Gallery of the Week-Mar.05●

(2005/07/22)



7/5w
遣唐使と唐の美術
東京国立博物館 上野

先ごろ発見され話題となった、井真成の墓誌の「里帰り」を目玉とし、当時の唐文化を伝える品々とあわせて見せる企画展。出展品は、中国の西安、洛陽の博物館の収蔵品と、国内の伝世品で構成されている。会場は平成館の西半分で、ワリとこじんまりとまとまった展示となっている。
なんといっても、メインは墓誌である。美術品や工芸品と違い、ただ「本物を見た」という充実感、納得感だけなのだが、なかなか感激がある。やはり、「この発見が、歴史学の定説をくつがえしてしまった」という存在感なのだろうか。出土品展示の中では、金工品が充実している。唐三彩などはワリと見る機会があるが、細密な金工品はけっこう新鮮に見える。
残りの半分を使って、「模写・模造と日本美術-うつす・まなぶ・つたえる-」が行われている。江戸時代以来の、名品のコピーで構成された展覧会である。絵画にしろ仏像にしろ、大型の作品が多いので、コピーとはいっても、なかなかの迫力がある。おまけに、どれも大家による模写・模造なので、作品としての価値もある。それなりに楽しめる企画だ。欲をいえば、ホンモノと模写・模造を並べて比較できるような仕掛けがあると、もっと面白かったと思うが。



7/4w
mini-max
資生堂ギャラリー 銀座

ドイツで活躍する日本人の定兼恵子氏、日本で活躍する日本人の佐藤勲氏、カナダで活躍する韓国人のパク・ホンチョン氏という、世代も活躍の場も異なり、制作スタイルや作風も異なる三人の作家が、共同で開催する三人展。ミニマルな要素を活かすコトで、最大限の表現を生み出す、というコンセプトでそれぞれの作品を出品している。
それぞれ作品は2作品づつ、というところも、まさにミニマルである。資生堂ギャラリーの限られた空間が、かえって広々と見えてくるようだ。こういうところで見ると、定兼氏、佐藤氏の作品は、インテリアのデザインワークそのものに見えてくる。自然に空間に溶け込んでいる、ということもあるのだろうが、主張を感じさせながらおくゆかしい存在感がそうさせるのだろう。
その点、パク氏の作品は、かなり傾向が異なる。ソウルと東京で撮りまくった街路樹のスナップを、高密度でならべた独特の作品であり、あくまでも「アート作品」としての存在感を強くかもしだしている。基本的には、クルマで走りながら、縦位置で街路樹を撮ったモノを、コンタクトプリントのように、撮った順に並べているようだ。
しかし、よく見ると妙なコトを発見する。ソウルでのテイクでは、同じ木を違う角度から何度も撮っているカットがあるのだが、東京はほとんど「一本、ワンカット」なのだ。これって、もしかすると両都市のスピード感の差なのだろうか。細かい差が見えない構成だけに、妙に目立つその違いが気になった。



7/3w
発掘された日本列島 2005 −新発見考古速報展−
江戸東京博物館 両国

昔は、東博の奥まった部屋で、ひそかに行われていた「発掘された日本列島」展も、年を追うごとに、だんだんと大型イベントとなり、ここ数年は江戸東京博物館の企画展室というのが常打ちの場となっている。展示内容も、いくつかの目玉遺跡に限ったモノでなく、その年の「新作」だけで、考古学的に日本の歴史を振り返ることができるような拡がりも持っている。
この企画の面白い点は、「この一年間に発掘された遺跡」というシバりが効いている点で、歴史上必ずしもメインストリームではなく、一般の歴史・考古学関係の企画展では、まずお目にかかれないような遺跡もフォローしている点である。今回も、蝦夷の遺跡や、マイナーな地方豪族関連の遺跡などがあり、わざわざ地元の歴史資料館などに足を運ばなくても、この手のものが見られるのは楽しい。
今回目についたのは、植物質の遺物がかなり多くなっている点だ。発掘技術の進歩と、開発の進展で、水没していて今までは発掘されなかったような遺跡も発掘されるようになった結果だと思うが、縄文・弥生時代の藁製品が出てくるというのも、むかしの常識からすれば驚きである。
極めて珍しいとか、見て勉強になるとか、そういう視点からすれば多少物足りないかもしれないが、普段見られなかったり、みて「へぇ〜、そうなの」と感心したりするような「面白いもの」はあふれている。歴史や考古学の好きなヒトなら、見て損はないと思う。



7/2w
2005 ADC展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー クリエイションギャラリーG8 銀座

今年もADC展の時期がやってきた。今回は、いったいどんな顔をしているのだろうか。いつも楽しみである。いろいろな意味で、業界の一年を振り返るのにちょうどいい催しといえるだろう。今年も、ギンザ・グラフィック・ギャラリーでの会員作品展と、クリエイションギャラリーG8での一般作品展と、二会場を使っての展示である。
2005年番の特徴を一言で言うなら、「広告賞的」というところだろうか。広告作品はグラフィック・デザインと深い関係があるのはもちろんだが、広告作品に限らず、デザイン先行、イメージ先行ではなく、コンセプト先行の作品が多かったという意味である。
きっちりとプランニングが行われ、作品の外側を含めてかっちりと「世界観」が形作られている。そのある部分を切り取ってイメージ化したものとして、広告作品なり、ポスターなりがある。こういうタイプの作品が過半数という感じだ。世の中全体では、そういう作り方の方が多くなっていると思うが、今までのADC展は、どちらかというとイメージ先行の最後の砦みたいなところもあったので、なかなか興味深いものがある。
アートディレクターが、カタチの部分だけでなく、全体のコンセプトまで含めたプランニングを担うケースが増え、一般化していることの証しだろう。かつてはデザイナーが、その職能に篭ってしまうケースが多かっただけに、基本的に良い傾向だと思う。アイディアを職能で分担するというのは、基本的に無理だし、アイディアを出すチームの中には、「職人」はいらないのだから。



7/1w
フォト・ドキュメンタリー「NIPPON」2005 崔殷植「向き合う」
ガーディアン・ガーデン 銀座

フォト・ドキュメンタリー「NIPPON」は、2004年から2006年の三年間を通した企画展で、毎年4〜5名の若手写真家の作品を通して、21世紀アタマの「今の日本」をドキュメントし、展覧会と写真集で発表しようというもの。2年目に当たる今年は、5人の写真家の作品が選ばれた。
崔殷植氏は、韓国から日本に留学していた写真家であり、この作品は、氏が川崎朝鮮初中級学校をドキュメントしたものである。と、文字でシチュエーションを書くと、いかにも1960年代のフォトジャーナリズム的な作品を連想してしまう。しかし、実際の作品は全くそういう連想とは遠いところにある。
とかく近くて遠い存在と思われがちであっても、そこにはごく普通の日常が、ごく自然に繰り広げられている。それをありのまま、意味深な誇張も声高な主張もなく、そのままに切り取っている。まさに、「違わないからこそ、ドキュメント」なのだ。
6×6判の画面をそのまま使った正方形の構図は、広角気味のレンズともあいまって、ちょっとヒキで、クールで客観的な視線を感じさせる。中判ならでは解像度で、写りこんでいるいろいろな小物が読み取れるのだが、これがなにより、この時間が止まってしまったような空間が、実は現代の日本であるというリアリティーにつながっている。しかし、見ている間、他のお客さんが一人もいない、というのもなんかシュールであった。そういうテーマなのかなあ?



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