社、チャマイエフ&ガイスマー展の半世紀に渡る活動を振り返る展覧会。その活動は、CIを中心とするコーポレートイメージのデザインで知られるが、建築からエディトリアルから、あらゆる種類のデザインを手がけている。
まさに、アメリカン・デザインの真骨頂というか、どの作品を見ても、シンプルかつストレートで、何とも明解。比喩も引用も何もない、正面突破の電車道である。ある意味、これが出来てしまうチャマイエフ&ガイスマーの存在感もスゴいが、よく考えると、それにOKを出しているクライアントもスゴいといえばスゴい。
この辺のタフさが、アメリカのアメリカたる由縁なんだろう。さすがに昨今は、大リーグでも日本仕込みの華麗な小技が使われるように、アメリカとはいっても、アメリカンなテイストでない作品も見られるようになってはいるが、まだまだ活躍しているということは、「とはいっても、王道は揺るぎない」ということなのだろう。せせこましくなっては、アメリカじゃないよ(笑)。



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入定310年 円空展
そごう美術館 横浜

独特の作風で、今なお根強いファンを持つ、江戸初期の仏師円空。早彫り、多産でしられ、一説には12万体の作品を作ったといわれる。今回は、円空作の像の中でも、展覧会では未公開だったり、新発見だったりという、今まで比較的目に触れなかった作品を中心に、140体で各時代、各地域での作品を概観する展覧会。
そのオリジナリティーと得も言われぬパワーには敬服するものの、個人的にはそんなに好きな作風ではないのだが、それでもこの物量作戦が放つオーラには尋常ならざるものがある。中には、かなり手をかけた仏像もあり、じっくり見るとそれなりに懐の広さを感じさせる。一般の如来、菩薩像以上に、明王像や神像、円空ならではのオリジナルの像などが数多くあり、それらのほうが、よりシュールでおどろおどろしい世界を体現している。もしかすると、こっちの方が魅力的かもしれない。
しかし、そごう美術館というのがまた久しぶりだ。というより、横浜そごう自体が、ごくタマにしか行く機会がないので、大変久しぶりなのだ。特に、ミレニアムグループに経営統合し、事業が復活してからの変化には疎いので、そちらのほうも大いに気になるところ。そごう名物だった「バブリーなエスカレーター」も、地下入り口のからくり時計も、ハードウェアそのものは今も健在であった。
しかし、店のソフト部分というか、マーチャンタイジングはすっかり変わっている。まあ、今の状態の方が「常態」であり、昔がおかしかったということなのだろうけど。それにしても、そごう美術館も、流通業の中にある美術館としては、もはや最後の砦という感じ。これもいつまで持つのだろうか。クラブONカードで割引が使えるというところは、時代の変化を感じさせたが。



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東京都写真美術館コレクション展
写真はものの見方をどのように変えてきたか 2 創造
東京都写真美術館 恵比寿

東京都写真美術館開館10周年記念の、コレクション展「写真はものの見方をどのように変えてきたか」。その第二期は「創造」と銘打ち、150年以上に及ぶ写真表現の歴史の中でも、19世紀末から1930年代の写真表現の歴史を振り返る。この時代は、まさに写真が「芸術」や「表現」としての立ち位置や、そのための手法を確立した時期である。
今回も、二つの章建てで構成されており、「創造-絵画との出会いと別離」では、19世紀の後半において、絵画と写真がどのように相互に影響し、それぞれの「近代的表現」の確立と、写真ならではの表現の模索をしていったかを振り返る。また「回帰-写真の眼」では、写真技術の進歩と共に可能になった多様な描写を、いかに表現に取り入れ、写真という芸術が花開いていったかを見てゆく。
今回からは「表現としての写真」がテーマなだけに、写真も「作品」という色彩が濃くなり、名作としてなじみのある作品も多く出品されている。「創造-絵画との出会いと別離」は、写真という立場からの視点はかなり追求されているものの、絵画のサイドからみた視点は、今ひとつという感じもある。写真美術館のコレクション展である以上、難しいところもあるとは思うが、写真がなくては印象派は生まれなかったワケで、そっちからのツッコミも、もうすこし欲しかった気がする。
「回帰-写真の眼」まで来ると、バウハウスのように、もはや写真表現が確立した時期を扱っているので、ある種「芸術」として安心して見ていられるのが面白い(笑)。ここでは、海外の歴史的名作よりも、日本人の作品に興味が惹かれる。1920年代や30年代の写真だから、もちろん髪型や化粧、ファッションや街の景色は今とは違うのだが、表情そのものは、あまりに今と変わっていないコトに改めて気付く。やはり、日本の大衆は変わっていないのね。



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